大空を、水竜の巨体が高速で飛ぶ。冷たい風に晒されるグレイスの表情は暗い。 「サイモン、大丈夫だと思うか」 「冷静に考えれば、大丈夫なわけがないなん。リットでさえ倒せない相手。いかに幻獣の支援があろうとも、ひとりでどうこうできるわけがないっしょ」 竜の背の上で寝転がっていたディックは、むくりと起き上がった。 「……グレイス。失敗は許されないっすよ」 「それは、わかってる」 皆が命を捨ててまで生かそうとしてくれた。それを、無為にするわけにはいかない。 「でも――、何をすりゃいいんだよ?」 「さてな」 「さてなってお前、無責任だな、おい」 「だから、ラブフランジェに行くんだろん」 「……だから?」 ディックは首肯し、 「俺も、姫君の詳しい伝説までは知らないなん。けれど、リットはそれを調べていた。ラブフランジェのあいつの部屋に行けば、多少は情報が得られるはずだろん?」 「それで、どうにもならなかったら?」 「その時は敵をぶち倒して情報を得るしかないかにゃー」 はは、と軽く笑う。話はそれで途切れた。 どこか重苦しい空気を乗せたまま、水竜はひたすらに神聖都市を目指す。 「……あれ?」 しばし飛んだところで、声を漏らしたのはウィルだった。 「どうした、ウィル」 「あれ。ラブフランジェじゃ?」 「どれどれ」 体を横たえていたグレイスは起き上がり、じっと遠くに目を凝らした。 かなり遠くに海が見える。その手前にあるゴチャゴチャした何かが、神聖都市だろう。そこから、小さな線が空に向かって伸びていた。 「なんだ、ありゃ」 「煙だなん」 「そうか、煙か。煙?」 「どうやら、急いだ方が良さそうだなん? クシュタール、お願いできるか」 「任せろ」 竜は加速する。それにつれ、徐々に都市の輪郭が見えてきた。 立ち上る煙。崩れた家並み。町は閑散としており、遠目にも人の気配がないのがわかる。 「なにやら、やばそうな雰囲気だなん。クシュタール、少し離れたところで降りてくれないか」 「うむ。こちらも、限界だ」 都市に入る前の街道上に降り立つと、クシュタールは首を左右に振った。 「そろそろ、刻限のようだ……。これ以上は、手助けできぬ」 「十分だ。ありがとう、クシュタール」 三人が見守る前で、水竜は霞のように消えてしまった。召喚された生物は、騎士から離れたところでいつまでも居続けることはできない。 「さて。これから、どうする?」 「とりあえずは町に行ってみるしかねーだろ」 「待った」 歩き出そうとするグレイスの前に、ウィルが立つ。背中の斧を引き抜きながら、彼の視線は街道を挟む林に注がれていた。 「敵か」 グレイスとディックも剣を抜く。警戒する三人の前で、林の奥からがさがさと音が響いた。 「久しぶりだってのに、ずいぶんとご挨拶だねぇ」 声が響く。その声は、グレイスには聞き覚えがあった。 「お前、ミスティアか!?」 「他に誰がいるってんだい」 林の影から姿を現したのは、顔に傷を持つ女性。互いの間合いの外、微妙なラインで、ミスティアは止まった。 「知り合いかなん?」 「ああ、ディックは初めて会うんだっけか。ミスティア・バンディオ。ミスティック盗賊団の頭目だよ」 「へえ。ミスティアっていやあ、ここらでは有名な盗賊だったはずだなん? そんなのとまで知り合いとは、驚くねぇ」 「誰だい、あんた」 ミスティアは訝しげな視線を送る。それを正面から受け止め、ディックは不敵に笑った。 「俺? 俺はディック・ハーション。暗黒騎士だなん」 「暗黒――!?」 反射的に腰のナイフに手を伸ばしつつ、ミスティアはディックを品定めするように見つめる。一方のディックはと言えば、ミスティアの警戒具合とは裏腹に、ずいぶんと余裕な態度だ。 「……どうやら本当みたいだね。グレイス、こいつ、大丈夫なのか?」 「なんでお前にそんなことを証明しなきゃならねーのかわかんないけど、ディックは仲間だよ」 ふん、と鼻を鳴らし、ようやくミスティアはナイフから手を離した。 「ちょうどよかった。あんたらみたいなのがいれば、心強い」 「どういうことだよ。別にお前と仲良くした覚えはねーぞ」 「今なら嫌でも仲良くしなきゃいけないんじゃないかねぇ」 ミスティアはごそごそと服の下を探ると、一枚の巻物を取り出した。 「ほら」 放り投げたそれを受け取り、グレイスは紐解いて視線を落とす。 「……読めねえ」 「どれ、貸してみなん」 グレイスから巻物を受け取ったディックは、素早く中身に目を通し、それを声に出した。 「近況報告。東側、騎士団・クローディア抗争中。西側、クローディア・アルカメイト・グランツ抗争中。北側、ミスティック盗賊団占拠中。南側、騎士団占拠中」 「どういうことだ?」 「つまり、ラブフランジェは戦場になってるってことさ」 それは、ある意味で予想された出来事だった。 騎士団の主力たるリットたちがいなくなり、各都市は魔族の攻撃を受けて援軍が出せない状態。 犯罪が発生する下地は、すでに生まれていたのだ。だからこそ、この状況も当然とさえ言えるかもしれない。 あちこちの犯罪グループの横行。それに対応しようとする、残された騎士団メンバー。その混乱を狙い、さらに動く他のグループ。 混乱が混乱を呼び、かつては一部の治安が悪くとも決して住みにくくはない場所であったラブフランジェも、今ではただの戦場に過ぎなかった。 特に、リットはその存在だけであらゆる犯罪グループに対する牽制になっていた。彼は自称だけでなく、本当の意味でエリートだったのだ。その彼がいないというのは、かなり大きな影響を与えていた。 その中で、ミスティック盗賊団も動いていた。 他のグループを潰し、騎士団を影ながらにサポートする。また、都市の北方を占拠し、そこに居住する人たちの安全を確保する。北側は、特に貧しい人が多いブロックだ。それだけ、力のない者も多い。 話を聞き終えたところで、グレイスは吐息をついた。 「お前らがそんなことをするなんて意外だな」 すでにグレイスたちは警戒を解いていた。ミスティアに戦意がないのは明らかだったし、都市の現状は詳しく知りたかった。 「アタイらは義賊ってわけじゃあないが、戦争は嫌いでね。戦う力のない人間が死ぬってのは好みじゃないんだよ」 勝手な理屈ではあるが、それはミスティアらしいとも言えた。 「なあ。オイラたちが住んでいた家はどうなってるんだ」 「騎士団の物件があったところか。あそこは都市の北側に近い部分――今はアタイらが占拠している地区だね。たぶん残ってると思うけど」 「なら、案内してくれるかにゃー。ちなみに、拒否権なんてものは認めないけどなん」 「……アタイたちの縄張りに、アタイを脅して入ろうってのかい?」 「そんだけ、こっちもギリギリの状態なんだよ」 ミスティアとグレイスの視線が、正面からぶつかる。互いに、目をそらしたら負けると言わんばかりの気迫があった。 「そういえば、ダンナともうひとりの騎士の姿が見えないね。どうしたんだい」 「リットとサイモンは……」 一瞬、グレイスの瞳は揺れかけた。けれども、それを自分の意志でしっかりと縫い止め、キッと見返す。 「リットとサイモンは、あたしたちを逃がすために、戦場に残った」 「ダンナが?」 ミスティアは、グレイス、ディック、ウィルと順々に見つめ、首を振った。 「わかんないね。ダンナがそこまでしてあんたらを守ったってのかい? そもそも騎士団に随伴したことといい、あんたらは何者なんだい」 「それを知りたい。そのためには、リットが調べていた内容を知る必要があるんだ。ミスティア。力を貸してくれ」 品定めするような眼差しがグレイスを射抜く。しばらくそうしていたが、やがてミスティアはナイフを引き抜くと、それを地面に刺した。 「グレイス、誓いな。今までアタイとあんたらは敵同士だった。けど、今後は味方だ。何があろうとも絶対に裏切らない。悪党の鉄の掟だよ」 「信じてくれるのか」 「そりゃこっちの台詞だね。ま、あんたは一度でも仲間だっつった相手を簡単に裏切るような奴じゃあないとは思うけどね」 グレイスはひとつ頷くと、ナイフの刃に指を立てた。赤い血が刃先を伝う。 「いいぜ。お前を信じる、ミスティア。あたしは裏切らないし、お前も裏切らない。そう信じてやる」 「いい覚悟だ、グレイス」 ミスティアも同じようにナイフで指を切る。ふたりの血が刃の上で混じり合った。 「これで、あんたらも仲間だ。ま、今だけの戦線協定みたいなもんだけどね」 ナイフを引き抜いて軽く血を拭うと、そのままミスティアは足を都市に向けた。 「ついてきな。今の都市は歩き方にちょっとしたコツがいるんだよ。アタイの後なら大丈夫だから」 そのまま、ミスティアは駆け出す。後ろを振り返ることはなかった。 グレイスはディックたちを一度だけ見て、その後を追う。ディックとウィルもまた、顔を見合わせ、直後を駆け出した。 戦場と化した、神聖都市ラブフランジェに向けて。 |