――――― ★ ――――― 私はその夜、庭から月を眺めていた。月だけは昔と変わらず、それだけに私の心に響くものがあった。 闇夜に浮かぶ真円。彼は人を見て、その愚かさに嘆くのだろうか。そんなことばかりを考えていた。 結局、今も昔も変わらない。私たち魔獣を利用し、古代魔法を利用し、やることと言えば殺し合いだ。 人はかくも愚かしい。彼らの命は私たちと違い、ほんの数十年で尽きてしまう。たったそれだけの命を、どうして大切にできないのか。短い人生であるのなら、どうしてそれをもっと有意義に過ごさないのか。 考えたところで、私には答えらしきものが見当たらなかった。 そんな折。空から降って来た声は、思わず寄り掛かってしまいたくなるような、母性に溢れたものだった。 「どうしたのですか、こんなところで」 ミズキの声だ。続けてクルルの声が響く。 「ん、ちょっと夜風に当たりたい気分なの」 「風邪を引くんじゃない?」 「大丈夫。すぐに戻るから」 クルルの声は、聞いているだけで心を裂かれそうなほど、寂しさに満ちていた。 理由など聞くまでもない。あの男のせいだろう。 まったく、恋人を放って決着を求めるとは。バカな男だ。 「彼に、まだ告白していないのですか?」 クルルの動揺は、顔を見なくても伝わって来た。 「な、なんのこと?」 ミズキはくすっと笑い、 「隠してるつもりだったの?」 「……い、一応」 あれで隠しているつもりだったのか。カズマ本人はともかく、周囲にはバレバレだったように思うのだが。 「ねえ、ミズキさんは――」 「ミズキでいいですよ」 しばし沈黙を落とし、 「なら、ミズキも丁寧語とか使わなくていいよ」 ミズキの苦笑が目に浮かぶようだった。 「それなら」 「そうそう。あたしさ、苦手なんだ。敬語とか、そういうの。なんかさ、距離を感じない?」 「だけど、礼儀だから」 「あたしは礼儀より仲良しを優先したい」 クルルの表情に何を見たのだろうか。 ミズキが持つ気配が、うっすらと変化を遂げた。 「キリュウ、という男性のことは話したよね」 「ミズキのお師匠さんだよね」 「そう。強く、気高く、高潔だった」 あいつは弟子の前でもそんな調子だったのか。何も変わっていなくて、ちょっとおかしい。 「わたしは、彼が好きだった。ううん、今も忘れられていない」 ――それは、初耳だ。 キリュウを、魔獣を愛した女性がいるなんて。 自然、いけないこととは思いつつも、耳をそばだててしまう。 「最初は彼の刀に惚れ込んだの。とても綺麗で、純粋で、力強い刀。こんな刀を見たのは初めてだった」 刃を抜く、鋭い音がする。きっとミズキが刀を抜いたのだろう。 金色夜叉。キリュウの作った刀の中では、おそらく有数だ。 「そうして押しかけ弟子して、しばらくして彼を好きになった」 「どんなとこが?」 「どんなとか、どうしてとか、そういうのじゃないの。クルルもそうなんじゃない?」 答えに窮したらしい。どうやら図星のようだ。 「好きになっちゃったんだもん。どうしようもないし、どうにもならない」 「……だから、困ったんだね。ミズキは」 セロのことを言っているのだ、とすぐにわかった。 彼女のことだ。弟弟子を可愛がっていたのだろう。弟と愛する人と過ごす日々。それは彼女にとって幸せ以外の何物でもなかったに違いない。 けれど、そんな夢は破られる。彼女の愛した者によって、彼女の愛した人が殺されるという、最悪最低の形で。 「……まあ、そうね」 ミズキの肯定には、万感の思いが込められている気がした。 「どうしてセロがあんなことをしたのか、わたしには今もわからない。でも、少しだけ吹っ切れた。やっぱり、わたしはセロを本当に憎むなんてこと、できやしないんだって」 「辛く、ない?」 「今はね」 辛くないはずがない。愛する男を失って。 「わたしは、今もどこかで彼の幻影を追っているんだと思う。葬ったのも弔ったのもわたしなのに、まだ生きているような気がしちゃうんだ」 「なんとなく、わかるよ」 「うん、ありがと」 でもね、とミズキは続く。 「わたし、後悔はしてないの」 「なんで? だって、苦しいんでしょ?」 「うん。でも、さ」 なぜか。 ミズキの笑顔が見えた気がした。 「愛する人を想うって、ちょっぴり切ないけど……、でも、すごく、温まるんだよ」 ――キリュウ。 「だからさ、クルルも。告白してみない?」 「で、でも、あたしは」 ――魔獣は。 「彼なら大丈夫だと思うよ?」 「う、うん。でも、なんだか怖くて」 ――愛されるのだな。 「動かなきゃ、何も変わらないよ。彼だって意識しないと思う」 その後の話は、あまり記憶にない。耳に入ってはいたはずなのだが、頭が記憶していなかった。 私にとって衝撃だったのは、ミズキの言葉だ。 彼女がキリュウを愛していたことは察していた。だけど、まさか、これほどまでとは。これほどまでに、純粋に愛してくれるとは。 ああ、キリュウ、私たちは生きていた意味があった。私たちは無駄などではなかった。お前はこの世界に何かを残した。 ……では、私は? 私は、何を残す? ――――― ★ ――――― そんな話、聞くつもりはなかった。聞きたいとも思っていなかった。偶然、耳に入ってきた。それだけのことだった。 だが、聞いた後ならばハッキリと言うことができる。私は、その話を聞いてよかった、と。 ミズキは気付いていないだろう。クルルに至っては論外だ。 けれど、私にとって彼女の想いは意味がある。 魔獣は、永遠にも等しい時を生きる。長い生は中身を薄める。私にとって、魔獣の体というもの、いや、魔獣という存在そのものが嫌悪すべきものだった。 戦争の道具。眠った兵器。 我々は起きるべきではなかった。我々は死ぬことはできない、そのぶん、歴史の表に出るべきでもなかった。 だが、そうではないのだ。我々も生きていて、人と同じように生活していいのだと、そう教えられた。 「そういう、ことなんじゃなぁ」 ノエルの姿が見えなくなると同時、私もまた口の中で呪文を唱えた。 「『とんびのつばさ』」 体が浮き上がる。そのまま飛び出した。 町を見下ろすところまで飛び上がった私の下から、突風が吹き荒れる。 「わしらは生きておる。わからぬわけでは、ないのじゃよ。人が人の気持ちを察する程度には、お主の気持ちも理解しておるつもりじゃ」 それでも。 「関係がないんじゃが、な。わしにはわしのやるべきことがある。それは、お主を止めることであり、古代魔法の起こす戦をなくすことじゃ」 それが、最後の魔獣の、唯一の役目だ。 「『とんびのくちばし』!」 下方から襲う疾風の一撃。防御はしない。私はさほど防御に熟達しているわけではないし、そもそも貫通性の高い魔法だ。壁などあってないに等しい。 適当に空を舞いながら、攻撃をかわし続ける。防御だけに優れたノエルの戦法は、私の動きを捉えきれないようだった。 「ちょろちょろするなよッ!」 「無茶を言わんでくれるかのぉ」 追いついてきたノエルが刀を振るった。 刀の攻撃は断つ一撃。重厚な鎧でもあれば防げるだろうに、と少しだけ後悔する。 「『とんびのたいあたり』!」 『くちばし』に比べると貫通性は劣るが、そのぶん範囲の広い攻撃で反撃をする。が、そんなものは一刀で軽く断ち切られてしまった。 「ふうむ。やはりわしの攻撃程度ではどうにもならんの」 お互いに決め手を欠く状態。このまま時間稼ぎをしていてもいいが、それでは私の気持ちが静まらない。 そう、気持ちだ。私は、この子があわれで仕方ない。この子に、本物の力を見せてやりたい。 仮初の、偽りの天才などではない。人知では及ばない力というものを。 「じゃが、なぁ」 私とて攻撃力がないわけではない。暴走した四体の魔獣、それらを同時に抑え込める力が私とキリュウにはあった。 だが、今、キリュウはいない。戦う力に特化していたキリュウと違い、私の力は移動と索敵が主。『けもの』の魔法を使ってもノエルを倒すことはできないだろう。 「ちくしょうッ……、馬鹿にしてェ!」 やみくもに刀を振るうノエル。それを眺めながら、思う。 キリュウ。もしもお前がこの場にいたら、もし私の代わりにこの子と戦うことになっていたら、お前はどうしていた? 決まっている。あの人間好きの変わり者のことだ、刀でも弾いて、説教を始めたことだろう。 あの男は私と違い、人の心を捉える魅力を持っていた。言葉にはできないそれのおかげで、あいつは人間の社会にもずいぶんと上手に溶け込んでいた。 同時に、悪童を見かければ出て行き、性根を叩き直してもいた。街々を転々とする中で、あの男に救われた人間もずいぶんといただろうと思う。 「それが、わしはどうじゃ」 私は人を幸福になどできていない。救うなんてもってのほか。それどころか、不幸の種を撒く始末。 こうして目の前にいる小さな迷い子にさえ正しい道を示せずにいる。 「一度で、いい」 キリュウ。ほんの一度でいい。お前の力を、貸してくれないだろうか。 この子には素質がある。飛び抜けたものはないが、多彩に様々な技術を身に着ける能力がある。それもまた、一種の天才であろう。誰だかも知らぬ者がこの子を手駒に加えたのも頷ける。 こんなところで、この子の素質を潰してしまいたくはない。殺してしまってはいけないのだ。 拮抗する中での死では意味がない。上からの、死さえ奪う勝利がなければ意味がないのだ。 「……そのためには、覚悟せざるをえまい」 懐の下に手を突っ込んだ。抜き出したのは、細やかな装飾が刻まれた銀の短刀。 最初から覚悟をしていれば。自分が傷ついてもなお、という強い心があるのなら。私はこんなにもてこずることはなかった。 ああ、説教をしておいて、私は他の誰より弱かった。痛みを、苦しみを恐れていた。 まったく、情けない。 「ノエル=リーチェ!」 吹き荒れる風に負けまいと、声を張り上げる。 「敗北を認めるのであれば今のうちじゃぞい!」 「バカなこと言ってないで、とっとと死ねよッ!」 返礼とばかりに飛んできた『くちばし』はかわし、私は短刀で指先を斬り裂いた。 流れる鮮血。鋭い痛み。しかし、恐怖していても仕方ない。 「わしは、もう十分に生きた」 皆、先に逝ってしまった。 後は、私だけだ。 「じゃが、何も残しておらぬ」 せめて。この長く薄い命、その最後には、何かを残そう。 今まで何もしてこなかった、その代償に。 短刀を懐に戻し、私は両手を組んだ。 「わしら魔獣に、魔法は必要ない」 何故ならば、魔力を持つから。 人間の持つようなかすかなものではない、莫大な量の魔力。そこに呪文などという面倒な形式など必要ではない。 「ただ魔力を放出する、それだけでいいんじゃよ」 指をノエルに向け、適当に魔力を放つ。 傷口から血と共に溢れる魔力が指を伝い、ノエルに向かって飛び出した。 「ッ!?」 紙一重でかわす。さすが、防御のスペシャリスト。 「どんどん行くぞい」 魔力弾の連射。 ノエルはあるいはかわし、あるいは刀で断ち切っていく。その無駄のない動きはまさに驚嘆に値する。 「かわすか斬られるか。この程度の攻撃力ではダメか」 莫大な魔力を持つとは言っても、無限にあるわけではない。このような戦法ではいずれこちらが消耗して倒れる。……この高度では助かるまい。 「ふうむ。これは、ちと疲れるんじゃがな」 両手を重ね、目を閉じる。視界ではなく、魔力と風の流れだけで敵の居場所を掴む。 同時、自分を囲むように魔力を吐き出していく。 「どうしたッ!? 覚悟したかッ!」 ノエルが迫る気配。刀を腰だめに、突進する腹積もりか。 ……好都合。 「死ねッ! 化物ォ!」 刺さる。思った瞬間、風が舞う。 「ぐッ……!」 腹に走る鋭い痛みと熱い衝撃。そのまま、血に濡れた腕を掴み取る。 「逃がさん。お主もわしと一緒に喰らってもらうぞい」 「な、に?」 目を開くと、自分を囲む魔力の鎚が見えた。 「風のハンマー、それも八方からの同時攻撃じゃ。受けることもかわすこともできぬ。一緒に死の淵を見学しようかのぉ?」 「やめッ……!」 あのキリュウをして、これは防げぬと言った。 この攻撃は! 受けて耐えるしかない! ゴッ――! 空気が凶器となる音。 爆音にも似た轟音。 全身の骨が軋み、血が流れて見えなくなる。 「ぐ、う!」 痛い。 こんな気分を味わうのは、いかほどぶりか? 「おおおおおおおあああああああァァァァァァァ!!」 だから、どうした! あの少年は、自らの命を賭して人を救おうとしているというのにッ! 痛みを弾き、苦しみを受け止め、過去の己を殺す。 今。ここで! 全力を尽くさないで、どこで尽くすと言うのか! 「滅ッ!」 突如、風がやんだ。 解き放った全ての魔力が尽きたのだろう。気がつけば、私の腕の中で小さな少女が気絶していた。 「ようやった。お主は、ようやったのじゃ」 この子の言う『彼女』は、おそらく君を褒めないだろう。 だが、私は知っている。君は、十分に頑張った。自分の背丈以上のところに手を伸ばし、必死で努力をした。 「今は、眠るといい」 そっと、その小さな肩を抱きとめた。 下に降りて血止めをしていると、ミズキが駆けてきた。 「ん? なんじゃ、セロまで引き連れて」 やはりと言うべきか、死んでいなかったか。ノエルの腕で彼を殺せるとはとても思えなかった。 「クレタス、無事でしたか!」 「これが無事なものか。見てみぃ、傷だらけじゃぞい」 血に濡れた衣を見せびらかす。一方のミズキは、見たところ小さな傷ばかりで大きな怪我はしていなかった。これはさすがと言ったところだ。 「ノエルにそこまでやられたのかよ」 「うるさいのぉ。わしは戦いは専門外なのじゃ。ここまでやっただけ良いと思わぬか」 「知らないよ、そんなこと」 ……ふむ。どこか素直になっているな。 セロはセロで、何か思うところでもあったのだろうか。 「お主、肩を貸せ」 「はぁ? なんでおれが……!」 「仕方ないじゃない、セロ。助けてあげて」 ミズキが言うと、急にセロは頬を染め、口を尖らせつつも私の下に潜り込んできた。 「なんじゃ。ミズキの言うことなら聞くのかの」 「うるせえ。文句を言ってるとそこらに置いて行くぞ」 「いやいや、そういうわけにもいかん。戦いの行く末は見据えておきたいからの」 町の先を見る。この先に神殿があるはずだ。きっと、カズマたちはそこにいるのだろう。 ちらと見た。壁に寄り掛かって眠っているノエルは、しばらくの間は起きそうな気配はない。 「ノエルは、いいのですか?」 「うむ、今は戦いが先決じゃろう。なに、こやつも今さら何かできるとは思うまい」 先の戦いがこの子の心にどう影響するかはわからないが、何かは残せたはず。私はそう信じている。 「さて、行くとするかの。決戦じゃな」 「腰抜けてるくせに、よく言うよ」 震える足で歩き出す。 宿命の終わりを目にするべく。 |