食堂には暗いムードが漂っていた。 敵将に逃げられてしまった。それは騎士団にとって恥以外の何物でもない。まして、一度は捕縛に成功したのだ。これ以上の恥はなかなかない。 まるで葬式のようなムードの食堂の中、際立って暗い空気を携えた女性がいた。言うまでもない、グレイスだ。 グレイスの前には朝食が並んでいるが、どの皿も手をつけられた様子はない。グレイス自身、それらの皿を眺めたまま、手を動かそうとはしていなかった。 「食べないのか」 グレイスはうつろな視線を向かいの席に移した。ガタリと椅子に座ったのは、親しい召喚騎士。 「サイモンか。大きなお世話だよ」 「食欲がないからといって、何も食べないのはよくないな。それでは、いざという時に何もできないぞ」 「……いいんだよ。どうせ、オレじゃあ勝負にならないんだから」 「グレイス、口調」 言って、サイモンはため息をつく。 「まったく、君がそんな調子では、こちらまで気が狂うね。何も考えずに剣を振り回している方がよほど君らしい」 「悪かったな、考えなしで」 「悪いとは言っていない。少なくても、今はそうあるべきだな。君だって、考えてどうにかなる問題とそうでない問題の区別くらいはつくはずだ」 じろりとにらみ、グレイスは背もたれに体を預けた。ぎしりと椅子が鳴る。 「知るか、ったく」 天井を見上げるグレイス。そこに、 「こんなところにいたのか」 現われたのはリット。手に書類を持っている。 適当に椅子を引っ張ってきてそれに座ると、リットは書類に視線を落とした。 「んだよ、お前まで。忙しいんじゃないのか?」 「実際に動くことだけが仕事じゃない。それに、部下たちは引き続き捜索をしている。まあ、無駄だろうがね。いつまでもこの近くに留まる理由はあるまい。ケガとて完治したわけじゃないんだから」 言いながらも、リットの目は止まらない。これもまた、彼の仕事なのだ。 「うーむ……、このままでは予算が削られてしまいそうだな。グレイス、何か良い考えはないか?」 「知るか。なんでオレがお前らの予算の心配までしなきゃならないんだ」 「戦いのスキルだけでは良くないぞ。エリートとは、戦いだけでなく計算と言語能力も必要とされる」 「オレはエリートなんてぇもんになるつもりはねぇ」 言って、グレイスはリットに背中を向けた。彼女の後ろで、青年は小さくため息をついた。 「グレイスー!」 ドタドタドタ、と駆け回る音。顔を上げると、ウィルが飛び込んできた。 「んおっ!?」 ギリギリの体勢でキャッチする。椅子がガタンと大きく揺れた。 「グレイス、外に行こう! 外に!」 「外ぉ? 悪いけど、ウィル、今日はそういう気分じゃなくてだな」 「外に出ればそういう気分になるって! ほらほら、早く!」 「お、おい!」 腕を引っ張り、強引に連れ出そうとするウィル。よろよろとグレイスも立ち上がった。そのまま、ウィルはグレイスを外に連れて行こうとした。 「お、おい、ウィル! どこに行くんだ?」 「どこにでも!」 「どこにでもって何だよ!? ちょっと、リット! サイモン! 止めないのか!?」 ふたりは揃ってウィルとグレイスを見て、首を横に振った。 「……まあ、止める理由がないね」 「見ての通り、私は仕事で忙しいのさ」 「お前はさっきまで休憩とかなんとか言ってだろ!? だいたい止める理由がないってなんだ、オレが止めてくれって言ってるんだぞ!?」 なんだかんだと叫びながらも、グレイスとウィルは揃って宿を出て行った。 そんなふたりを眺め、ぽつりと、リットは呟く。 「ウィルなら、成功するかな。グレイスは彼に心を許しているようだし」 そんな彼の言葉に対して不満げな目を向けたサイモンは、けれど結局、何も言わないままだった。 行く当てのないまま飛び出したふたりは、ふらふらと市場の方にやって来た。 店に並ぶ怪しげな商品を冷やかしたり、たまに見つかる甘そうな果物を買い食いしたり。グレイスも食欲がないなどと言っていたが、歩き回る間に腹が減ったのか、少しずつ食べたりしていた。 気乗りしない様子だったグレイスも、徐々に楽しんでいく。生来、暗いままの気分でいるのは性に合わないらしい。 「なー、ウィル。結局、何がしたかったんだ?」 夕方頃になって、グレイスは改めて聞いてみた。朝とは随分と調子が異なり、普段ほどではないにしろ、かなり元気になってきている。 「んー? 別に。オイラはグレイスと遊びに行きたかっただけだぞー?」 「ふうん……」 さすがのグレイスも、そろそろ今朝のふたりの奇怪な行動や、ウィルが突然に遊びに連れ出した意味などに気づいていた。しかし、口に出すことはしない。 ウィルと並んで宿に戻ると、まだ時間が早いせいか、食事場に人影はほとんどなかった。その中でひとり、立ってふたりを待ち続けていた男がいた。 「や、お帰りだなん」 「おう、ディック」 出迎えたディックは、にんまりと笑い、背中の剣を引き抜いた。剣が夕陽を浴び、燃えたように輝いている。 「ついでだから、一戦、どうかなん?」 その理由を、グレイスは聞かずとも悟った。サイモン、リット、ウィル。仕上げにディックが出てきたというわけか。 「オッケー。外に出ようぜ」 軽く言うと、グレイスはディックを店の前に誘った。そこで、互いに剣を引き抜き、相対する。 往来のど真ん中。歩く人々は、引き抜かれた剣に不穏な空気を感じ取って、そそくさと逃げていく。 だが、実際には、不穏なものなど何もなかった。それは、本当に剣を持って戦う者ならば、すぐさまわかることだった。 「それじゃ、行くっすよー」 間延びした口調で言い、ディックは剣を振りかぶったまま駆けた。風を巻き込んだ斬撃を、グレイスは弾くようにして受け流す。 「グレイス。君は何の為に戦うんだなん」 ガン、と剣と剣がぶつかり合う。火花が散る。 「守るためか。殺すためか。探すためか。 肯定するためか。否定するためか。 なんでもいいんす。ただ、騎士の剣は迷っちゃいけないんだなん。目的のためだけに、剣を振るわなきゃいけない」 剣と剣が激突する音が、まるで何かしらの音楽のように、高らかに響く。 斬撃、回避、刺突、防御。 命のやり取りにも似た、お遊び。 「さあ、グレイス。君の所以、聞かせてくれるかなん」 「あたし……、いや、オレの所以は」 強く踏み込んでディックの剣を弾き、そのままコンパクトな動作で突きこむ。 刃が、ディックの喉に突きつけられたところで止まった。 「オレは、魔族も人間も手を取り合えるような世界にしたい。いつか、一緒に笑いたい。オレの剣でそれができるなら、やってみたい」 それを聞いたディックは、満足そうに笑った。 「なら、それを成すためにどうすればいいかも、もうわかってるなん?」 「ああ」 剣を引き戻し、鞘に収めたグレイス。その瞳には、今まで以上の強い強い光がたたえられている。 「魔族が人間を攻めるってなら、片っ端からぶっ飛ばす。んでもってアイザードのバカヤロウも殴り飛ばして、正気に戻してやる。 人間と魔族は、手を取り合える」 「それでこそ、我らが姫君だなん?」 ディックを見上げたグレイスは、晴れ晴れとしていた。 そんなふたりの様子を、宿の二階から眺める影がふたつ。 「ほら。うまくいっただろう」 「……まるで僕ではうまくいかなかった、と言いたげだな」 「残念ながらその通りだね。君の言葉はいちいち説教的すぎる。落ち込んだ人間を慰める言葉ではないね」 「なら、君のやり方が正しかったとでも言うのか?」 「私のやり方も間違いだ。だから彼らに任せたのだが?」 リットを憎々しげに見つめ、サイモンは言った。 「リット。僕は君のそういうところが嫌いだ」 「余裕がないね。大人ならば、このくらいの嫌味は軽く受け流すべきじゃないかな。まだ子供だというのなら話は別だが」 反論できないのか、それとも反論したくないだけか。サイモンは再び窓の下、向かい合うふたりの騎士に視線を移す。 「――ウィルはともかく、ディックまで出張るとはね」 「彼からすれば当然だと思うけれどね。意中の人間が落ち込んでいて、動かない男もいないだろう」 「意中?」 「好き、ということだよ」 「言葉の意味を聞いているわけじゃない」 そうか、と興味なさそうに呟いたリットは、窓に背中を向けた。 「ああ、そうだ。そろそろ我々はこの都市から引き上げる。その旨を彼らにも伝えておいてくれ」 「君はどこに行くんだ」 「決まっているだろう」 ベッドの上に放り出してあった書類の束を手につかみ、リットは部屋から出て行く。 「仕事だよ」 ひとりになったサイモンは、ため息をもらした。 「グレイス・フェイリアー。茜色の姫君、か」 大昔の伝説。魔王との因縁。魔族の侵攻。そして、仲間としての彼女。 「課題が山積みといったところかな。面倒に巻き込まれたものだよ」 愚痴るように独り言をもらしたサイモンもまた、ゆっくりと部屋から外に出る。 宿の外から、快活な笑い声が響いてきた。 |