カツン、という足音があたしを現実に引き戻す。
「クルル。おとなしく紋章を渡しなさい、とは言わないわ。せいぜい抵抗すればいい。そうして、むごたらしく死んでいけばいいのよ」
「……先生。先生は好きな人がいたんですか?」
 不思議と心が落ち着いていた。
 思いだしたことで、自分の役目にも気付いたからかもしれない。
「でも、告白はできなかったんですよね。自分に自信がなくて」
 その気持ち、ちょっとだけわかるなぁ。あたしもカズマ君につり合う自分があるかって考えたら、ちっとも自信が湧かないもの。
「だから、魔法の力で告白したい。そうすれば、あるいは不出来な自分でも成功するかもしれない」
 そのために、たくさんの人を傷つけた。
 グレンさん。ノエル。セロ君。
 ミズキ。クレタス君。
 そして、カズマ君。
「あなたは、たくさんの人を、苦しめた。傷つけた」
「だから何? 許せないとでも言うつもり?」
「そんなこと、言いません。あたしが言いたいのは、ひとつだけ」
 ミズキは言っていた。
『愛する人を想うって、ちょっぴり切ないけど……、でも、すごく、温まるんですよ』
 カズマ君が言ってくれた。
『クルル。ありがとな。オレも、お前が大好きだ』
 人を好きになるっていうこと。
 あたしだって本当のことがわかっているのかって聞かれたら自信がない。だけど、これだけは言える。言わなきゃいけないと思う。
「あなたのそれは、本当の“好き”って気持ちじゃない」
「何、ですって?」
 ぴくり、と先生の顔がゆがむ。
 それは先生にとっては我慢がならない言葉なんだと思う。それでも言う。
「あなたは愛されたいと願い続けた。そのために人を踏みにじった。愛するって、きっと、そういうことじゃない。そのために他の全てを犠牲にすることじゃない。それがあるから頑張れるものなんだ。
 あなたが愛されないなんて当然だ! 人を平気で踏みにじれる人が、人間を人間と思わずに生きられる人が! どうして愛なんて語れるの!」
「う、るさいッ! 黙りなさいッ!」
「黙らないよ! 黙らせたいなら力でそうしなよ! カズマ君にしたみたいに! 他の人たちを従えたみたいに! そんなので人の愛なんか勝ち取れるはずがないじゃない! 意志さえ認められずに支配されて誰が従うの! それがあなたの“好き”なの!?」
「誰が好きこのんでこんなことするかッ! 私だってやりたかったわけじゃない! こうでもしなきゃ対等になれなかったのよ! それでも対等になんかなれないのよ! 仕方ないでしょう!」
「好きになるのに対等になんかなる必要ないじゃない!」
 びくん、とルイーズの肩が震えた。
「どうして素直に言わなかったの? どうしてそれを他のせいにしたの? どうして自分を悪く言うの?
 ――好きになったからって、相手も自分を好きになってくれるとは限らないよ。でも、その時はその時。だって、自分が相手を好きになって、幸せになれたのはホントウなんだから」
 あたしは、そうだった。
 カズマ君を好きになった。
 それで、それだけで幸せになれた。それで十分だった。
 カズマ君が存在している。あたしの好きな人が笑っている。
 あたしには、それで、十分だったから。
 だからあたしにはわからない。ルイーズの気持ち。
 ごめんね、カズマ君。あたし、嘘ついた。
 やっぱり約束、守れそうにないよ。だって、あたしには全てを受け止める度量なんてないから。
 あたしは、カズマ君が好きだから。好きな人のことだから、それがどんな事実だって受け止められる。一緒に背負いたいって思える。
 だけど、ルイーズの気持ちだけは理解できない。それを受け止めることはできない。
 好きって、そういうことじゃないと思うから。
「ルイーズ。聞かせて。あなたの好きな人のこと。思い出して、その人のこと」
 なぎなたの切っ先が、あたしに向いた。
「あんたがあの人を愚弄するな」
「あなたに教えてあげる。あたしの知っている、“好き”って感情を」
「ガキが生意気なこと言って……、恋だの愛だの語るんじゃないよォ!」
 切っ先があたしに迫る。
 それをぼんやりと見つめながら、あたしはカズマ君を抱いた。
 大丈夫だよ。あたしの中に、温かさは残っているから。
 自然と口元がほころぶ。そして、気付いた。
 ほっぺが、濡れてる。
「これが、あたしの気持ちだよ」
 胸が、温かい。
 あたしは目を閉じた。まぶたの裏で、カズマ君が笑っていた。
 ――好きだよ、クルル。
 あたしも、だよ。
「『なみだのしずく』」
 ほう、と。
 世界が明るくなった気がしたけど、気のせいかもしれない。
 だってすぐ、暗くなってしまったから。

 夢を見た。
 それが夢だってわかった。だって、それはありえないことだから。
 カズマ君と一緒に手を繋いでいる。場所は、どこだろう。どこかよくわからない草原。そこで、ふたりで星空を眺めていた。
 他には何もなくて、ただ月と星、ついでに包み込むような夜風しかなくて。
 世界には、あたしとカズマ君しかいなかった。
 それがあたしにはとても幸せで、他のものなんて目に入らなかった。
 そう、なんだよね。
 あたしには、カズマ君がいれば幸せなんだ。ふと、そう思った。
 カズマ君がいれば他はいらない。もちろん、クレタス君が苦しめば助けに行くし、ミズキが悩んでいれば相談に乗るし、ルイーズ先生が泣いてれば話を聞くくらいはしてもいい。
 でも、あたしが本当に望むものは、カズマ君と過ごす時間だから。
 クレタス君でもない。ミズキでもない。他の誰でもなく、あたしが隣にいて欲しい人は、カズマ君だから。
 カズマ君の世界を見たい。カズマ君のことを知りたい。カズマ君と過ごしたい。
 あたしにとってはそれが全てで。戦いも何も、きっとそのための手段なんだろうなって思う。
 カズマ君は少し違うみたいだけど……、それは、仕方ないよね。
 人の心は勝手に動かせない。だから、動いてもらえるように、頑張るんだよね。
 ――きっと。

 目を開くと、石の天井が見えた。
「あ、気がついた!」
 視線を合わせると、男の子があたしを見下ろしていた。
「セ、ロ?」
「あー、身構えないでくれよ。ついでにここは天国でも地獄でもないからな」
 そういえば、クレタス君やミズキもいる。ってことは、セロも無事だったんだ。
「ノエル、は?」
「ぶちのめしたら眠ってしまったのでの。置いてきたんじゃ」
「ぶちのめした……」
 あー、初めて会った時、クレタス君も魔獣とか言ってたような気がする。意外と強いのかも。
 視線は泳ぐ。自然と、前へ。
「あ……」
 あたしから少し離れたところで、ルイーズ先生が膝をついていた。放心している。目から、涙が流れていた。
 あたしの視線に気づいたのか、クレタス君が言う。
「お主、『なみだのしずく』を使ったんじゃな。どうなったのやらわしのもようわからんがの、そやつはもう戦うことはできんじゃろ」
「あのルイーズを止めるって、どういう魔法なんだよ」
 頭を振った。まだ、なんとなくボーっとしていた。
「なら、えっと、あたしたちの――勝ち?」
「勝ちか負けか、と言えば勝ちだと思うわ。……けど」
「ん? ミズキ?」
 ミズキの表情が暗かった。見れば、クレタス君やセロも暗い。なんていうか、お葬式か何かのような、沈痛な面持ちっていう感じ。
「犠牲が、大きすぎるわ」
 ぶるっと背筋が震えた。
 ああ。あたしは、現実と向き合わなきゃいけない。
 さっきから視界には入っていた。だけど、意識的に見ないようにしていた。
 今、そこにある現実。見たくないものを、見ないようにしていた。
 だけど、いずれは、対面しなきゃいけない。
 あたしは視線を降ろした。そこに、男の子が倒れていた。
 あたしに抱きかかえられて眠る、愛しい男の子。
 その目が開くことは、もうない。
「カズマ君」
 頬に触れる。温かさが、徐々に失われている。
 ああ、死ぬって、こういうことなんだ。
「なんでだろうね。あたし、頑張ったんだよ?」
 でも、カズマ君ほどじゃないなぁ。だから、かな。こういう結末になったのは。
 あたしがカズマ君と肩を並べて戦えたら、違う結果になったのかなぁ。
 ……ならない、よね。
 カズマ君、最初から――死ぬつもりだったんでしょう?
 ぽたり、としずくがたれた。
「奇跡って、起きないものだね」
 声がやけに響く気がした。