そこは、赤と黒で統一された空間だった。黒い柱、黒い床、黒い壁。ただ、絨毯だけが血のように赤い色彩を放っていた。
 その空間には、男たちばかりが集まっていた。荘厳な椅子に座る青年の前に並ぶ男たちは、一様に緊張した面持ちだ。
「魔王様。何故、あの女を殺さなかったのですか」
 控えた男たちの中からひとりが前に出て、言った。アイザードはそちらに目を向け、興味なさそうに聞き返す。
「グレイスのことか?」
「はい。あの人間はプリンセスになりうる可能性があります。騎士たちが守っていたことがその証拠。どれだけの可能性であるかは不明のままですが、潰せば消える可能性は潰しておくべきです」
「何も考えなしで殺さなかったわけじゃない。あいつは強いぜ。アルビスがやられたぐらいだからな。下手に手を出せば、こっちの被害だって並じゃない。可能性を潰すだけで、そこまでの存在を受けるわけにはいかねえ。なにせ」
 目を細める。それだけで、立ち並ぶ魔族たちは小さく震えた。
「こっちは、人間って種族を相手にしようとしてるんだ。場合によっちゃ、幻獣も竜種も向こうに味方するかもしれない。生きるために死んでたんじゃ、本末転倒だぜ」
「けれど! プリンセスさえ殺してしまえば、我らが敗北することはありえない!」
 断言する。その自信は、魔族たちに共通してあった。根拠は、彼らの目の前に座っている。
「……確かに、オレは竜種なんざにゃ負けないけどな」
 アイザード・フレイワー。歴代の魔王たちの中でも最も聡明で、最も強く、最も幼くしてその座を手に入れた、伝説的な男。
 生きる奇跡を前に、彼らは高揚していた。酔っていると言ってもいい。力に溺れ、攻撃的になっていた。
 アイザードはぐるりと場を見渡す。
「他の連中も同意見か?」
「わたくしは賛成です、魔王様」
「私も賛成します、魔王様」
 方々から賛成の声が上がる。誰もが、彼女を殺すことで解決できると、本当に信じきった目をしていた。
 アイザードは、ため息をつく。そして、自分の胸に手を当てた。
 目を閉じ、口も閉じる。魔族たちは、魔王の言葉を待った。
 どれだけの間、そうしていただろうか。長く短い時間の後、アイザードは目を見開いた。感情は消え、覚悟だけがその瞳に宿っていた。
「よし、わかった。これより我らが軍勢は、侵攻を開始する。目標はグレイス・フェイリアー。邪魔をする者は残らず殺せ、命を奪え。ひとりも生かす必要はない、敵は消せ! それが我らの歩む、血塗られた道よ!」
 おおお、と、地鳴りのような声がとどろく。
 立ち上がり、アイザードは拳を振り上げた。
「総員、戦闘準備! 完了次第、攻撃行動に移る!」
 魔族たちは叫び、各々、戦いの準備のためにその場を立ち去る。その中、ひとりだけ残った魔族がいた。
 重厚な鎧に身を包んだ魔族――アルビスは、主である青年を心静かに見つめる。
「よろしいので? 彼女を、殺しても」
「何が言いたい、アルビス」
「いえ。ただ、魔王様のお心に影が残っては、と思っただけのことです」
 言って、アルビスも他の仲間たちと同じように扉に足を向ける。そんな彼の背中に、アイザードは声を張り上げた。
「アルビス! オレはいつだって、後悔しない道を選んできたつもりだ!」
 ガチャリ、と足を止めたアルビスは、背を向けたままに言う。
「なれば、その命令を遂行するのが我々の役目です」
 それ以上は何も言わず、重々しい音と共にアルビスは立ち去る。
 残されたアイザードは、腰の剣に手をかけた。暗黒のルーンを刻まれた刃が、微かに鳴動する。
「悪いな、グレイス。どっちも生きるなんてのは、不可能だ」
 呟き声は、分厚い絨毯に飲まれて消えた。

 ラブフランジェに向かう道程を、大勢の騎士たちが歩いていた。言わずと知れた神聖騎士団の面々である。
 アルビスを逃した以上、彼らもいつまでも他の都市に滞在するわけにはいかない。あらゆる場所で魔族の進行は続いているし、ラブフランジェとていつ危険に陥るかわからないのだ。
 そんな行列の只中に、グレイスはいた。
「なあ。暑苦しいんだけどよ」
 グレイスは周囲を見渡し告げる。左右にはサイモンとディック、前後はウィルとリットが挟んでいる状態だ。
 そんなグレイスに対する反応といえば、
「君は守られるべき立場なんだ。少しは自覚をしたらどうなんだ」
「まーまー、たまにはいいと思わないかなん? ほらほら、女の子が憧れるお姫様みたいな扱いで、気分いいだろん?」
「だーかーらー、それが暑苦しいつってんだよ」
 グレイスの言葉を、サイモンとディックはまったく聞くつもりがない。
 グレイスはそんなふたりに重い息を吐きつつ、
「だいたいさ、なんであたしが守られなきゃいけないんだよ」
「説明しただろう。君は魔王の顔を知っている。実際に戦い、その実力も確かめている。何より、魔族の誇りである魔王に刃を向けた。どれを取っても、君は危険なんだよ」
「それが納得できねーっての」
 グレイスは頭の後ろで手を組み、空を見上げた。そこに、会えない彼の顔を思い描くかのように。
「アイザード、そんなに悪い奴とは思えないんだよ、やっぱ。前に墓場で会った時、あいつは決して悪い人間とは思えなかった。いや、むしろすっげーイイ奴に見えたんだぜ? 魔王っても、そんなに危ないとは思えないんだよ」
「それは楽観視が過ぎるかなん。魔王はどーだか知らないけど、少なくても軍隊としてはグレイスを殺したいはずだろん? そうでなくても、アルビスを倒したんだから。危険なのに変わりはないってわけだにゃん」
「――ちっ」
 反論できないと悟ったのか、グレイスは舌打ちし、そのまま黙った。
 そのまましばらく進む。街道の左右は腰よりも高い草木がどこまでも続いており、どことなく壮観な眺めだ。
 そんな中。ふと、ウィルは足を止めた。
「どうした、ウィル」
「……聞こえる」
 たった一言。その次の瞬間、
「総員戦闘配備!」
 リットは鋭く叫び、同時に盾と剣を構えていた。
 神聖騎士団の面々がそれぞれ剣を引き抜く。グレイスもまた、柄に手をかけた。
「ウィル、どっちだ」
「左右――多い!」
 ウィルの叫びをかき消すように、突然、左右の草木が燃え上がった。
 爆発にも似た炎の出現。そして、揺れる灼熱の中から、それらは動き出す。
「ようやく見つけた。姫君よ」
 赤々と燃える炎を拒絶する、白い影。それが、彼の全てを物語っている。
「貴様!」
 サイモンが語気も鋭く、槍を向ける。グレイスを守るように動きながら、リットは尋ねた。
「知り合いか」
「以前、人間を利用して殺していた魔族だ」
「誤解を招くような言い方はやめてもらいたいものだ」
 白い魔族は肩をすくめる。その姿には、明確な余裕があった。
「それでは、まるで外道のようではないか」
「まさにその通りだ、外道」
「口が過ぎるぞ。第一、人間とて使えなくなった道具は廃棄するだろう。それが動物であろうとも。違うか?」
「それがまた、貴様の言う『先を見据えた動き』とかいう奴か? 冗談じゃない。何かを犠牲にした上での未来など、意味がない」
「それがまた愚かだと言うのだよ、人間。未来は何も犠牲にしないままで得られるものではない。今回、犠牲にならなければいけないのは、たったひとりの人間だ。それだけで全てが丸く収まる。どうだ? 簡単だろう」
「ちょっと割り込ませてもらうよ」
 白い魔族の視線が、リットに移る。
「お初にお目にかかる。リット・ホーリビスだ」
「名乗らんよ」
「結構。知りたくもない。私が聞きたいことはひとつ。魔族、お前たちはどうして姫を狙う。魔族が滅ぶとは、どういう意味だ」
「さてな? 知りたければ、殺せ。殺して殺して殺していけば、その先にようやく、偽りの真実を見つけられるんじゃないか?」
「なるほど。私は、君が嫌いだ」
「ふむ、同意権だよ」
 白い魔族は軽く手を挙げる。同時、サイモンは鋭く踏み込んだ。
 気にせず、魔族はパチンと指を鳴らす。槍先が白い魔族の顔面に迫り――。
「愚かしい」
 それが、甲高い金属音と共に弾かれた。
「ッ!」
 素早く下がるサイモン。その直後を、銀光が駆ける。
「単独で姫狩りに来ると思ったか?」
 炎に包まれた草地。その中から、手に手に武器を持った魔族たちが姿を現した。
 しかし、アルビスの連れていた部隊とは、どこか違う。瞳に輝きはなく、それぞれの動きは、まるで生物ではないかのように正確で乱れも無駄もなかった。
 挟まれた形になる神聖騎士団は、いきなり現われた幽鬼のごとき一団にも、恐れを見せず果敢に斬りかかる。
 しかし、対する魔族はさらりとかわし、返す刃で切り伏せる。鮮血が顔にかかっても、魔族は表情ひとつ変えることはなかった。
「こいつら、操られて……!?」
 時はすでに遅く。
 人形のごとき魔族の兵たちが、互いに連携した動きで騎士たちに斬りかかる。騎士団も全力で押し返すが、揃いきった動きを前に、次々と打ち倒されていく。血が、街道に赤い花を咲かせる。
「さあ、狂乱の宴を始めようではないか。茜色の姫君よ!」
 白い魔族の狂気に満ちた笑いが、炎色の草原に響き渡った。