「ディック!」 ユニコーンの背中に乗ったグレイスが洞窟の外に飛び出す。そして、広がる悪夢のような光景を目の当たりにした。 「あ、あ……?」 血。 肉。 呻き声。 死。 苦痛。 怨嗟。 死。 死。 死、死、死。 「な、んだよ、これ……」 あちこちに転がっているのは、魔族だったもの。 肉塊。欠片。生物だったのかさえ判然としない何か。 散らばる血痕が、生臭い空気が、悪夢のような景色が現実であると伝えている。 「これ、誰、が?」」 「ディックね。魔族を吹き飛ばすなんて、彼しかありえないもの」 見渡す限りの死体。生き残った者も、欠けた体で呻いている。 これだけの破壊の力。それを体現できる人間は、そうそういない。 「ディックが、これを……?」 「あなたを守るためにね」 ふと、パリティは視線を一方に据えた。馬上で放心するグレイスは、まだ気づいていない。 「そこに倒れている四人。出てきなさい。それとも、女を相手に奇襲をするのが魔族のたしなみ?」 死体が山となった一角。そこが、もぞりと動き、中から人影が生まれる。 「鋭いな。なぜわかった」 「それはそうよ。それだけ魔力のにおいをプンプンさせていれば、否応にも気づくわ。隠れているつもりだったの?」 「厳しいことを言ってくれるな、おい。オレの魔力を隠すのって大変なんだぜ? これでも抑えてるんだ」 アイザード・フレイワーと、幹部三人。暗黒の一撃を間近に受けたはずの四人は、まだ生き残っていた。 とはいえ、無事とは言いがたい。アイザードは両剣の一方を断ち切られ、白い魔族は右腕から血を流し、女性の魔族は外傷こそないものの荒い息を吐いている。 そして、何より傷が深いのが、重厚な鎧に身を包んだ男――アルビス。 彼はその分厚い鎧をずたずたに引き裂かれ、全身から血を流していた。握る刃の先端も、すでにどこかに無くしてしまっている。 「アイ、ザード?」 グレイスの視線が、四人を捉える。アイザードもまた、苦笑を浮かべながら視線を返した。 「いよう、グレイス。久しぶりだな。会いたくなかったぜ」 「アイザード、お前も、来てたのか」 ユニコーンの背の上に立ち、グレイスは剣に手をかける。 「なんでだよ。なんで、こんなことをしなきゃいけねーんだ。どうして! こんなに! 死ななきゃいけないってんだ!」 馬の背を蹴り、飛び出す。 「答えろ! アイザードォ!」 鋭い疾走と共に剣が閃く。 甲高い剣戟の音が鳴り響く。 「邪魔だ! アルビス!」 「この状況で魔王様とお前を戦わせるわけにもいかんだろう」 グレイスの刃を弾き返し、後ろを振り向かぬままにアルビスは叫ぶ。 「お逃げ下さい! 数で互角の今、無理に戦う必要はありませぬ!」 「お前だけ置いて逃げろってのか!?」 「種族と兵士と! どちらを優先すべきかおわかりのはずです!」 アイザードは残った暗黒剣を揺らし、 「――ちッ!」 軽い舌打ちを残した。 「下がるぞ、ラジール! ソフィ! すまんが連続テレポートだ!」 「はッ!」 「了解しました」 背中を向け、走り出すアイザード。その背中に追いすがらんと、グレイスは体勢も低く駆け出す。 「させん!」 と、その前に立ちはだかるようにアルビスが立った。いかに折れた剣と血まみれの体とはいえ、将のひとりであるアルビス。犠牲さえ払えば、魔王が逃げるだけの時間を作ることは難しくない。 「逃げるな! オレと戦え! アイザード!」 グレイスの叫びに、アイザードはちらとだけ振り返り――そのまま、森の奥に消えていった。 「くそっ! くそっ、くそぉ!」 「叫んでも状況は変わらないぞ、グレイス・フェイリアー。貴様も戦人であるならば、捨てる兵が必要であることも、常に冷静でなければいけないことも理解すべきだ」 「んなこたぁわかってる! 戦ってるんだから誰かが死ぬことも覚悟しなきゃいけないのも! でも! なんでこんなに死ななきゃいけねえ! 誰がこんなものを望んでいるってんだよ!」 「貴様が死ねば、我々も戦う理由などない」 「……あ?」 アルビスの握る刃に血がしたたる。今まで数多の人間の血を吸ってきた剣だが、今は、まったく異なる血を吸い込んでいる。 「お前たちはどうして戦争をしているのか、その理由を気にしていたな。教えてやろう、その理由。なに、単純なことだ。生きるため。それ以上も以下もない」 「生きる、ため?」 「そうだ。この状況を見ろ」 アルビスは、軽く周囲に視線を配る。 満ちているのは死のにおい。巡っているのは血のにおい。感じられるものは肉のにおい。 「お前の仲間が、お前を守る。それだけのために、これだけ多くの魔族が死を迎えた。仮にお前が力を発揮すれば、どれだけの者が死ぬ? どれだけの魔族が消え去ればいい? 茜色の殺人姫。我々がお前をそう呼ぶのは、それだけの理由がある。お前が生きれば、我らは生き残れないのだからな」 「それ、は、お前たちが仕掛けてきたからじゃねーか! お前たちが何もしなきゃ、オレは戦う必要もなかったのに!」 「どうだかな。闘争は生物の根源に刻まれた本能だ。逃げることも、抗うこともできない。お前はいずれ、我々の敵となる。我々がお前の敵になったように、な」 したたる血が、うごめく。 「これは何千年と続く因果の歴史だ。魔族は人と戦い、竜は獣を喰らい、命が命を奪う構図だ。戦いは、止められぬ」 うごめく血液は刀身の上で踊り、固まり、新たな剣を成す。 「お前が死ねば当座の戦いは収まるだろう。だが、それだけとも言える。戦いは消えぬ。殺さねば、生きられぬ」 「んな、ことは……」 「ないと言い切れるか? お前は、今まで何を見てきた」 「――!」 「今、各地で人と人が争っている。魔族は関与していない、単なる略奪と殺害だ。人間だけじゃない。あらゆる種族で争いが起きている。戦いこそが、生物の本能なんだ。認めようが、認めまいが」 赤黒い剣が、グレイスを指す。 「覚悟しておけ。これから先、お前が何をしようとも、人魔の争いはなくならない。人と人が争い続けるようにな!」 ゆらりと、幽鬼のように立つグレイスは、眼前の魔族を見上げる。 「そんな理屈、クソ食らえだ」 「ほう?」 「争いを続けるなんて、オレはまっぴらだ。人の争いを止めるのは、オレの役割だ。アイザードが、魔族を止めなければいけないように。 お前の言ってることはおかしい。本能だの何だの、そんなの言葉で誤魔化してるだけじゃねーか。抗えよ、戦えよ! 同じように戦って苦しむなら、自分と戦え! 他人を! テメエの理屈に巻き込むんじゃねぇ!」 ただの魔族であるアルビスを相手に、グレイスは混沌の力を使うことができない。混沌を止めるための力である混沌は、今は使えない。 だというのに、グレイスの周囲には息が詰まるほどの気迫が渦巻いている。触れるだけで手が切れるほどの圧迫感。それは、力でもなんでもない、グレイス自身が持つ心の強さだった。 「勝手なことばっか……言ってんじゃねえぞ! アルビス!」 気炎を上げる騎士を前に、アルビスは何を思ったか。 「ふん……」 小さく鼻を鳴らし、刃を滑らせる。 「どちらにせよ、終わりだ」 アルビスは息を大きく吸い込み、飛び出す。 グレイスもまた、同じように息を吸い、飛び出す。 血が、風に舞う。 洞窟の奥、竜の眠る間にて、グレイスは再び仲間と顔を合わせた。 皆、一様に表情は暗い。ディックまでをも失い、残っているのはグレイスと、三人の騎士、それにパリティとイシュキール。 たったのこれだけ。アイザードと戦うためには魔王軍を押さえねばならないというのに、それらと戦うにはあまりに心もとない戦力しかない。 「それで。これからどうするつもりなんだい、グレイス」 空気を変えるためか、ミスティアは軽く質問をする。グレイスは何気なく、 「アイザードんとこに乗り込む」 「そうかい。ま、そう言うとは思っていたけどね」 苦笑を浮かべ、ミスティアは続ける。 「けど、どうするつもりなんだい。ここにいるメンツだけじゃ、魔王のとこに辿り着くなんて不可能だよ。そもそも、魔王はどこにいるってんだい」 「それは……」 答えられず迷うグレイスは、泳ぐ視線を竜王に向けた。竜王は軽く息を吐き、 「本気で戦うつもりか」 「ああ。さっさと終わらせねーと、あいつらみたいのが次々に出ちまう。アイザードを倒せばこの戦いは終わるんだ、あいつとガチで決着しに行こうぜ」 「勝つ見込みは」 「んなもん考えたって仕方ねーだろ。どっちにしろ、アイザードを止められんのはここにいる連中だけなんだから」 「……本当に、それでいいのか」 ぴくりと、パリティは顔を上げる。イシュキールは首を振りながら、質問を続ける。 「もっと他の選択肢があるかもしれない。あるいは、何か別の道があるやもしれん。それでも、お前はアイザードと戦う道を選ぶのか」 沈黙。じっと竜王を見つめたまま、少女は答えない。 仲間たちの視線を全身に浴びながら、グレイスは強い瞳を、ただ竜王に返している。 「どうなのだ」 重ねての質問。グレイスは、はあ、とため息をついた。 「決まってんだろ。んなもんは会ってから考える」 短く簡潔な回答が、全てだった。 |