銀の刃が、地を駆けるように閃く。金属と金属が重なる甲高い音が響き、斬撃同士のぶつかり合いだけが生み出す特有の音色が、裏路地を彩っていた。
 突き、払い、振るい、かわし、叩き、弾く。
 両者の斬撃はとても他人が分け入る隙などなかった。それほど高いレベルで、互角の戦いを繰り広げている。
「……なるほどな」
 そんな、いつ命が散るとも知れない状況でも、アイザードの冷静さはまるで変化がなかった。
「お前、やっぱ強いなぁ。初めて会った時にも思ったもんだよ。身のこなしとか、まとわりついている雰囲気とか、そういうのが他の騎士とは違うもんな」
「うるせえ!」
 涙さえ混じった声で、グレイスは刃を振るう。それを軽々と弾き、アイザードは突きこんだ。
「どうして! お前が! 魔王なんだよ!」
「知るか。オレだって、なりたくてなったわけじゃねえ」
 突きを首をひねってかわし、足払いをかける。アイザードは軽く跳び、両手の剣で思い切り斬り込んだ。
「魔族は生まれながらに魔力を持っている。その大小で上下関係が決まるんだ。オレの親父は、先代の魔王だった。その子であるオレも、生まれながらに魔王になる素質を持っていたんだ」
 力だけでは弾けぬ斬撃をうまく力を流し、グレイスは踏み込む。代わりにアイザードは後ろに下がった。
「力を持つ者が上に立つ。それは、オレが生まれるずっと前からの、オレたちの掟だ。必然的に、オレは全ての頂点に立たざるをえなかった」
 さらに踏み込もうとすると、横から剣が飛んできた。仕方なく、グレイスはひねってかわし、その場で空気を切り裂くような攻撃を仕掛ける。
「なあ、グレイス。オレは、魔王なんだ。あらゆる魔族の上に立って、連中を導き、守らなきゃいけない。それは、オレが生まれた時からの約束事なんだ。オレ自身に義務はないかもしれないけど、責任があるんだよ、オレには」
「だからって……、だからって!」
 アイザードは踏み込んで攻撃をそらし、足を狙って刃を突きこんだ。グレイスは足をあげてかわし、剣を蹴飛ばす。
「お前、本当に強いな」
 互いの動きが止まった。ぴたりと、空気さえも固まる。
「お前の体術、剣術、どちらもオレと同じか――いや、お前の方が少し上ってところか。たいしたもんだよ。オレ、今のところ、誰にも負けちゃいないんだけどな?」
「このまま、お前を止めてみせるぜ」
「悪いが、それは無理だな。なにせ、オレは魔王だから」
 すっと、アイザードは目を細くした。空気が冷えていく。本当に温度が下がっているようにも思えた。
「オレが魔王と呼ばれるワケ。特別に、お前にも見せてやるよ」
 明らかに剣は届かない間合いだった。そこで、アイザードは片方の剣を振るう。
 瞬間、嫌な予感を覚えたグレイスは、剣を前にして後ろに跳んだ。衝撃は、すぐさまやって来た。
 剣越しに伝わる振動、手が痺れるほどの衝撃。目には見えない一撃が、グレイスを襲っていた。
「こりゃ、まだ軽い方だぜ? 本気でやれば、お前の体はさっきので粉々だ」
「これが、お前の魔法ってわけか」
 グレイスの額に冷や汗が浮かぶ。アイザードの言葉がハッタリや冗談ではないと、肌で感じ取っていた。
「なあ、わかったろ? お前じゃオレには敵わない。だから、素直に負けを認めてくれ。別に殺すつもりはないんだ。ただ、オレたちを見逃してくれれば、それでいいんだ」
「はッ! 嫌だね」
「――まあ、言うとは思っていたけどよ。こう、面と向かって言われると、やっぱ悲しいよなぁ」
 アイザードの顔から、色が消えた。様々な感情、表情、その他、全てが消え去る。残されたものは、石のように冷たい硬さだけ。
「そうか、そうだよなぁ。仕方ない、か。じゃあ、すまねえな、グレイス」
 大きく踏み込みながら、アイザードは両手の剣を振るう。グレイスは、自ら衝撃の中に飛び込んでいった。同時、剣で払う。
 剣と衝撃がぶつかり、ギリギリと拮抗し。
 そして、弾いた。
 バン、という物凄い衝撃音と共に、グレイスは宙を舞う。高く舞い上がった体は地面に叩きつけられ、肺の中に残っていた全ての空気を力任せに吐き出させた。
「お前じゃ、オレには勝てないよ。剣だけならギリでお前が勝つ。だが、ルーンを使いこなせないお前じゃ、オレの魔力には歯が立たない。格が違うんだ」
 グレイスは、すでに指一本さえも動かすことはできなかった。まだ息はあるが、身じろぎさえもできないほどの激痛にさいなまれていた。
 そんなグレイスを見下ろしていたアイザードは、ふと顔を上げる。
「アイザード様」
「ああ。援軍みたいだな」
 遠くから、誰かの声が聞こえていた。おそらくは騒ぎを聞きつけた騎士団あたりが、こちらに向かっているのだろう。
「じゃあな、グレイス」
「殺さないので?」
「さっきも言ったろ。それに、お前だって、その方がいいだろ?」
 アルビスは無言のまま、そっと顔を伏せた。
「さて、と。じゃ、オレたちは行くぜ」
 倒れたグレイスを越え、アイザードたちは裏路地を走っていく。
「オレに、お前を殺させないでくれ」
 小さく残した声は、いつまでもグレイスの耳奥に響いていた。
 いつまでも、いつまでも――。

 騎士団たちが利用している宿の一階。関係者以外は立ち入れないその場所で、リットは騎士団員から報告を受けていた。
 長々とした説明の後、ゆらゆらと椅子を揺らしながら、リットは言葉を紡ぐ。
「取り逃がしたか」
 感情の色が全く抜け落ちたリットの言葉に、騎士団員は青ざめた顔で返す。
「ハッ、申し訳ありません!」
「いや、いい。私も発見できなかったのだし、仮に私が見つけていたところで、奪還は不可能だったろう。それは他の誰でも同じだ。まさか、魔王直々に迎えに来るとはね、予想外だった。
 むしろ、下手に囲って被害が増えなかっただけ、よしとしようじゃないか」
「本当にそう思っているなら、そういう声音で言ってあげたらどうっすか? 部下さん、ビビってるにゃん」
 隣の卓に座るディックをにらみ、リットは鼻を鳴らす。
「君とて捜索には失敗しているんだ。何かを言う権利はないと考えるね」
「それは八つ当たりだろん。実際、あいつが相手じゃ誰にもどうにもできなかった。だからこそ、姫君を大切にしているんじゃないのかにゃー?」
 リットは言葉が詰まった。意味のわからない会話に、騎士団員はおろおろと両者の顔を見比べている。
「……まあ、いい。君は戻って休んでくれ、ご苦労だった」
「は、はい! 失礼します!」
 そそくさと逃げる騎士団員の背中を見つめながら、リットはため息をもらした。
「実際、彼が奪還されたというのは痛いね」
「情報源がなくなったってのも痛いが、適切な治療を施され、再び敵として戦うってのはますます厄介だなん? あいつの障壁は、俺で破れるかどうかってところだと思うね」
「おいおい、あらゆるルーンで最高の攻撃力を持つ暗黒で五分では、我々に勝ち目などないぞ」
「実際、ないんじゃないすか。魔王軍は数も質も高い。明らかに戦争を起こすつもりのメンバーっす。
 ところが、人間サイドはろくに戦いの準備さえ整っちゃいない」
「結果、人間は死滅する、とでも?」
 言って、リットは首を横に振った。
「少なくても今はまだ、人間の滅亡にはならないさ」
「グレイスが生きているから」
 ディックが言うと、リットはパチンと指を鳴らした。
「正解。彼女は魔族にとって唯一の懸念材料たりえるはずだ。今はまだ覚醒していないようだがね。
 すなわち、彼らが最初に狙うのは、彼女。グレイスが生きている間は、連中も大きな作戦行動には移れないだろう」
「つまりは、グレイスの護衛に全てがかかっているってわけだなん」
「しかし、あらゆる戦闘能力者をグレイスの護衛にするわけにもいかない。グレイスはキーだが、扉そのものが消し飛んでしまえば、鍵も何もあったものではないからね」
 予想を織り交ぜた現状を語ったリットは、再びため息を漏らした。
 数で守れない以上、少数精鋭で守り抜くしかない。そして、その精鋭には、間違いなくリット自身や、ディック、ウィル、サイモンといった仲間たちが入ることになる。
 責任は重大。人間の命運がかかっているとさえ言える任務。
「少しは予想していたといっても、実際に起きてみると、実に絶望的だね。このまま逃げ出したくなるくらいだ」
「それならライバルが減って、嬉しい限りっすね」
「……ディック・ハーション」
 改まった声に、ディックの表情も少しだけ真剣さが増す。
「君は、最後まで彼女を守れ」
「あんたは?」
「私は神聖騎士だ。彼女を守らなければならないのと同時、他の連中、君や部下たちの命に対する責任も負っている。私が逃げるのは、常に最後でなければならない。それが、将たる者の勇気というやつだ」
 リットが口を閉ざしたことで、沈黙が降りた。
 今、食堂にはリットとディックしかいない。そのため、物音さえも響かなかった。ただただ、重いだけの沈黙が部屋を支配する。
「リット」
 静寂を破ったのは、ディック。
 リットを真似るように、ディックも言葉を紡ぐ。
「覚悟が潔いわけじゃない。戦いなんてのは、最初から醜いものだなん」
「わかっているとも。私とて、易々と殺されるつもりは毛頭ない。なにせ私は、エリートだからね」
 頷き、リットはテーブルにひじをついた。
 ふと、天井を見上げる。その先にあるのは二階。彼女の部屋がある場所だ。
「まずは、姫君に元気になってもらわないと困るねぇ」
「そうだなん。あの子には、涙は似合わない」
 言いながら、ディックも同じように天井を見る。
 その先で眠る少女のことを、想いながら。