一度、首都に戻って準備を整える。違う町まで行くとなれば、これはもう小旅行だ。炎の洞窟のように気軽に行けるわけじゃない。 誰もいない部屋で、オレは旅行の準備を整えていた。 「これでだいたい必要なものは揃えたかな……」 必需品を小さな鞄に詰めて、オレは確認をした。よし、完璧だ。これでいつでも出発できる。 「随分とご機嫌ね、カズマ」 背後からの声に、オレは思わず軽い舌打ちをした。 「なんであんたがここにいる、ルイーズ」 「なんで、とは失礼ね。学院の教員が学院の寮にいて何がおかしいのかしら」 振り返った先、部屋の入り口に、コートを着た長身の女が立っていた。 十人並みの容姿の中で、眼光の鋭さだけがいやに印象に残る。 ルイーズ=アークライト。オレの裏を知る、数少ない人間。同時に、オレが仕事に関して名前と顔を知る、唯一の人間でもあった。 「そういう問題じゃない。ここは男子寮。あんたは女だ」 「教員は必要とあれば異性寮に入ることも許されているわ。学則を覚えていないのかしら?」 「必要とあれば、だろ。オレに会うなんてぇ後ろ暗い用件を必要と他人に説明できるのか、あんたは」 「大丈夫よ。きちんと用件を持ってきてあげたから」 ひらひらと紙のようなものをひらめかせ、ルイーズは言う。 「あなた用の補習課題。炎は成績抜群だけれど、他の系統は本当にダメね、あなたは」 「ほっとけ」 オレが魔法を使えないのは生まれつきだ。これだけは、オレがどれだけの努力をしようとも、まったくダメだった。オレは、生まれながらにしてそういう風にできているのだろう。 ルイーズはオレの鞄に視線を走らせ、 「ご旅行かしら? 良いご身分ね。こっちは生徒の採点にも忙しいというのに」 「そりゃあんたが裏の仕事しているせいだろ。普通の教員ならとっくの昔に休みに入ってるぞ」 ルイーズはその鋭い視線でオレをにらみ、 「生意気な口を叩くのね。私がその気になれば、あなたの旅行を取りやめてお仕事を入れることも不可能ではないのよ?」 「んなことしてみろ。抵抗しまくるぜ、オレは」 「そんなことがあなたに可能かしら」 沈黙。にらみ合いは、そう長くは続かなかった。 「まあ、いいわ。今回は特別に許可してあげる」 ふい、と視線をそらしたのは、ルイーズが先だった。 「そりゃどうも。何が目的だ」 「あら、失礼ね。たまにはあなたにも休暇が必要だろうという親心よ」 「ハッ、何が親心だ。本当の親なら子供に人殺しなんざさせないだろうよ」 「それはどうかしら。最近は特に物騒だものねぇ、子を捨てる親、子を売る親なんてのもいるくらいだから。子に殺しをさせて金銭を得る親というのもいるかもしれないわよ? あるいは、あなたが殺した中にそんな人がいたかもしれない」 オレが押し黙ると、ルイーズは調子に乗ったように続けていった。 「人を殺すということは、その人間の未来も過去も、その全てを否定するということ。あなたに他人の人生をどうこう言う資格はないわ。もちろん、私たちも、だけれどね」 カツカツと足音を鳴らし、ルイーズが近づいてきた。オレには、それをにらみ返すことしかできない。 細い指がオレのあごに触れた。 「忘れてはいけないわよ。あなたは上の意思で生かされている。上がその気になれば、あなたが眠っている時、食事をしている時、友人と語らっている時、その周囲の全てを巻き込んで殺すことさえできるの」 「クルルに手ぇ出しやがったら、首だけになったってお前ら全員を喰い殺してやる」 「それはあなたの態度次第。あなたが従順な犬に成り下がると、いえ、成り続けると言うのなら、彼女の身の安全は私たちで保障してもいい。あなたはその程度のことは望めるわ」 「それだけオレが人を殺したから、だろ」 オレは、殺し続けることによって生きている。オレが得たものは、死の上にあるものばかりだ。 「悪いがごめんこうむる。あいつには、オレたちとは一切、欠片たりとも関わらせたくないんだ」 「……そう。それが正しいかもしれないわね。彼女は何かにつけて平凡すぎるわ」 一瞬。ほんの一瞬だけ、ルイーズの視線から鋭さが消えたような気がした。 すぐにルイーズはきびすを返し、扉の前に立った。 「カズマ。忘れてはいけないわよ。今のあなたは、もう失えないものを持っている。けれどそれは、私たちが持っていてはいけないものなのよ」 返答は期待していないのだろう。そのまま、音もなく扉の向こうに消え去ってしまった。 「んなこと、言われなくてもわかってるよ」 失えない足枷。 そのせいで死んだ奴は、ごまんと見てきた。 それでもオレには、クルルが――必要なんだ。 出発の日、準備を整えたオレとクルルが約束の場所に行くと、グレンはすでにそこで待っていた。 「やあ、来たね」 車に背中を預けていたグレンは体を起こし、親しげな笑みを浮かべた。 スティンガー社の名前が入った車。グレンが会社から借りてきたものだ。車が使えるなら、違う町に行くのもそう難しいことじゃない。休暇はまだ残ってるし……、不本意とは言えるが、クソ女の許可も得ている。 「それじゃ、トルティアに行くとしようか」 車は二人しか乗れなかった。その代わりに荷台があり、そこに旅荷物も載せてある。 運転席にグレンが。助手席にクルルが乗り、オレは自ら荷台に乗った。 本当はグレンのこともまだ完全に信用したわけじゃない。だから、クルルも荷台に乗せたかったくらいだ。けど、さすがにここは乗り心地があまり良くない。とてもクルルを乗せる気にはなれなかった。 ガタガタと揺れる道を車は行く。のんびりと走っているように見えて、景色の流れるスピードは段違いだ。やはり車を使えてよかったと思う。 「魔獣、か」 暇になったオレは、荷台から運転席の方を監視しながら、あの洞窟のことを考えていた。 魔獣が眠る洞窟。誰も帰ってこないという話もあながち嘘ではないだろう。あの魔獣に戦う気はあまりなかったように見えたが、攻撃をしようとした時の熱量は、人間なら骨も残らないだろうと思えるものだった。 だが、疑問はいくつかある。 ひとつは、あの印を封印したのは誰か、ということ。少なくても結界陣なんかの魔法陣を施した人間がいる。そいつは相当の魔法使いだ。オレが強引に破ろうとしても破れなかったんだから、それは確実。 もうひとつは、あの封印をした時、魔獣はすでにいたんだろうか、ということ。仮にそうなら、あの印を封印した奴は魔獣よりも強いってことになる。下手をすれば、あいつを従えるほどに。 「魔獣を従えるほどの人間」 それは、本当に人間なのか? オレも腕にはそこそこの自信がある。それだけに、あの魔獣の強さが常軌を逸していたことがよくわかる。 そんな化物を従えられる人間。それは、いったいどれほどの鍛錬の末に辿り着ける領域だって言うんだ? オレには、とても辿り着けるとは思えない。 視線を意識する。オレの視界には、グレンの様子が入っていた。 グレン=パイク。本当に、何者なんだろう。 いかに警備最大手のスティンガー社の人間とはいえ、そして、いかにオレの力を借りていたとはいえ、あの魔獣を叩きのめすほどの実力の持ち主。オレには、あいつも化物のように見えてしまう。 クルルは平然と笑っていた。あいつには、グレンの強さが理解できていないんだろうか。 そうかもしれない、と思った。クルルはオレよりもはるかに弱い。あいつにとって、オレはずっと雲の上の力を持つ存在だ。同じ雲の上なら、オレもグレンも大差ないのかもしれない。 もっとも、単純に理解しつつ気にしていないだけかもしれないが。 「やめた」 そこまで考えて、思考を止めた。考えても答えの出ない問題について考えても仕方ない。 疑問はいくらでも出てくる。そのどれもが、今までのオレの知識では解決できないものばかりだった。 それが、わかるんだろうか。トルティアの賢者に会えば。 「わかるといいな」 独り言は、風に流れて消えた。 |