「ラジール様」
 人形のような色のない声を前に、魔族は眉ひとつ動かさなかった。
「発見したのか」
「はい。場所は、ドラグミーア地方。竜王の眠る土地です」
「……そうか。いずれはこの時が来るとわかっていたが、な。とうとう来てしまったのか」
「いかがいたしましょう。竜王に会えば、確実に覚醒し、こちらまで攻め込んでくると思われますが」
「だろうな。そうなれば、戦いも終わってしまう。おそらくは我々魔族の敗北という形で、な」
 不本意そうに、魔族は語る。いや、実際、彼にとってその結末は不本意なのだ。
 魔族は目の前の大きなガラス瓶に触れながら、
「仕方ないな。全軍を竜王の洞窟に向けろ」
「構わないので? 間違いがあれば死んでしまうかもしれませんが」
「死にはしないさ。奴も、曲がりなりにも混沌だ。お前は我らが魔王様が死ぬところを想像できるか?」
「……いえ」
「その通りだ。混沌は混沌以外の力で死ぬことはまずない。これは何万年も続いてきた決まりごとだ。混沌の身を守る者。混沌自身が持つ、あらゆる力を受け入れられるだけの器。それが奴らを幾重にも守っている。奴らは、殺せない」
 魔族はガラス瓶の中身を憎々しげに見ている。
「だから、私は戦っているんだ」
 殺すことはできない、混沌という相手。
 彼らを殺すためには、覚醒する前しかない。そうでなければ、殺すことはできない。世界のバランスを担う彼らは、たかだか世界の一部に過ぎない魔族には手が出せない。彼が、いかに魔族の中でも天才と呼ばれるほどの戦闘力を持っていようとも。
 もう手遅れなのだ。何もかも。動き出した以上、止まることはありえない。
「そうそう。それと、その件をアルビスたちにも教えてやるといい。ついでに、魔王様にも、な」
「承知しました」
 皮肉げな笑みを浮かべる魔族に頭を下げると、彼の部下は部屋を後にした。
 魔族は、まだガラス瓶の中を見つめている。その中で泳ぐものを。
「何もかも、終わらせてやる」
 ラジール・ホワイティア。
 魔王軍の一角を担う白い魔族は、憎しみに満ちている。

 炎の中で、少女と呼んでも差し支えない年齢の女性が踊っている。
「くそっ!」
 剣を振るいながら、踊っている。
「くそったれ!」
 その姿は、まるで剣舞のようで。
「火ぃなんかに、負けられっかよぉ!」
 やがて、剣は白い光を放つようになる。
「イシュキール! お前は、オレが殺す!」
 言葉にすることで、現実を引き寄せる。
「お前も白い魔族もアルビスも! 誰にも負けねぇ! 全部、オレが、ぶっ潰す!」
 刃が、炎に対抗する。
「グレイス・フェイリアーを! 舐めんじゃねー!」
 炎が、弾け散った。
「おお……」
 竜王の口から、思わず感嘆の声が漏れる。
 いまや、剣は確かな光を放っていた。刃に浮かぶのは文字にも似た不思議な紋様。その意味は、神聖。
 あらゆる魔を弾き、拒絶し、打ち消すことのできる力を意味する、古の言葉。
 短く断続的な息を吐きながら、グレイスは自身を見下ろす巨体をねめつける。
「これで、どうだ、イシュキール!」
「なるほど、神聖の力は手にしたようだな。だが、それではぬるい」
 グレイスを踏み潰さんと足を振り上げる竜王。彼女もまた、飛び跳ねるようにしてかわしていく。
「神聖の力は人間が持つ最高最強の防護術。その力の前では、魔も竜も等しく無価値だ。だが、万能でもない。指向性の強い神聖の力は、敵の攻撃を正面から受けねば無効化することはできない。お前は剣一本で、四方八方から襲いくる全ての攻撃を弾けるのか?」
「やってできねーことはない」
「強気だな。では、あらゆる攻撃を防げたとして、お前はどうやって魔王に勝利するつもりだ」
「剣だけなら、オレは十中八九、あいつにゃ負けない」
「相手は魔法を使う。いかにお前がそれを無効化しようとも、近づくことが許されなければ同じこと。お前たちの扱う武器が攻撃できる範囲は、我ら竜種に比べ、極端に狭い」
「てめーらみたいなバカでかい図体の種族と一緒にするなよ。それに、オレは最高の攻撃力ってものも知ってるんだ」
「……ほう」
 竜王の紅い瞳が、殺気を覆い隠すように細まる。
「ならば、その力、見せてみろ!」
「ああ、いいぜ」
 竜王から大きく距離を取り、グレイスは上段に刃を構えた。
「こいつは、オレが知る中で最も人間離れした――悲しい力だ」
 刃が放つ光が、白から黒に変わる。光から闇へ。
 神聖から、暗黒へ。
「今ならはっきりとわかる。こいつの恐ろしさ、おぞましさ。本当は、ルーンなんて使っちゃいけないものなんだ。人間の力に、ルーンは過ぎたものだ。けど、使わなきゃ大半の人間は生きていけない」
 紋様はどこまでも暗く昏く、輝きを増していく。輝くほど、暗くなっていく。
「だから、オレたちがいるんだな。あまりにも恐ろしい力だからこそ、その使い道を誤らないように。
 思えば、じいさんも知っていたのかもしれねーな。オレの、この力のことを。だから、オレに世界中を見て回って来いなんて言ったのかもしれない」
 殺意は、力を成す。
「いくぜ、イシュキール。初めてだから手加減とかできない。お前が勝手に防げ。死ぬ気で防がないと、マジで殺すぜ?」
 グレイスから、表情が消えた。
 その瞬間、イシュキールの背筋をぞくりと悪寒が駆け抜けた。理屈ではない。本能だった。
 全身を震わせ、イシュキールは持てる全ての力を防御にまわした。そうしなければいけないと、どこかで誰かが叫んでいるようだった。
「何もかもを、ぶっ壊せ。暗黒の紋様ダーク・ルーン!」
 呼びかけに応じるようにルーンは最高の輝きを放ち、そして、力を解放する。

「――ッ!」
 突如として響いた轟音に、ディックたちは思わず耳を塞いだ。
「な、何の音だい!? 今のは!」
「どっか、洞窟の中から響いたみたいだ……、まさか、グレイス?」
 音の正体に惑う一同。その中でひとりだけ、音の正体を知っている者がいた。
「これ、は、序曲?」
「ディック?」
 ディックの顔は、心なしか青ざめていた。彼の目は、ただ洞窟の奥の方に向けられている。
「ディック、何か知ってるのか?」
 ウィルの問いかけに、ディックはどこか放心したように答えた。
「これは、暗黒の爆音だ。敵の否定、暗黒の中でも最も弱い部類の攻撃だよ。けど、それにしちゃ、バカみたいにでかすぎる」
「洞窟の中で反響したからそう思うだけじゃないかい?」
「そんな、レベルじゃない」
 ディックの口調に余裕がない。それは、それほど彼が混乱しているという事実を如実に表していた。
「グレイス……、お前、どこまでいくんだ」
 ただひたすらに呆然としているディックを前に、ウィルたちは顔を見合わせることしかできなかった。

 地底湖は静寂に包まれていた。
 先ほどまでは戦いの騒音が耳に痛いほど響いていたというのに、暗黒の爆発が起きた直後、あらゆる音が死んでしまっていた。いや。殺されてしまっていた。
 湖の中心、小島の上で、グレイスは剣を鞘に収めた。
 その前には、何もない。本当の意味で何も存在していない。
 あれほど大きかったはずの小島は半ば以上が削り取られ、地底湖の平らな水面が覗いているだけだった。
「これが、暗黒の力だ」
 ぽつりと呟く。その声に、竜が応じる。
「この力を見るのは久方ぶりだが、うむ、お前は暗黒に関して才能があるようだな」
 答える竜王の声に、先刻までの張りはない。その瞳も、元の色に戻っていた。
 彼が持つ全ての力を防御に使用してなお、壁は打ち破られていた。白かった竜の体は薄汚れ、ところどころ血がにじんでいる。さらに、腹には何か硬いもので打ちのめされたような痕跡さえあった。
 今は、力の全てを治療に尽くしている。元々、竜の持つ独自の術式は、彼らの身体能力を高めるためのものだ。それを応用すれば、傷を塞ぐくらいはできる。体力の回復までは、難しいのだが。
 これが、暗黒の恐ろしさ。だからこそダークナイトは忌み嫌われる。
「先代の混沌騎士も、攻撃には暗黒の力を使っていた。だが、解放したところでここまでの爆発にはならなかった。せいぜい、周囲の数人を跡形もなく消し飛ばす程度だ。ここまで範囲の大きな力の行使は初めて見る」
「褒められても、別に嬉しかねーな。つーか、それって褒めてるんだよな?」
「……、そうだな」
 答え、竜は静かに体を横たえた。心の底で考えたことは、口にせず。
 ――あるいは、暗黒これが彼女の本質であるかもしれないなどと。

 傷を癒すことに専念している彼は、まだ気づいていなかった。その場に近づく、招かれざる客人たちの存在に。