「地底湖にこんなとこまであるとはなぁ……」
 四方を見渡すグレイス。その視界に入るものはと言えば、光に照らされた水と岩ばかり。
 竜王がグレイスを連れて行ったのは、地底湖の中心、小島の上だった。小島、と言っても、家が数軒は建てられるほどの大きさはある。
「ここならば邪魔になるものもない。存分に暴れられる」
 イシュキールは翼を広げて伸びをすると、さて、と向き直った。
「混沌の力は、戦いによって覚えるのが最も早い。しかし、その相手は誰でもいいというわけでもない。混沌の力は、基本的に同種か同族にしか使えないからな」
「同種か同族って?」
「同種というのは、お前の場合、人間ということだ。本来、混沌の力は同種同士が争って絶滅するのを防ぐためのもの。それゆえにこそ、同種のあらゆる能力が使えるのだ。同種の誰にも負けぬようにな」
「つまり、オレの力は人間を殺すための力って言いたいのか」
 イシュキールは少しばかり気分を害したように、
「言い方が悪いな。同種を押さえるための力だ。力は力であって、それ以上でも以下でもない。その使い道は、混沌が選ぶのが慣わしだ」
「なら、オレはそんな使い道はぜってーに嫌だ」
「……お前がどう扱おうと、それはお前の自由だな。だが、勘違いし、使い道を誤る混沌が存在することも事実だ」
「アイザードもそのひとり、ってわけか」
 イシュキールは大仰に頷く。
「そういった混沌、すなわち同族を粛清することも混沌の役割だ。同種に混沌を打ち負かすほどの力はない。混沌を倒すことができるのもまた、混沌だけだからな」
「お互いがお互いを見張るシステムってわけか。そして、それ以外の相手には力を使えない。強すぎる力だから、ってわけだな」
「うむ。理解が早いな。混沌にはそういう性質があるために、混沌の力を引き出すためにも混沌の力を相手にするのが最も手っ取り早い」
「だから、お前と戦えってわけだな。オッケー……、遠慮はしねーぜ!」
 グレイスは剣を引き抜く。その前に立ちはだかる竜は、決して小さくない。だが、壁が大きいからと諦めるようなら、彼女はここまで来てもいない。
「グレイス、ひとつだけ忠告しておいてやる。我輩を殺すつもりで来い。我輩はお前を殺すつもりでやる」
 次の瞬間、竜王の目の色が変わった。文字通り、瞳の色が血のような赤色ブラッディ・レッドに変化している。
「覚えておくがいい。蒼穹の竜王セレスティアル・キング、イシュキール・ドラグムーン……、貴様を殺す者の名を!」
 竜の咆哮が、地底湖に轟く。

 竜王の眠っていた空間には、ディックたちがいる。地底湖までついて行こうとしたのだが、それを竜王の「邪魔だ」の一言で諦めたのだ。
「とはいえ、ここまで来て何もすることがないってのも違和感あるねぇ」
 手ごろな岩に座り、足をぷらぷらさせるミスティアは、間延びした調子で言う。
「なら、俺と戦闘訓練でもするかにゃ? 遠慮はしないでいいぜぃ?」
「誰が暗黒のダンナなんかとやるかい。あんたはユニコーンとでも戦ってればいいじゃないか」
「悪いけど、私は戦闘は無理よ」
「……? 無理ってどういうことだい」
 パリティは軽く首を振り、
「言葉通り。私の力は混沌にしか使えないから、ある程度の力を持つ相手には戦いにもならないの」
「混沌にしか使えない? ってことは、まさかあんたも?」
「あら。言わなかったっけ。私も混沌よ。漆黒の獣妃スター・クイーン。それが私の名前」
「す、スター・クイーン?」
「そう。グレイスの茜色の姫君マダー・プリンセスと同じようなものよ」
 パリティは、また先ほどの光で線を描く。
「私の通り名が獣妃。グレイスが姫君。イシュキールが竜王。魔王が王子。私たち混沌は、四人でひとつの通り名を持つ。それぞれに深い意味はないけれど、言うなればそれぞれの役どころといった感じかしらね?」
「なら、あんたもグレイスの修行を手伝ってやればいいんじゃないかい」
「ああ、それは駄目。危ないから」
「実戦形式の修行なんだから、多少は危なくて当然だろ?」
「ああ、そういう意味じゃないの。私が危ないから、駄目なの」
 パリティは視線を奥の方に向けた。そちらには、地底湖に繋がる道がある。
「今日はイシュキールも本気になる。だから、私は危ないのよ」
「パリティ。それ、どういうことだなん」
「彼も伊達に竜王を名乗っていないということよ。あれでも、彼は全ての竜種の頂点に立つ者」
 竜種の鱗はそこらの剣など簡単に弾き返し、その巨体が持つ力は圧倒的。種類によっては、息吹だけで敵を灰にすることも可能。
 加えて、血にさえ宿る圧倒的な魔力は、物理的に立ち上がることさえ難しいその巨大な体を軽々と持ち上げてしまう。
「竜種は数こそ少ないけれど、戦闘力だけで言えば世界の頂点よ。一方、獣たちは、数こそ多いけれど、その質は決して高くはない。竜はおろか、人や魔にさえ劣る者も多い。それらの力を持つ私も、戦闘能力はさほど高くない。イシュキールの戦いに巻き込まれるなんて、まっぴらよ」
「そんな奴と戦わせて、グレイスは大丈夫なんだろうな!?」
 ディックの口調には、いつもの余裕さえなかった。今にもパリティにつかみかかりそうな勢いがある。
「落ち着けよ、ディック」
 冷水のような言葉を浴びせたのは、意外にもウィルだった。
「ウィル! お前、グレイスが心配じゃないのか!?」
「グレイスなら、大丈夫だ」
「へえ。どうしてそう言い切れるんだい?」
 興味深そうに問うミスティアをちらりと見ながら、
「グレイスは、強い。オイラ、グレイスより強い騎士を見たことがない。だから、大丈夫だ」
「あいつがぁ? あんなのより、リットのダンナの方がよっぽど強かったと思うけどねぇ」
「力とかもそうだけど、それだけじゃなくて、グレイスって心が強いと思うんだ」
 語るウィルは瞳を閉じる。まぶたの裏に彼女の顔を捜すように。
「騎士の強さは心の強さだって、じいちゃが言ってた。オイラ、グレイスより心が強い人は見たことがない。だから、グレイスは大丈夫だ」
「そんな根拠のない理由じゃ納得できないぜ」
「なら、助けに行くか?」
 ウィルが問い返すと、ディックも言葉を詰まらせた。
「オイラたちにできることは、グレイスを待つことくらいだ。だから、オイラはグレイスを信じて待つ。オイラの知っているグレイスは、竜なんかに負けたりしない。
 ……もし、ディックがじっとしていられないって言うなら、オイラが相手になるぞ」
 しん、と沈黙が落ちた。
 その沈黙を破ったのは、響き渡る笑い声。主は、ミスティアだった。
「あっははははは、暗黒のダンナ、こりゃウィルの勝ちだね! ははは、こんな子供に言いくるめられるなんて!」
「――!」
「いや、でも、確かにウィルの言う通りだよ。何一つ間違っちゃいない。ま、そこまでグレイスを信頼したり、自分の信念を貫けるのはたいしたもんだね!」
 ディックは少しばかり顔をしかめると、背中の大剣を引き抜いた。
「なら、ウィル、ちょっと相手をしてくれるかなん?」
「おお、任せろ!」
 ウィルもまた、背中の大きな斧を引き抜く。
 重厚な金属音を響かせ、両雄が激突する。
「はは、楽しげだねぇ。クルート、いっちょアタイらも剣舞といこうか?」
「姉御、勘弁して下さい。俺じゃあ姉御の相手にはなりませんよ」
「問答無用って言葉は知ってるかい!」
「うわっ!?」
 剣を奏でる騎士たちを眺め、パリティはそっと息を吐いた。
「人間って、変わった生物ね」

 オオオォォォォォ――
 巨大な遠吠えが耳に痛いほど響く。
 次の瞬間、岩場を砕きかねない勢いで尾が振り下ろされた。
「っぶねぇ!」
 紙一重でかわしたグレイスは、すぐさま斬りつける。
 だが、竜の装甲のような鱗の前では、ただの剣など刃がないも同然。とても傷をつけることなどできはしない。
「っだあああ! 剣じゃ斬れねえってのに、どうしろってんだ!」
 そんな彼女の事情にはお構いなしに、イシュキールは炎のブレスを吹きかける。さらに踏み込むことで、この一撃はかわした。
「つまり、傷つけたきゃ暗黒の力でも使えってわけか……」
 ヒントは何もない。どうすればいいのか、まるで見当もつかない。だが、やり遂げなければ死ぬだけ。
 なら、やるしかない。
「まずは、ディックの真似でもしてみっかぁ? 暗黒の力よ! オレに力を貸してくれ!」
 叫びながら剣を振るうが、当然、何も起きはしない。
「だあああ! ちくしょう、反応しろよ!」
 わめこうとも、剣は何の反応も見せない。ただ鈍く光るのみ。
「くそっ、このままじゃ……!」
 剣に注意が向いたせいで生まれたわずかな隙。だけれども、彼女が戦っている竜王という相手は、それを見逃してくれるほど甘くはない。
「――!」
 竜王の放つドラゴン・ブレスが、グレイスを真正面から捉える。
 紅蓮の炎が、小島を駆け抜ける。