少しずつ。
 ほんの少しずつながら、グレイスの剣は押され始めていた。
「どうした、グレイス。剣が遅いぞ」
「どうだかな!」
「事実だぜ? ほらよっ!」
 グレイスの斬撃よりも早く、アイザードの剣が彼女を弾き飛ばす。さらに追いすがるアイザードに、グレイスは黒刃を放った。
 それを、アイザードは剣で軽く振り払う。
「ほら。こんなもんだぜ?」
 動きを止めたグレイスは、荒い息を吐きながらアイザードをにらんだ。
「元々、暗黒のルーンなんてのは牽制に使うもんじゃねーんだよ。精霊のルーンじゃあるまいしな。暗黒ってのは、それだけ体力を使う。
 あんな風に連発すれば、いかにお前でも体力が続くわけがねー」
「だから、なんだって?」
「剣も遅いし、威力も落ちてるぜ。勢いつけて誤魔化しているみたいだが、そんなんじゃオレの目までは誤魔化せない。そろそろ終わりだな」
「どうだかな」
「わかりきってるさ」
 ぐっと足を曲げたアイザードは、一息に踏み込む。
「――!」
 慌ててグレイスが防御すると、直後、重い衝撃が伝わった。
「片手で同等か?」
 残る剣の尻で、グレイスの手を叩いた。
「ガッ……!」
 手の力が緩んだところで、剣を弾き、刀身の腹で踏み込んだ斬撃を放つ。
 グレイスの肺から息が全て強制的に吐き出される。アイザードは、さらにグレイスを蹴飛ばした。
 グレイスの剣が、落ちていく。
「オレの勝ちだぜ、グレイス。剣がないお前じゃ勝ち目はねー。その召喚獣も、じきに消える」
「まだ、終わりじゃ、ないぜ」
 腹に手を当て、ぜーぜーと苦しげに息を吐きながらも、グレイスの瞳からは欠片も闘志が消えていない。
 彼女の中に、諦めるという概念はない。
 はあ、とアイザードは深くため息を吐いた。
「この状況でどうするつもりだ。いざって時に助けが来てくれるほど現実は甘くねーぜ。つーか、オレとお前の戦いにチャチャ入れられるようなレベルの奴、いないだろ。竜王でも呼んでくるか?」
「あのバカに誰が頼るか。オレはオレの力でお前を倒すよ」
「その力がないっつってるんだ」
「……なら、もっかい持ってくるから、ちっと待ってろ」
「させると思うか?」
「するんだよ」
 一瞬、時が止まる。
 バン!
 飛び出したグレイスを、アイザードが追う。スピードは若干、アイザードの方が速い。徐々に差が詰まり、やがて、彼の間合いに入る。
「逃がさねぇ!」
 必殺の突き。それを気配だけで感じ取り、グレイスは急ブレーキで速度を殺す。
 そして、体の向きをぐるりと回しながら、拳を突き出した。
「んなも……!?」
 それが目に入った瞬間、アイザードは方向転換しようとした。だが、あまりに勢いに乗りすぎていて、もう間に合わない。
「爆ぜろ!」
 ドン、と空気が爆発した。
 グレイスは地面の方に。アイザードは空の方に。それぞれが爆風に乗って吹き飛んでいく。
 地面に転がったグレイスは、そのまま剣を拾って起き上がった。
「どーだ!」
「……ああ、参ったぜ」
 上空で、アイザードは苦笑を浮かべた。
「ここまで精霊のルーンを使わなかったのは、この展開に持っていくためだったんだな。油断させて、ナイフのルーンを使うために」
「仲間からの預かりもんだ」
 くるんと手の中でミスティアのナイフを回し、グレイスは嬉しそうに語る。
「お前が相手じゃただの牽制のためにナイフを持ち直す余裕はねーからな。だけど、これなら効果的に使える」
「それだけのために、わざと剣を放したってのか?」
「いいや。お前、オレの攻撃に対して防御を優先してるだろ? 確実に決めるには防御も相殺も難しい移動中が一番だったってだけさ。それなら弱い攻撃でも十分にダメージになるだろ?」
「……へっ。考えなしに見えてよく考えてやがる。それがお前の怖いところだ。嫌なところ、とも言えるな」
「お褒めに預かり光栄だぜ、ってな。さて、それじゃあ――」
 グレイスの言葉は途中でかき消された。
 ズン、という重低音。反射的にグレイスは空に飛んでいた。
 その、隙とも言える時間を、アイザードは見逃した。その視線は、城の一角に釘付けになっていた。
「あそ、こは……」
「あん?」
 つられ、グレイスもそちらに目を向ける。
 城の一角、地下に当たるであろう部分が削れ、通路が見えていた。そして、そこから複数の影が飛び出す。
「なッ――ディック!?」
「ソフィ!? どうして!」
 出てきた三人は上空に目をやり、それぞれ大声で叫ぶ。
「アイザード様! ラジールの反乱ですッ!」
「グレイス、ダンナたちが生きていた! 暗黒のダンナもリットのダンナも無事だ!」
「けど、白魔族のヤツ、本気できてる! あれはオイラたちじゃ無理だ! ディックたちもなんとか引っ張り出したけど……、他の連中は残したままだ!」
 ウィルは三人を背負っていた。
 ぐったりとしているディック、リット、サイモン。行方不明になっていた仲間たちが揃っている姿に、さしものグレイスも動揺を隠せない。
「どういう、ことだよ……。さっぱり意味がわからねぇ。なんでディックたちが、あんなところに?」
 視線は、自然と城の主に向かう。
「どういうことだよ、アイザード。お前が助けた、のか?」
「……ああ」
「なぜだ。お前は魔族の王じゃないのかよ?」
「気に入らないか?」
「ああ、気に入らないね。これじゃあ――何も聞かないままじゃ、全力でお前を倒せねぇ」
「簡単なことだよ。オレが、あいつらを殺せなかった。殺せと命じることができなかった。それだけだ。悪いが、今はそれどころじゃないぜ」
 ゆらり、と煙が揺れる。その中から、光が姿を現わす。
「さすがに瞬間移動ができるソフィが相手では骨が折れるな。あれだけ狭い地下空間では全力も出せん。むしろこの方が好都合だ」
 白い光を背負ったラジールは首を鳴らしながら言う。
「ふむ。アイザードにグレイスか。まだどちらも潰れていないとは予想外だな。どちらも手加減しているんじゃないか?」
「ラジール。どういうつもりだ」
「それはこちらの台詞だな、アイザード。まさかとは思うが、私が本当の意味でお前に仕えていたとでも思っていたのか?」
「……思ってはいないが信じたかった、ってところだな」
「相変わらず甘いな」
「大きなお世話だ、バカ」
 アイザードの持つ双剣の切先が、グレイスからラジールの方向へと変わる。
「悪いがグレイス、ちと休戦だ。こっちのバカを始末するのもオレの仕事でな」
 ぽり、と頭をかき、グレイスは切先を揺らす。
「状況、さっぱしわかんねー。まあ、それは今に始まったことじゃねーけど」
「難しい話じゃない。私がお前と魔王が全面戦争になるように仕向けた。話はそれだけだ。でないと、魔王が殺せないだろう」
「教えてくれるたぁ、ずいぶんと親切じゃねーか」
「この方が意識をこちらに集中できるではないか」
 気づいた瞬間、グレイスは跳ねた。しかし避けきれず、足を白光が焼く。
「ッ――!」
 背後からの攻撃。気がつけば、彼らの後ろには無表情の兵士が何人も並んでいた。
「グレイス!」
 かばうようにアイザードが前に立つ。ふたりの混沌が、背中合わせになっていた。
「アイザード。なんであいつ、そんなにお前を目の敵にしてやがるんだ」
「あいつは、オレの母親の古い友人なんだよ」
「それが、何の関係があるってんだ」
「……オレが殺した」
 一瞬、振り返りかける。だが、グレイスはそれを意志の力で抑え込んだ。
「魔王継承の儀式だ。新たな魔王は先代を殺さねばならない。その儀式を見に来ていて、巻き込んだ。あいつは、それを未だに恨んでやがるのさ」
「そのために、こんな戦争を起こしたってのか」
「あいつにとって、魔族ってぇ種族は悲しい思い出しかないんだ。それを消し去りたいんだろうよ。あいつが、そういう想いを抱えているのは知っていたさ。だけど、ここまで……、そこまでやるとは、思わなかった」
 アイザードの声音に、何を感じ取ったのか。
 グレイスの瞳に、一層の力が増す。
「あいつ、許せねえ」
「グレイス。あいつは魔族だ。オレが処分しなきゃいけない相手だ」
「関係ねーな。オレはオレとして、あいつを許せない。あいつが、オレの仲間を傷つけたんだ!」
 刃に輝く漆黒のルーンが、力を増す。
 そんなグレイスに、アイザードはそっと、見えない笑みを浮かべた。
「お前のそういうところは好きだぜ」
「そりゃどうも」
「なら、共闘といくか。混沌の共演だ!」
 グレイスは、力強い瞳で敵を見据え、頷く。
「ああ、一瞬で終わらせてやるぜ!」