「ああ言っといてあれだけど、本当に無事に着いたな」
「ま、素直に信じてもらえるとは思っちゃいないけどねぇ。いざって時までその調子じゃ困るよ?」
 遠くから、戦いの声が聞こえる。そんな中でも、グレイスたちが使っていた騎士団の屋敷は無事だった。
 家の中に入り、書斎に向かう。この部屋は、グレイスやウィルはあまり使っていなかったので、勝手がよくわからなかった。
 左右には古びた書物が並び、部屋の奥には机と椅子が置いてある。どことなく、リットの性格を示しているような気がした。
「ここの、どこを探せばいいってんだぁ? めちゃめちゃな量の本があるじゃねーか」
「本は探さないでいいにゃん。探すのは、手紙とか、そういうものっす」
「手紙?」
 言いながらも、ディックはさっさと机の引き出しをチェックし始めている。
「リットはグレイスの性格をきちんと理解しているはずだなん。グレイスが本を読むとは考えられない。となれば、リット自身が調べた内容を手紙にしてまとめているだろうぜぃ?」
「さりげなくバカにしてねーか……」
 グレイスも書棚から本を引き抜くと、ページをぱらぱらとめくってみた。特に手紙らしいものはない。
 本を戻し、次の本を見る。ウィルとミスティアも、同じようにチェックを始めた。
 遠くに戦の声が聞こえる中、ひたすらにページをめくり続ける。それはどこか、非現実的な世界だった。
 グレイスが何冊目かの本に目を通し終えた時。
「あった!」
 声をあげたのはウィルだった。すぐさま全員が集合する。ウィルの小さな手の中に、白い手紙があった。
「ディック」
 手紙を渡されたディックはそれを開くと、内容にざっと目を通した。そして、声に出して読む。
「『混沌を知りたければ竜王に会え』
 これだけしか書いてないっすね?」
「そ、それだけかぁ?」
「……他の連中に読まれることを恐れたんじゃないかい。でないと、あまりにもはっきりしないからね」
「理由は考えても仕方ないじゃん。竜王、ドラグムーンか……。どこにいるのかねぇ」
「ドラグムーンってのは?」
「竜王つったら、伝説のドラゴンキングだろん? その名前がドラグムーン。伝承詩サーガで聞いたことはないっすか?」
 そういえば、とグレイスも思い出した。
 山を砕き、森を焼き払うという絶対なる竜種の王。竜の中の竜、その名は、ドラグムーン。
 実在するのかさえわからない、遠い過去のお話だ。
「ドラグムーンってーのかい? その、竜王は?」
「……ミスティアも知らないのかなん?」
「悪いけど、アタイはサーガを聞いて育てる環境じゃなかったもんでね。そんなアタイの育った地域は、ドラグミーアって言うんだけどね?」
 三人は顔を見合わせ、ミスティアに問う。
「それ、こっから近い?」
「馬で行けば、そこまで極端に遠いってわけじゃないよ。さ、案内してやるよ」
 くいくいと誘うように手をひらめかせるミスティアは、どことなく頼もしげだった。

 ガタガタと揺れる小さな部屋を眺めながら、グレイスはどこか脱力した声で言う。
「なーあ、ミスティアぁ。これって悪いことじゃねーのか」
「なに、世界を救う勇者様がちょっと足を借りただけだよ」
「窃盗じゃねーか!」
「だから、借りただけ。終わったら返すよ」
 揺れているのは、馬車の荷台部分。本来は商人が使うものなのだが、歩いて行ける距離じゃないとかで、ミスティアが勝手に拝借してきたのだ。もっとも、混乱に満ちた神聖都市において、今さら窃盗についてどうこう言うような人間は残っていないのだが。
 運転しているのはミスティアだ。どこで覚えたのか知らないが、なかなか巧みな手さばきで馬を操作していく。
 グレイスは馬車の内部に視線を戻した。所詮は荷馬車、幌はついているが、とても乗り心地の良い場所じゃない。揺れがあまりに酷いのだ。
「しーかーも。なんでお前がいるんだ、爆破犯」
「そりゃひどいっすよ。あん時は爆破してないっすよ?」
 グレイスの向かいに座っているのは、クルートだった。ミスティアの片腕なのだからここにいてもそれほどおかしくはないのだが、グレイスの視線はなかなか厳しい。
「そりゃ、ミスティアには協力するって言ったぜ? でも、なんでお前が引っ付いてくるんだ」
「はは、こいつを借りるのにちょっとクルートに手伝ってもらってねぇ。事情を話したら、一緒に来るって言うもんだからさ。連れて来た」
「相談くらいしろよ……」
「大丈夫。アタイの仲間はクルートにとっちゃ上司も同然だ。アゴで使ってやんなよ」
「姉御。勘弁して下さい」
 どうにも信用ならない、という目で見るグレイス。と、その服の裾をくいくいと引っ張る存在。視線を下げれば、そこではウィルがじっと見上げていた。
「グレイス。こいつら、悪くない」
「あ? いや、そりゃまだ何も……してるけどさ」
「そういう意味じゃなくて。前は、なんとなく信用できなかった。けど、今度はなんとなく信用していい気がする」
「――まあ、ウィルがそう言うなら」
 ウィルは勘が良い。ほとんど獣並みとも言える。そんなウィルの勘は、グレイスも信頼していた。
 ガタガタと揺れる車内。飛びかけたウィルを支えながら、ふと思い出したように、グレイスは聞いた。
「そういやウィル、大丈夫か? こんだけ揺れて?」
「オイラは大丈夫だぞ。グレイスこそ大丈夫か?」
「ちょっと心が折れそうだ」
 言った途端、大きな石でも乗り越えたのか、ぐらっと大きく揺れた。
「あー、グレイス。あんまり喋っていると舌を噛むかもしれないじゃん?」
 前の方から声が飛んでくる。ディックはちゃっかりとミスティアの隣、御者台に座り込んでいた。
「うっせ、そう言うならんなところに座って……!」
 グレイスの言葉は途中で切れる。口を押さえた彼女は、ちょっと涙目になっていた。
「噛んだ」
「ほーら。言わんこっちゃないっていうなん?」
「うっせー!」
 文句を言い、グレイスは口を閉ざした。
 揺れる荷馬車は、ひたすらに目的地を目指している。

 御者台の方から荷台の方を見て薄く笑みを浮かべていたディックは、視線を前に向けた。
 ごく普通の街道。近くに敵の気配はない。そんな道を、馬車は通常よりもかなり早めの速度で走り続けている。
「ミスティア。これで到着はどれくらいになる」
 ふと、ディックの表情から笑みが消えた。
「このペースで行ければ、明日の夕方くらいには着けると思うけどね。邪魔、入るかもしれないんだろ?」
「今はたぶん、大丈夫だろう。連中は俺たちを見失った。探すとすれば都市からだ、街道からなんていう面倒はしない」
「……論拠が薄いね。希望にもならない程度だ」
「あるいは、そう思いたいだけかもしれないがな」
 ディックは背中から剣を引き抜いた。刃の紋様が薄く光っている。
「直接に戦った者なら、おそらくは誰でも思う。あいつとは何度もやり合いたくない。誰かが命をかけたところで、逃げ切れるとは限らない相手だ。倒すなど、ただの人間では無理だろう」
「へえ。暗黒騎士がそこまで言うなんて、相当の相手だな」
「言いたくもなる」
 刃こぼれひとつない、闇色の刀身。これほど強固な剣も、あの男には届かない。
「あいつは全力なんて一度も見せていない。遊んでいるんだ、我々を相手に。
 俺はこれでも、暗黒騎士の中でさえ負けない自信がある。暗黒を極められるところまで極めたつもりだ。だが、それでもあいつに届く気がしない」
「それほどの能力なのかい?」
「能力の問題じゃない、ってところだな。根本的な部分で、あいつは俺たちと違っている。滅ぼすためだけに生まれた、滅びだけをもたらす存在だ、あれは」
「……あんたが言うのかい」
 口元が歪む。自嘲だった。
「まあ、普通の人間から見たらそうなるだろうな」
「暗黒、だからね。ま、あのグレイスが連れているんだ、世間の評判通りの暗黒でないことくらいは予想できるけどね」
「いやいや。間違いじゃない。暗黒は、それそのものが破壊の力だ。何かを壊すことしかできない。俺にできることは、壊す相手を選ぶことくらいだ」
「その時点で変わっているとは思うけどね。暗黒ってのは普通、敵を選ばないものだろ? 世界の全てが敵、くらいの気持ちでね」
「それは、成長過程の暗黒さ。成熟しきれば、そんな気持ちさえなくなる」
 しばし、ふたりの間に重い沈黙が落ちた。ガタガタという車輪の音だけが聞こえる。
 世界中が戦争状態にあるせいだろうか。人の影は、他には見当たらなかった。
「――そんな相手に、どうやって勝つんだい」
「グレイスが本当に力に目覚めれば、すぐにでも勝つだろうさ」
「グレイスがぁ?」
 思わず、ミスティアの視線が荷台に向いた。いつの間にやら、グレイスはウィルと一緒に眠りに落ちている。これだけ揺れている場所で、よくもまあ眠れるものだ。クルートもそんなふたりを眺めながら、苦笑を浮かべていた。
「そこまでの騎士だとは思えないけどね」
「けど、事実だよ」
「根拠は?」
「それに、会いに行くんだ」
 ぶん、と剣を振ったディックは、それを背中に戻す。そして、遠く前を見た。
「俺も真実は知らない。俺が知っているのは、俺にできることだけだ。俺も、答えを知りたい。混沌騎士――カオス・ナイトのことを」
「混沌……?」
 聞きなれない言葉にミスティアは眉をひそめたが、ディックはそれ以上に説明しようとはしなかった。ただ、黙って前を見つめるだけ。
 仕方なしに、ミスティアも運転に集中することにした。
 遠く、目指すはドラグミーア。
 伝説の竜を求めて、馬車は街道をひた走る。