「ソフィ! 他の連中を連れて逃げろ!」
 空中から、アイザードは叫ぶ。
「はッ!」
 短い返答を残し、ソフィはウィルたちを掴んだ。
「お、おい、いいのか!? あいつはかなり強いぞ!」
「グレイスが……」
「アイザード様は逃げろと仰いました。ならば、我々は逃げなければいけません。それに、彼らは大丈夫です。絶対に死にませんから」
「根拠は」
「彼は魔王。それで全てです」
 ふっと、ソフィたちの姿が消える。それを詰まらなさそうに見送ったラジールは、自らも空に浮かぶと、アイザードたちと同じ高さまで並んだ。
「ラジール。お前、勝てると思ってるのか。オレとグレイスを相手に」
「いや。勝てると思わなかったから策を弄していた」
「なら、どういう風の吹き回しだ?」
「全てが終わるからさ」
 ラジールは視線を海に向けた。そこでは、未だに竜や獣と魔族が争いを続けている。
「アイザード。私は決めていたのだよ。お前が彼女を殺したその日から、お前を殺し、魔族を殺し、全てを殺すと。それさえできれば、後はどうでもよかった」
「そのために嘘の伝説を作り、軍を動かし、オレとグレイスを戦わせたってのか」
「伝説は嘘ではない。混沌の姫君が魔王を殺したのは厳然たる事実だ。そして、魔王が死ねば魔族は瓦解する。まあ、生きられないというのは少々、誇張した表現だが」
 その争いは、間もなく終わる。
「今度は私から質問しよう、アイザード。グレイスと戦い、お互いに疲弊した状態で、ほぼ全快の私に勝てると思うのか」
「――!」
「あえて私とお前の戦闘力を比較するなら、百戦して百勝するのはお前だろう。だが、それは圧勝できるという意味でもない。力を削られた今、お前たちふたりを相手にすることなど、造作もない」
 光輪が、光の触手を生やす。その数は、数えることさえできない。
「終わりだ。私の手で、お前たちを殺してやる。そうして……、私は復讐をなす!」
 じり、と後ずさるアイザード。代わりに、前に出る少女。
「グレイス……?」
「勝手ばっか、言ってんじゃねーよ……」
 ゆらりと立ち上る気配は、幽鬼と呼べる代物。
「お前、知ってるのか。アイザードがどれだけ苦しんだのか。こいつが、オレたちが、どれだけ傷ついたのか!」
 ラジールの足が後ろに動いた。グレイスの気迫におののいた、わけではない。
「力が……?」
 それはまるで、泉のように。
 力が沸き出ている。どこからか、圧倒的な力が。ありえない力が。
「お前の勝手のために、みんな苦しんで! 傷ついて!
 苦しいのはお前だけじゃねえ! 大切な人が死ねば誰だって悲しいんだよ! 苦しいに決まってるだろ! なんでそんなもんを作り出すんだ、なんでだよ!」
「くっ……、うるさいっ!」
 数十もの触手がグレイスに迫る。それを切り払いながら、少女は叫ぶ。
「ッざけるな!」
 闇の気配が膨れ上がり、力の塊となって弾けた。爆風が触手たちを光の粉に戻していく。
「これが力だよ。お前が求め続けたもんだ。必死になって努力して、けど、お前の力はこの程度だ」
 グレイスの瞳が、ラジールを射抜いた。
「わかるかよ、この無意味さが。どれだけ強くなったって常に上がいて、力が力を呼んで。そうなるんだよ。力で頂点に立てば力に蹴落とされる。
 お前はそんなに殺されたいのか。そこまでして圧倒的な力を手にすれば満足なのかよ!」
「……次期魔王となるこの私に説教か?」
「わかってねえな」
 とん、とグレイスは空を跳ねた。迫る黒い刃を、ラジールも光の剣で受け止める。
「なら、体で思い知れ。力が正義だと思うなら、お前に最高の正義を見せてやる! それがお前のルールなんだろッ!? それで満足なんだろ!? 魔族!」
「ぐ、ぬ……!」
 押し込まれる剣。押し返そうとするが、狂った獣のようなグレイスの斬撃は、ぴくりとも動かせない。
 と、刃が一際、暗く輝いた。
「弾けろ! 暗黒ッ!」
 敵のルールを否定せんと、刃が力を解き放つ。
 指向性の高い、暗黒としては最低の威力しか持たない一撃。にも関わらず、ラジールはそれを防げない。爆圧に流されるまま、空を飛ぶ。
「逃がすかよ!」
 追いすがり、グレイスは剣を振るう。流されるままのラジールは触手で防ぐが、そのことごとくをグレイスは斬り捨てていてしまう。
 数など問題にならなかった。いくら数をそろえようとも、個々の強度が弱すぎた。
「な、ぜそこまで力が出る!? 貴様、確かに! アイザードと戦っていたのではないのか!? 弱っていたはずだろう!」
「んなもんオレが知るか!」
 ラジールを再び弾く。その先に、人影が待っていた。
「これが人間の力なのかもしれないぜ、ラジール」
 双剣を交差させるように構え、アイザードは自虐的な笑みを浮かべる。
「だから、オレたちは負けるのかもしれないな。お前が言った通り」
 遠慮はなかった。
 魔王の持つ魔力と、暗黒に染まった剣が織り成す必殺の一撃。
 それはあたかも、人と魔が手を取り合ったかのごとく。
「続くぜ!」
 また、グレイスも解き放つ。暗黒の力、もう何度目か。
 ふたつの力の奔流が、ラジールを押し潰した。

 人、魔、獣、竜。世界を構成する四つの種族の中で、こと肉体の強さにおいて竜を上回る種族は存在しない。
 強固なる皮膚。圧倒的な熱量を誇る息吹。建物など紙屑のように打ち壊す力。
 それらを単純に上回る方法は存在しない。魔法、ルーン、ともかく何らかの力を使わなければ。
「どうした! その程度か、魔族の英雄たちよ!」
 けれど。それらの力を使ってなお、この竜を倒せる者はそういない。
「その程度の攻撃では! この竜王の肉体に傷ひとつさえ残せぬぞ、魔族よ!」
 咆哮する白い竜を前に、魔族たちは成すすべもなく吹き飛ばされていく。
 暗黒の力は使えない。いや、使うまでもない。そんなことをせずとも、竜王は竜族にて最強。そのポテンシャルは、魔族の軍団を相手にしてさえ引けを取らないほどの代物だった。
「――イシュキール! あれを!」
「む?」
 背に乗るユニコーンの叫びに、竜王は視線を城の方向へと向けた。
「ほう、これは……」
 遠目にもはっきりとわかる。空を飛ぶ魔王、そして、そのかたわらで舞うのは、見知った少女。
「何がどうなったのかはわからないけれど、あなたの望みが叶ったんじゃないかしら? イシュキール?」
「どうだかな。たまたま共通の敵を前に一時的に共闘しているだけに過ぎないやもしれん」
 言いつつも、竜王は丸太のように太い尾を振る。たったそれだけで、数人の魔族兵が軽々と吹き飛んだ。
「だが、ああ、奇跡のような光景だな」
「彼女の力かしらね」
「かもしれん。だが、あれだけが彼女の本質ではあるまい。彼女は、おそらくは我々の誰よりも混沌らしい混沌だ」
「どういうこと?」
「彼女は光のような心と、闇の力を持ち合わせている。それも、恐ろしいまでに強力な。あれは彼女の光の側面だ。まだ、闇の力は残されている。
 そして、その両者が合わさった、彼女特有の一撃もな」
「特有の、一撃」
 繰り返しの言葉に、竜王は咆哮を混ぜた息吹で答える。
「おそらく彼女は気付いていないだろう。気付いていれば戦いなどとうの昔に終わっていてもおかしくない。魔王など、欠片も残るまいな」
「それほどのものがあるなら、どうして彼女に教えなかったの?」
「当然だ。自ら体得して、ようやく意味をなす。それに、彼女はどうせすぐに気付く」
「自信満々なのね」
「当り前だろう。誰の話をしていると思っている」
 一息の間。そして、竜は深い笑みをその面に刻む。
「グレイス・フェイリアー。茜色の姫君だぞ」

 煙の中から飛び出し、ラジールは荒い息を吐く。傷をつけられたのも血を流したのも、久しぶりだった。常日頃から異常なほどに白く染まっていたはずの衣が、血色に変色している。
「馬鹿、な……。なんだ、なんなんだ、この力は!」
 アイザードの方は彼の予測通り、一撃の威力が弱まっていた。直撃を受けてもこの程度の傷で済むほどに。
 だが、グレイスは違った。彼が魔力の全てを防御に回してなお、ダメージを受けるほどの威力。これでは全力のアイザードにさえ等しい。
「ありえない……。暗黒の力を使えば消耗も激しいはずだ。そうでなければあれだけの力を引き出せるものか! なのに! どうしてお前はそれほどまでに強い、グレイス!」
「知るかよ」
 ふわりと翼の動きだけで煙を振り払い、グレイスはまっすぐな瞳でラジールをにらんだ。
「まだやるってのか、魔族。いや、ラジール、だったか?」
 周囲を見渡す。待機させていたはずの部下の姿もない。彼女の一撃で吹き飛んだのだろうか? だとすれば、どこまで規格外なのだろう。
「オレたちを弱らせ、削るためだけに随分と回りくどいことしたよな、お前。けど、今はお前が戦うしかない。誰も信用せず、誰にも信用させなかったお前が、どうやってオレに立ち向かう」
 天使のような姿で、悪魔のような笑みを浮かべ。
「敗北を認めろ、ラジール。お前に道はない」
 迫る少女に、ラジールは確かな恐怖を感じ取った。
「私が、負け、る?」
「そうだよ。お前が全力で来るなら、オレは正面から叩き潰す。お前じゃ勝てないことはすでにわかってるだろ。なら、諦めろ」
「――敗北、そうか、敗北か」
 敵わない。
 そう思ったのは、もう何度目だろうか。
 以前なら可能性は残っていた。だが、今はもう、超える可能性さえ残されていない。正真正銘の、完全なる敗北。
「……思えば、つまらぬ生であったな」
 ただ強くなるためだけに生き、そして、最後まで届かなかった。
「まるで道化師のようだ。いや、正しくそうなのかもしれん」
 胸に手を当て、白い魔族は独白する。
「生まれながらにして違うのだ。お前たちと我々ではな。王になる者は生まれながらに王として生まれ、そして死ぬ。私のような者では、どれほど特殊であろうとも、壁の向こう側には届きはしない。地を這う獣はどれほどの跳躍力を得ても空は飛べない」
 あらゆる生物の中で最高の跳躍力を得た。それほどまでに努力をした。
 けれど、空を飛べる翼を持った彼らには、届きもしない。
「ああ、まったく面白くない世界だ。そんな世界、私は否定する」
 拒絶。
 世界が自分を拒むなら、自分も拒めばいい。
「グレイス・フェイリアー。これだけは言っておこう。私はお前のような存在と戦うため、多くの犠牲を払った。連中のことなど心も痛まないが、私も上に立つ者として、最低限は報いてやろう」
 全ての魔力を、右手に。
「いかなる理由があっても私は敗北を認めぬ。それこそが私が私であるための譲れぬ一線だ! なればこそ、私は勝利する! どんな手段を用いようとも!」
 胸を通して、全身に魔力が伝わる。
「私を殺せ、グレイス! そうしてお前は、死をもって戦いを終わらせた殺人姫として名を馳せるがいい! それこそ我が勝利の証! 貴様の敗北の証だ!」
 狂った笑いが、自然と口から漏れ出す。
「不殺で終わらせなどするものか! 戦いの結末には血しぶきこそ相応しい!」
 光が、弾ける。
「見よ! これが愚かなる道化師の、最後の幕だ!」
 視界が、光に埋め尽くされた。