夕暮れの中、馬車はゆっくりと止まった。
「ここが、ドラグミーアだよ」
 ミスティアの声に、荷台からのろのろと顔を出す三人。そして、その景色を見た。
「こいつはすげぇ……」
 夕陽に照らされたその都市は、大きな盆地の中にあった。グレイスたちがいるのは、盆地の外にあたる部分だ。
 馬車から降りると、景色はますます広がる。盆地の全体もよく見渡せた。
「盆地の形がどことなく竜の顔みたいだろ? だから、ドラグミーアっていうんだ」
「なるほどね。それで、この近くにドラグムーンがいるのかなん?」
「そこまでは知らないよ。クルート、何か知ってるかい?」
「いいえ。ドラグムーンってのも初耳だったくらいですから」
 ふむ、と考え込むディック。視線を景色に向け、
「なら、この近くにそれなりの深さと大きさがある洞窟や湖なんかは?」
「北んところに洞窟がある。深すぎて、アタイも最深部までは行ったことがない。けど、そんなところに竜種が住んでいるなんて話、アタイは聞いたことがないよ?」
「いいんだよん、それで」
 言いながらも、すでにディックの足は北に向いている。
「伝説クラスのドラゴンっすよ。そんなもの、おいそれと外に出てくるんなら、伝説じゃなくてただの竜種に成り下がっているだろん。滅多に見られない、もしくは、ずっと誰も見ていないから伝説になるんだにゃー」
「それで、人目のつかない洞窟ってわけか。けど、そんなところにずっと住んでいられるもんなのか?」
「グレイス。竜種が本気で食事をすると思っているのかなん?」
 意味がわからない、と目顔で問うグレイスに対し、ディックは周囲を見渡した。つられて、グレイスも同じように視線を動かす。
 近くには青々とした草木が生い茂っている。今は茜色に染まっているが、昼間に見れば、眩しいくらいだろう。
「竜種は体が大きいぜぃ。俺らよりもずっとだにゃー。そのサイズで腹が一杯になるまで食事をしたら、一日にどのくらいの量を食べるんだろうなん?」
 あ、と誰かが声を漏らした。構わず、ディックは続ける。
「草を食べるにしろ、動物を食べるにしろ、それだけの食事をすれば、明らかに足りないにゃん。つまり、竜種は食べないんすよ、普通の食事ってのを。俺もよくは知らないけど、かすみとか水とかがあれば、生きていけるみたいだぜぃ?」
「……腹、減らないのか?」
「さあ? それは知らないけどなん」
 馬車に乗り込みながら、ディックは言う。
「とりあえずは、明日の早朝、その洞窟に行ってみるってことでどうっすか?」
 四人は顔を見合わせ、小さく頷いた。

「イシュキール」
 清らかな――魂を清めるような声に、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。それでもまだ眠そうだ。
「パリティか……? 何か用か」
 地の底から轟くような声にも、パリティと呼ばれた声は全く怯む気配がない。どころか、むしろ叱責するような調子で、
「イシュキール、あなたがそんな調子でどうするの? 彼女、来ているみたいよ」
「何!?」
 驚いてイシュキールが起き上がった途端、
「ぐっ!?」
 ごがん、と地鳴りのような音が響き、岩が三つばかり転がった。
「何をしているの、イシュキール。ここは狭いのだから、起き上がらないで」
「むう、忘れておった」
「寝ぼけているの? もう。久方ぶりに彼女に会うのだから、もう少しシャッキリしてもらわないと困るわ。ちょっと待ってて、お水を汲んでくるから」
「すまないな」
 パリティの遠ざかる足音を耳にしながら、イシュキールは低くうなった。
「そうか……、とうとう、決戦の時か。
 ――できれば、訪れて欲しくはないのだがなぁ」
 呟く声は、疲れがにじんでいた。

 まだ朝もやも消えない頃合。
「ここだよ」
 洞窟の前に、グレイスたちはいた。
 山中に、ぽっかりと口を開いたその洞窟は、どこまでも深く続いているようにさえ思う。このまま地の底まで続いていると言われても、素直に納得できそうな雰囲気が漂っていた。
「それにしても、本当にここに入るのかい?」
「可能性はひとつずつ潰していくしかないにゃ。時間はあまりないけど、他に方法はないだろん?」
「そうと決まれば、行くぜ」
 グレイスを先頭に、一行は洞窟の中に入っていった。
「グレイス!」
 投げ渡された明かり代わりのナイフを受け取り、グレイスはさらに奥へ奥へと進んでいく。すぐさま入り口からの光は届かなくなり、どことなく湿ったかび臭い空気に包まれた。
 足元はつるつると滑る上、人が通れるように整備されていないので、とても歩きにくい。幸いなのは、ディックがしっかりと立ってもなお余裕があるほどに天井が高いことくらいだろうか。
 何度も現われる分かれ道を、どこまでも歩き続ける。何が出てくるかわからないので、警戒しながらだ。緊張を強いる作業はすぐさま体力を奪っていくが、グレイスたちは歩みを止めない。
 やがて、本当に疲れが溜まってきた頃。
「音がする」
 グレイスの後を歩いていたウィルは、唐突に言った。
「何の音だ?」
「これ、水の音だ」
「どっちだ?」
「こっち」
 ウィルの先導に従って歩くと、やがて分かれ道に出た。ウィルは迷わず右の道へ。
 さらに進むと、少し開けた空間に出た。
「クルート。合体で」
「任せてください」
 ミスティアとクルート、ふたりのナイフが重なり、強い光を放った。
「こいつは、湖か?」
「地底湖、って奴かなん」
 そこに広がっていたのは、広大な水辺。盗賊たちが重ねたルーンの力でさえ、全域を照らし出すことができないほどに広い。
 そこには、綺麗な水があった。グレイスがそっと手ですくってみると、ひんやりと冷たい感触が伝わってくる。
「これ、飲めるのかな?」
「オイラが試してみる」
 くんくんと水の匂いを嗅いだウィルは、そのままペロリと舐めてみた。
「うん、大丈夫だ、これ。ただの水だよ」
「っしゃあ! じゃ、ここで休憩にしようぜ。さすがに疲れる」
 どさりと腰を下ろしたグレイスの周囲に、めいめい、座り込む。グレイスでなくとも、さすがにこの行軍は疲れるのだろう。
「こんなところに湖があるとはねぇ。ちっとも知らなかったよ」
「さすがに、ここまで奥はなかなか来れないか」
「まあね。ここらにいた頃は、アタイたちも小さかったし」
「ふうん……」
 ちらと、ミスティアはグレイスの顔を盗み見た。
「何も、聞かないのかい?」
「別に。たぶん、他人にゃ言いたくない事情でもあるんだろ?
 ……なんだよ。なんでそんなに驚いた顔をするんだ?」
 ぽかんとしていたミスティアは、慌てて手を振り、
「いや、そりゃ、あんたがそこまで気を使うような奴とは思っていなかったからねぇ」
「失礼な野郎だな。だいたい、お前みたいな力のある奴が、あんなところで盗賊やってるんだ。しかも、故郷とは遠く離れた場所で。そりゃ、何か事情があるって思うのが普通だろ?」
「――まあ、ね」
 顔を伏せたミスティア。その口は、まるで赤の他人のように低く重苦しい声を紡ぐ。
「アタイらだって、出てきたかったわけじゃない。けど、親も家もないようなガキだったアタイらには、あの都市には居場所がなかったんだ」
 グレイスたちには、言葉を遮ることができない。代わりに間に入ったのは、クルートだった。
「姉御、なんで話すんですか」
「話しちゃ、まずいかい?」
「まずいってことはありません。けど、話す必要もありません」
 ミスティアはナイフを手の中でもてあそびながら、
「なんとなく話したくなった。それじゃあ、駄目かい?」
「どうかしたんですか、姉御。らしくないですよ」
「まあ、いいじゃないか。休憩ついでの与太話だよ」
 くるくると回転するナイフが、光の円を描く。
「アタイらが生まれたのは、昨日も見たあの都市だ。あそこじゃ親のいない子供なんて珍しくもない。自然と、そんな連中が集まってグループになる。それが、ミスティック盗賊団の前身」
「元々がそうしなきゃ生きられないってところだったわけか」
「まーね。ところが、あの都市で派閥争いなんてのが始まっちゃってさ。そのせいで、アタイたちはあの都市にいられなくなった。そうして流れ流れて、神聖都市に辿り着いたってわけだね」
「本当は、姉御だけならどうにでもなったんすよ」
 クルートに視線が集まる。一方、彼の目はどこをも捉えていなかった。
「姉御の持つ四つの精霊を扱う力は、どこの騎士団だって喜んで迎えてくれるほどの能力っす。それでも姉御が盗賊なんてやってるのは、俺たちを見捨てないためっすよ」
「……そんなんじゃないよ。アタイは、戦争なんてするつもりはない」
「だけど、護衛はできたはずです。なにもこんな暗い道を歩む必要はなかった」
 クルートの目は決して明るくない。それは、この空間が持つ、押し潰されそうなほどに濃い闇のせいでもない。
「クルート。アタイは、自分の選択を後悔したことはないよ」
「――すみません」
「謝らなくていいんだってば。まったく、どうしてこう、アタイの周りってのは……」
「ミスティア。静かに」
 口元に手を持っていったのは、ウィルだった。すぐさま、グレイスとディックは剣に手をかける。
「誰か、来る。この足音、人間じゃない」
 一行の視線が、自分たちが来た方向に向けられる。
 暗闇を切り裂く、淡い光。そうして、現われたのは――。