途中で野宿して、トルティアの町に辿り着いたのは翌日の昼過ぎだった。
 町そのものは取り立てて目立つものもなかった。さすがに首都と違って学術院の数は少ないみたいだけど、それ以外はあんまり違うようには見えない。ああ、そういえば車や人の数は段違いに少ないな。
 とりあえずはお昼を食べてから、ということで、オレたちは手直な食事処に入った。クルルはいつもより控えめに注文している。グレンの手前、ちょっと遠慮したんだろうなぁ。女の子であれだけ食べるのは絶対に目立つし。
「そういえば、トルティアの賢者ってそんな簡単に会えるんですか?」
 食事も終わってまったりと休んでいる時、オレはグレンに問いかけた。
 賢者。なんでも知っている人。そんな人に簡単に会えるとなれば、誰だって会いたいと思うはずだ。何の悩みもなく生きている奴なんてそうはいない。
 けど、そんなことになったら、とてもじゃないけどオレたちが飛び込みで会いに行って会えるかわからないんじゃないか。ふとそう思った。
「それなら大丈夫だよ。賢者様は誰とも会わないそうだから」
「大丈夫て。それじゃあダメじゃないですか」
 誰とも会わないんじゃ論外。オレらも会ってもらえない。
「その点も考えてあるよ。賢者様はね、興味の沸く客にはきちんとお会いになられるそうだ」
「興味の沸く客、ね。それで新しい印を見せれば」
「そう」
 グレンは頷く。完璧、なんだろうか。なんとなく引っかかるのは、オレの気にしすぎだろうか?
「グレンさん。その賢者様の塔ってここから近いんですか?」
「うん、車ならすぐだろうって話だ」
「じゃあ、もうすぐわかるんですね。これのことが」
 クルルは胸元のペンダントを見下ろした。
 本当に、不思議なペンダントだ。刻まれている紋章は、ただの装飾じゃない、ただならぬ精緻さを感じさせる。
「ま、それで新しい魔法がわかっても、クルルに使えるとは思わないけどな」
「えー。なんで?」
「自分の成績表とにらめっこしてから言え」
「むー……」
 クルルは反論もできずにうつむいた。
 そんなオレたちの様子に、グレンは笑う。
「はは、君たちは仲が良いね。クルルちゃんはそんなに魔法が苦手なのかな?」
「苦手、ってほどでもないんですけど。どの魔法を使ってもパッとしなくて。一番まともなのがかえるなんで、今もかえるを練習中です」
「慌てることはないさ。魔法は誰にだって使える技術だ。多少の向き不向きはあるけどね。練習さえすれば誰でもひとつはマスターできる。私だって、今ほど魔法を身につけるには相応の時間が必要だった」
 確かに。そのための学術院だ。
 中には複数の魔法を使えるようになる奴もいる。天才って部類だ。けど、そんなのは特別。大半の人間は、どれか一種類を使えて、他の魔法はほんの基礎くらいしか使えない場合が多い。
 そういう意味では、オレは落ちこぼれだ。なにせ、とかげの魔法しか使えないんだから。その代わり、とかげに関して誰かに負けたことはないが。
「魔法が使えるのはいいよ。便利だ。科学も魔法がなければ発展しなかったんじゃないかと、私は個人的に考えているんだがね」
「……? 科学と魔法って別物じゃないんですか?」
「とんでもない。根は同じ。人間の文化を発展させようとして、あるいは自然の摂理を解明しようとしての手段だ。アプローチの仕方に違いはあろうとも、究極的な目的は同じだよ」
 もっとも、とグレンは視線を落とす。そこに、オレは暗い影を見たような気がした。
「魔法はいずれ衰退していくかもしれないけどね」
「魔法が衰退する? どうしてですか?」
「科学がここまで発展してきたからさ」
 グレンは視線を表に移した。オレもその先を見る。そこに、オレたちの乗ってきた車があった。
「たとえばあの車。あれは魔法の技術も多少は使われているが、大半は科学によって成り立っている。いずれ、科学だけでああいったものが作られるようになるだろう。そうすれば、練習などなしに誰でも遠くまで移動できるようになる。
 他のものもそうだ。練習しなければ使えない魔法と、練習せずとも使える科学製品。大衆がどちらを求めるかと言えば、答えはひとつでしかない」
 だから、魔法は衰退する。そう言いたいんだろう。
 今は魔法が必要になる局面も多い。あちこちで専用の魔法術式が使用されている。
 けれど、それもいずれは科学に取って代わられるかもしれない。いや、確実にそうなりつつある。
「それはそれで仕方ないと思うんだ。時代の流れだからね。だけど、変えられるなら変えてみたいとも思わないか」
「流れを、ですか」
「そう。時代の最先端に立つというのは、とても気持ちいいことだよ」
 残ったお茶を一気に飲み干し、グレンは立ち上がった。
「さて。そろそろ出発するかい?」
「はい!」
「――ええ」
 少しだけ。
 ほんの少しだけ、グレンという男がわかったような、そんな気がした。

 車ですぐ、という言葉はまさにそのままだった。
 荒れた道を走ること、十数分。早くも塔らしき姿が見えてきた。
「あれが、賢者の塔?」
 高さはおよそ十階建てってところか? 相当に高い。構造物としても、かなりの年月を感じさせる。何百年という歴史があってもおかしくなさそうだった。
「ん?」
 車の進行方向。塔の手前のところに、人影があった。グレンはその少し手前で車を止める。
 塔の前でまるで待ち構えていたかのように立っていたのは、若い男……、なんだろうか? どちらかと言うと少年だろうか。年齢はオレとほとんど変わらないだろう。男にしては少し長い髪に街中にいるような軽装だ。荷物らしきものも見当たらない。
 ただ、両手には色の違う手袋をしているし、腰には剣らしき鞘もある。友好的な表情なのに、友好的には見えなかった。
「こんなところでどうしたんだい?」
 グレンが運転席から問いかける。少年は薄く笑みを浮かべ、
「うん、ちょっとねー」
 ――瞬間。オレはそっと拳を握っていた。
 理屈じゃない、感覚だ。こいつは、ヤバイ。
 グレンもそれを感じたんだろう。エンジンを停止させ、運転席から降りた。オレも荷台から飛び降り、助手席の扉を開く。
「カズマ君? どうしたの?」
「いいから、降りろ」
 クルルも降ろして、オレたちは少年の前に立った。もちろんクルルは後ろに隠す。
「なんだかものものしい雰囲気だね。どうしたの、いきなり。まだボク、名乗ってもいないんだけど?」
「なら名乗ってくれるのかな?」
「ふふん。レディに名乗らせるなら、まずは自分からだと思わない?」
「……女だったのか」
 ぽつりとこぼれた言葉に、少年――もとい、少女はくすくすと笑う。
「しっつれいだねー。そんなことを普通の女の子に言ったら嫌われちゃうよ? まあ、君はちょっと顔がいいから許してあげるよ」
「そりゃどうも。で、お前は誰なんだ」
「ボクはね、ノエル。ノエル=リーチェ。職業は、まあ無職かな。それで目的なんだけど、そっちは聞かなくていいかもね?」
 すっと、ノエルの左手が動く。同時、オレとグレンも動く。
「『とかげのひとみ』!」
「『かえるのうた』!」
 ノエルの逃げ道を塞ぐようにグレンの水流が襲い、本体にはオレの熱線が迫る。けれども、その中でノエルはまだ、笑っていた。
「んー、だめだめだねぇ」
 抜剣。瞬間、炎も水も断ち切られた。
「なッ……!」
 白刃がきらめき、魔法が霧散する。そして、ノエルが動く。
「逃げろっ!」
 ドン、と体を押された。オレの立っていた場所を刃が通り抜ける。
「へー、なかなか強いじゃない!」
 ひゅん、と刃をひるがえす。あれは、刀だ。武芸の国『ロットガルド』だけの独自の武器。砕くためではなく、純粋に“斬る”ことだけに特化した武器。他の武器と比べて効率性もリーチも劣るが、そのぶん、威力だけは抜群というかなり特殊な武器だ。
「ボクの太刀筋を見切ったね? すごい目だよ」
「刀相手は初めてじゃないんでね」
「そう? それは経験豊富だね。だけど、だからって勝てるとは思わないで欲しいかなー」
 無駄なく構える。隙だらけに見えて、実際はまったく隙がない。どこから攻めても、あの太刀で一瞬の内に両断されてしまうだろう。
 困ったことに、オレもグレンも基本的には武器を使わない。拳と魔法で戦うタイプだ。こういったタイプは、刀みたいな武器とは相性が悪い。懐まで飛び込むのさえ手間になる。
 ちらりと、グレンとアイコンタクトをかわす。こいつは強い。おそらくはオレよりもグレンに近い領域にいる。
 だったら、無理に懐に飛び込むことはない。魔法主体でいけばいい。
「『とかげのほうこう』!」
 拳を突き出し、炎で攻める。その間にグレンはオレと少し距離を開く。
「『かえるのうた』!」
 相手が初めて魔法を使った。かえるの中でも簡単な魔法。威力はオレの攻撃に及ぶべくもないが、ただ受けるというだけなら十分。
 水が一瞬にして水蒸気に変わる。あたりが白くなる。
「『かえるのだいがっしょう』!」
 そこにグレンの魔法。白い煙が水によって消え去り、さらに水波がノエルに襲いかかる。
 それを一息に断つノエル。太刀筋は立派なものだ。けど、完全に振り切った状態からは一瞬の間が空く!
「『とかげのひとみ』!」
 時間差の攻撃。三本の熱線がまっすぐにノエルに向かう。刀じゃ間に合わない!
 当たる。そう思った刹那、ノエルの体が消えた。