刀を正眼に構える。刀の構えとしては最も基本的な構えながら、この構えには隙がなく、一対一であればあらゆる状況に対応できるという優れた側面も持つ。
「どうしましたか、師匠」
 さっきから抜け殻は隙を窺うばかり。攻め込んでくる気配はちらとも見せなかった。
 師匠ならば気配を殺しているのかとも疑うが、こいつにはその心配はない。
 ……わたしの剣の腕前は、確かに師匠に追いつきつつあった。
 けれどそれは、追いつく、という段階であり、追い越すのはなお数年の修練が必要と言われていた。
 その後もわたしはひとりで修練を続けたけれど、それは師匠との打ちあいとは比べ物にはならないほど経験が少なかった。
 もちろん、ひとりで刀を振るう、精神を整える、そういった修行も無意味とは言わない。だけど、人と人の実戦は、そういった基礎修行だけでは見えてこないものがある。ゆえにこそ、わたしはなお数年の修練が必要と言われたのだから。
 だけど、師を失ったわたしにはその機会が失われていた。だから、今のわたしの実力は、単純に考えれば師のそれを若干ながら下回るもの、ということになる。
 だけど、今のわたしは負ける気がしなかった。
 これは、師匠ではない。それは人間性などの面だけでなく、明らかに師匠とは違うものがあった。
 それは言葉にはできないけれど、細かな部分に出てくる。
 たとえば打ち込み。師匠であれば、さっきのタイミングではもう半歩は踏み込んでいた。
 たとえば打ち払い。師匠であれば、あの攻撃を弾いた後は引かずに踏みとどまっていた。
 そう、それは気持ちの違いだ。攻撃であれば絶対に倒す、防御であれば絶対にこれ以上は攻めさせない、そういった前向きの姿勢が今の抜け殻にはない。
 刀の真髄とは、その扱いにはない。実際、刀は刀剣の中で特殊な武器とはいえ、その扱いは斬るというだけのもの。基礎さえ覚えればそう難しいものでもない。
 刀を扱う者の真髄とは、その心構え。敵を殺す、という覚悟。
 その覚悟さえあれば、多少は稚拙な剣術であろうとも、迷いある熟達の剣を上回る可能性を持っている。
「あなたの刀に、覚悟はない」
 心も、意識も、何もない。
 その身と同様、空虚な太刀。
「そんなものに取らせてやるほど、この命は安くはない」
 わたしを殺したければ!
「殺意くらいは、刃に乗せてこい!」
 前に踏み込む。強い踏み込み。一方、相手も応じて踏み込む。受けの気配。
「甘いッ!」
 踏み込む足にさらなる力を込め、より強く前に出る。全身の体重と勢いを刃に乗せ、わたし自信の心と共に打ちつける!
「はッ!」
 案の定、抜け殻の刀がわたしの刀を受ける。それさえ吹き飛ばす気概と共に、刃を振り抜くッ!
 ズン、と重い手ごたえが手先に伝わってきた。
 抜け殻は慌てて距離を置く。その肩に決して浅くはない傷跡が残されていた。
 血は流れていない。それが、唯一の幸いと言えた。
「血さえない、か」
 血も涙もないとはよく言ったものだ。
「まったく、その程度なの? 師匠はそんなに弱くはない。抜け殻を利用した人形にしても、もう少しは戦えないと実用性はないでしょうに」
 ノエルはいったい、何を考えていたのだろう。こんなものが自慢の一品なのだろうか? だとしたら、底が知れる。
 こんなものは、決して必殺の兵器などではない。
「形骸は壊れて消えろ」
 距離を置いた抜け殻と再び間を詰めていく。抜け殻は何を思ったか、わたしの攻撃を受ける構えを見せた。
「だから、どうした」
 全力の一刀。
 刃に響く一瞬の鳴動は、すぐさま裂けて消えた。
 最後の最後まで刀を振り抜き、そこで姿勢を止める。結果は見るまでもなかった。
 硬直した体を解き、一振りして金色夜叉を鞘に収める。
 直後、抜け殻はどさりと地に落ちた。手に握っているのは刀の柄。断ち切られた刀身は少し離れたところに無残に転がっていた。
「……もし」
 もし、この刀が本来の輝きを持っていれば。
 その時は、最初の一刀でわたしが斬り殺されていたことだろう。迷いを持っていたわたしの太刀では、真の力を発揮した師匠の『白鬼』の一撃は受け切れなかったに違いないから。
 逆に、最初からわたしが抜け殻などに惑わされず、師匠の思い出と決別することができていたら、こんなにもてこずることもなかったに違いない。
 今、ここで使った時間は、わたしがそれだけ迷っていたということ。
 けれど、それもここで殺した。この白鬼と共に。
「――さようなら。キリュウ」
 終わらない夏の思い出は終わらせて。
 新しい道を進まねばならない。
 と、ズシン、と建物全体が揺れた。どこかで大きな爆発でもあったのだろう。
 それを起こしたのは、敵か、味方か。
「急がなきゃ」
 師匠の体をそこに置いて行くことに抵抗を覚えないわけではないけれど、わたしを待っている人もいる。
 わたしは近くから聞こえる風音に足を向けた。
 そこに、わたしを待っている人がいるだろうから。

 クレタスのところに向かっていると、横手からも誰かが駆けてきた。一瞬、腰の刀に手が伸び掛けるが、それが知り合いとわかって手を止める。
「……どうしてあなたがこんなところに?」
「いや、普通だろうさ。ついこの前までここを本拠地にしていたんだぜ、おれは。話を聞いて戻ってきたんだよ。もひとりは準備あっから遅れるとかなんとか言ってたけど」
 セロ。あんなことで死ぬとは思ってはいなかったけれど、こうして生きている姿を見て、わたしはひそかにほっとしていた。
 そして、気がつく。
 ――ほっと、した?
 目の前にいるのは師匠の仇のはず、なのに。その無事を喜んでいるわたしがここにいる。
「どうしたんだよ、姉貴」
 見ると、セロも頬を染め、どこか居辛いような雰囲気だった。
 それを見ていると、肩に入っていた力が抜けた。
「なんでもない。よく無事だったわね?」
 優しく声をかけると、面喰ったのか、セロはわずかに言い淀んだ。
「どうしたの? やっぱり怪我でもしてる?」
 手を伸ばすと、案の定、セロはわたしの手を払った。なんとなく、昔を思い出す。
「し、してない! ノエルなんかに手傷を負わせられるわけないだろ、このおれが!」
「……? でも、カズマたちの話だと、ノエルはかなりの強敵だって」
「そりゃ、あいつは一流だよ。こと守りにかけちゃおれも一目は置ける程度にはね。だけど、そんだけだ」
「それ、だけ?」
 セロはちらとわたしを見上げ、
「姉貴ならわかるだろ。ノエルの刀は自己保身しか映っちゃいない。あんな刀で殺せるのはそこらの素人くらいだよ。きちんと修練を積んだ奴なら、ノエルに殺されることだきゃ絶対にありえねえ。ま、殺せないくらいのことはあるかもしれないけどさ」
 話していて、ふと思った。
 あの抜け殻もまた、同じなのではないかと。
 ノエルを守るための駒。だから攻撃に殺気はこもっていない。殺す必要はないから。
「おれが心配してるのはノエルの方じゃない。ルイーズだ」
「ルイーズ?」
「おれたちの頭にいた女だよ。あいつはヤバい。力がどうこうとかじゃなく、頭がキレてやがる」
 セロは自分の頭の横でくるんと指を回してみせた。
「あいつにとっては敵も味方もない。自分かそれ以外だ。ああいうのはいざって時に何するかわかんねえ」
「一理ある、わね」
 わたしは口元に手を当てて頷き、
「なら、なおのこと急がないと。セロ、手伝ってくれる?」
「――そのために来たんだよ」
 はぁ、と息を吐き、セロは腰の刀を掲げてみせた。
「姉貴ほどじゃないけどさ、これでも多少は力になれるつもりだよ」
「ええ。頼りにしてるわ」
「バッ……! そういうのは気軽に言うもんじゃない!」
 顔を赤くしながら先を歩むセロ。
 その背中に、なんとなく懐かしいものを覚える。
 自然と頬が緩むのを感じながら、わたしもまた足を進める。