最初に異変に気づいたのはパリティだった。
「――来たのね」
「ん? どうかしたか」
 いつの間にか、全員が一角獣を見ていた。彼女は人間たちを見返し、
「魔王軍が来たわよ。たぶん、魔王も連れて」
「数は」
 ディックはこの事態を予想していたのか、しごく冷静に必要なことだけを聞き返す。パリティもまた、必要なことだけを答える。
「そうね。ここにいる人間を全て殺せるくらい」
「そうか。なら、俺が行くしかないなん?」
 ガチャリと重い剣を背負い、ディックは軽い足取りで洞窟の入り口へ足を向ける。
「って、暗黒のダンナ! あんただけじゃいくらなんでも無理だ!」
「全てを殺すことはできないだろーなん。けど、足止めくらいはしてやれるっす。その間に、イシュキールに連絡を取ってさっさと逃げろ」
「んなことさせられっか!」
 静かな殺意がディックの背中を射抜く。自然、彼は足を止めた。
「アタイはグレイスと共闘するって約束したんだ。貴重な戦力であるあんたをこんなところで失うわけにはいかないね」
 仲間の背中にナイフを突きつけながら、ミスティアは続ける。
「だいたい、こんな狭い洞窟に軍隊が入ってこれるわけないだろ。地の利だってこっちにある。いざってなりゃあ、アタイが逃がしてやるよ。無理に対応する必要なんざこれっぽっちもないだろ?」
「逃げられるかって言えば確実じゃないぜぃ? 出口を塞がれちまえばどうにもならんにゃー。それに、そんなのは関係ない。たったひとりでもここまで辿り着けば、俺らは全滅するっす」
「……何?」
 ディックは肩をすくめ、
「リットもサイモンもいた、ある意味で万全の状態でさえ、俺らは魔族ひとりを倒せなかった。まあ、俺が本気を出せなかったってのもあるけどなん。あいつがここまで来ちまえば、もうどうにもならないよん」
「じゃあ、テメエが行けばどうにかなるってのかい」
「勝つ自信はない。けど、誰かと一緒じゃ俺は本気で戦えない。暗黒は、そういうものだからなん」
 ふと、ディックは首を横に向けた。
「ウィル。グレイスのこと、頼むぜぃ」
「――いいのか? それで」
 いつもは、子供のように愚鈍なのに。
 今日だけは、やけに鋭くて。
「それが俺なりの騎士道ってものだ」
「そうか、わかった」
 ウィルはとんとんとふたりに近づき、
「ミスティア、すまん」
 狂獣の力そのままに飛び上がり、ミスティアの首筋にかかとを振り下ろした。
 振り向く暇さえない。衝撃に、グレイスは倒れこむ。
 それを抱えながら、ウィルは仲間を見上げた。
「オイラの騎士道に誓って」
「頼りになるねぇ」
 口調も、足取りも軽く。
 どこかに散歩に行くような調子で、ディック・ハーションはその場を立ち去ってしまった。

 小さな山間の村。そこに、ひとりの男が降り立つ。
「ここで間違いないのか、ラジール」
「部下の報告によれば、あの洞窟にグレイスとその連れが潜っていったとのことです」
「……そうか」
 アイザード・フレイワー。魔王軍の頂点に立つ、もうひとりの混沌の持ち主。
 彼は残念そうに首を振り、
「見つけちまったなぁ、グレイス。お前は、ちったぁ強くなったのか?」
 小さな声で、独り言を呟く。
 近くに立っていた幹部たちはその声を聞いたはずだが、三者三様、それぞれの意味合いを胸に抱えて黙り込んだ。
「あんな狭い洞窟じゃ、数を入れても意味ないよな? たぶん」
「でしょうね。敵の質を考えても、ある程度まで厳選したメンバーを入れねば、各個撃破されかねません」
「だよなぁ。しかたねぇ、もう包囲は終わったんだろ?」
「はい。各部隊でこの洞窟を囲っております」
「なら、アルビス、ソフィ、ラジール、四人で突っ込むぜ。ここで決着だ」
 幹部たちは、返事をする必要などなかった。
「おいおいおーい、そんなに焦らなくていいだろん?」
 洞窟から出てきたのはたったひとりの男。銀髪の、大きな剣を背負った騎士。
「せっかくなんだ、俺とも遊んでこーぜ」
「暗黒か」
 一目でわかる。彼の背負う剣は、すでに暗黒の気配を強く放っている。瘴気にも似た、濃密な空気。
「そういうあんたも、その腰の剣はどこで手に入れたんすか?」
「楽しい知り合いからプレゼントしてもらったんだ」
「そりゃまた楽しげっすねー。今度、紹介してもらえないっすか?」
「ああ、わりぃ、そいつ昼寝が趣味でな。この間、もう起こすなって言って寝ちまったんだよ」
「そうかい、そいつは残念だ」
 剣を引き抜く。そんな彼を、数人の魔族が取り囲む。
「……序曲」
 ぶん、と何もないところで剣を振るう。途端、目に見えない衝撃が駆け抜け、彼の眼前で構えていた魔族を数人、弾き飛ばした。
 それに刺激を受けたのか、周囲を囲んでいた魔族たちが一挙に飛び出す。一方のディックはまるで慌てず、刃を地面に突き刺した。
「破曲」
 ゴッ、と空気を巻き込み、何もかもが吹き飛ぶ。
 ディックに仕掛けた魔族たちはもちろん、彼の周囲の地面も削られ、影も形も残らない。
「次は急曲でも奏でるつもりかい、演奏家」
 仲間を殺されたアイザードは表情を変えない。冷静に、目の前の敵を観察している。
 侮りはない。嘲りもない。目の前の敵を、文字通りひとりの敵として認識している。そういう目だった。
「知ってるねぇ。さすが、暗黒の剣を持っているだけのことはある」
「まあな。序破急の剣技。敵を殺し、世界を殺し、己を殺す暗黒の技。そんくらいは、オレでも知ってるぜ?」
「そうかい。なら、次の技がどんくらい危ないかもわかってるよな」
 刃に闇色のルーンが浮かぶ。今までにないほどに、強く。
「暗黒が恐れられるのは、こいつが最大の要因とも言える。自分さえも殺す究極の攻撃。いかにあんたが混沌の魔王つっても、無事じゃ済まねーぜ。まして、後ろにいるお仲間さんは瞬殺だ」
「かもな」
 両腰の剣を引き抜き、アイザードもまた、攻撃に備える。
「わかってるなら、逃げないのか」
「逃げたって死ぬだけだ。お前らを倒さなきゃ明日はないし、明日がないなら生きても意味はねえ。ここに来ている連中は、そういう覚悟を持った連中だ」
「そうかい、そいつは、残念だ。なんとか逃げてくれれば、俺もこいつを使わなくて済むんだが」
 言いながらも、やめるつもりは欠片もないように見えた。
 刃を顔の横で構え、ディックは持ちうる最高の攻撃を放つ。
「急曲。我に断てぬものなし」
 爆音が、世界を塗り替える。

 傷を癒す竜王と身体を休めるグレイスのもとに、駆け寄る姿。
「ありゃ? さっきのユニコーンじゃねーか。どうかしたのか?」
 パリティと、その背中に乗るウィルの姿を見つけ、グレイスは表情を柔らかくした。
 パリティはどうやっているのか、水面の上を駆け抜けると、小島の上でウィルを下ろす。
「グレイス。魔王軍が来た」
「なんだとぉ!?」
 さっきまでの柔らかさはどこへやら、すぐさま体を起こし、全身に緊張を走らせるグレイス。と、そんな彼女は、どこかウィルの調子がいつもと違うことに気づく。
「……ウィル。ミスティアやディックはどうした」
「ミスティアとクルートはさっきの部屋にいる。ディックは――外に、行った」
「まさか、ひとりで軍隊と戦うつもりかよ!?」
 こくん、と頷く。グレイスはそんなウィルに詰め寄る。
「なんで止めなかった! そんなもん、いくらあいつでもできるわけないだろうが!」
「グレイス。ディックは、オイラにグレイスを頼むって言ったんだ」
 ウィルの顔は真剣そのもの。その表情に、グレイスも飲まれる。
「ディックは、グレイスが好きだ。そのディックが、オイラに頼むって言ったんだ。じいちゃが言ってた、大切なものを守るためには、命懸けにならなきゃいけない時もあるって。ディックにとっては、今がその時なんだ」
「だからって! 無駄死にしていいわけねーだろうが!」
 グレイスはパリティの背中に飛び乗る。そんな彼女を見上げ、ウィルは問いかける。
「どうするつもりなんだ、グレイス」
「決まってるだろ! ディックを助けに行くんだよ!」
「お前が行ってどうなる、グレイス・フェイリアー。お前の力は目覚めた、だが、まだ手馴れているわけでもない。身体が覚えているものとはいえ、引き出すにはまだ時間がかかるぞ」
 重苦しい声で問いかける竜王にも臆せず、グレイスは大声で叫び返した。
「んなもん、戦いながら慣れればいいだろ! おい、頼む! 連れてってくれ!」
 獣妃は竜王を見上げる。ため息をつきながら頷く彼を見て、パリティは静かに歩み始めた。
 目指す先。洞窟の入り口へ。