街道をひたすら歩く。歩く。歩き続ける。
 何もない平坦な道がどこまでも続く光景は、かなり寂しい。車が通ることを考慮していない道からして、相当の田舎なんじゃないかと思う。
 そんな道をのんびりと歩きながら、オレはちょっと前を歩く小さな背中に聞いた。
「クレタス。どこに向かってるんだ」
「武芸の町『アデューカム』じゃ。というかカズマ、お主はわしに敬語を使おうと思わんのか?」
「ねーねークレタス君。そこってどんなところ?」
「お主ら……」
 微妙にクレタスのこめかみは引きつっていたが、オレは気づいていないフリをした。クルルは本当に気づいていない。
 クレタスはため息ひとつ、
「アデューカムは東方の国『ロッドガルド』出身の者が多い都市での。そのぶん武芸が発達しておる。町のあちこちに道場があっての、わしの知り合いもそういう道場を構えておるんじゃ」
 ロッドガルド。懐かしい響きだ。
 オレたちが住んでいるラグヴァルランドと違い、ロッドガルドは魔法をあまり使わない。まさに己の肉体で生きる、といった古風な者が多く、武術に関してもラグヴァルランドよりよほど発展している。クルルと違い、オレはそっちの生まれだ。
「名をキリュウという。剣術が得意な奴じゃが、格闘術もたしなんでおる。まあカズマでも多少は鍛錬になるじゃろう」
「ノエルに対抗できるくらいに、か?」
 その言葉に、クレタスは若干の間を置いた。
「――それはお主次第じゃな。じゃが、お主にはあやつを倒せる可能性がある。そう見込んだからこそお主を鍛えようなどという酔狂なことをしようとしているんじゃ」
「わざわざオレに守ってもらわんでも、そのキリュウって奴に守ってもらえばいいんじゃないのか」
「ああ、駄目じゃ。あやつは戦いに向かん。血を見て気絶するようなタマじゃからな」
「……本当に強いのか、そいつ」
「強いぞ。お主の倍は強い。なにせあやつは、血を見ないようにするために強くなったような奴じゃからな」
 そう言われると、少しばかり信用したくなる。
「お。見えたぞ。あれがアデューカムじゃ」
 クレタスの指す先。地平の向こう側に、小さな建物の群れが見えた。これだけ遠くから見ると、ほとんど何もないのに等しい。それだけ高い建物が少ないということなんだろう。
「アデューカムかぁ……。どんなところなんだろうね、カズマ君?」
「ロッドガルドの出身が多いなら、そういう空気だろうな」
「ロッドガルドかぁ。あたしは行ったことないからなぁ。ねえ、今度さ、一緒に行ってみようよ!」
「はぁ? なんで」
「楽しそうだから」
「やだ。そんな理由で行けるか、あんなとこ」
 オレが返すと、クルルは頬を膨らませた。
「あのな、遠いんだぞ。別の国なんだぞ。んな炎の洞窟みたいにちょちょっと行けるようなとこじゃねーの」
「別に今すぐじゃないよ。いつか!」
「そのいつかは来ない」
「むー……!」
 それに。オレは、ロッドガルドなんかにゃ帰りたくない。
 その言葉は出かかったけど、押し込めた。クルルに話すような内容じゃなかった。
 ふと気がつくと、クレタスがじっとオレを見つめていた。
「なんだ、クレタス」
「いや。なんでもないぞい」
 ぷい、と視線を前に向けるクレタスは、けれど何かを隠しているようだった。
 変な奴、だ。

「うわー! うわー!」
「おい、クルル。あんましはしゃいで迷子になるなよ」
 きょろきょろと目を輝かせながら見回すクルルに声をかけたが、ちっとも聞こえているようには見えなかった。
 アデューカムはロッドガルド風どころか、まんまロッドガルドのような光景だった。木造の平屋がいくつも並び、たまに高い建物があったかと思えば、それはせいぜいが三階程度。首都とはえらい違いだ。
 オレにとっては反吐が出るような光景でも、クルルにとっては物珍しい光景らしく、しきりに首を回している。なんだかそんな感じのおもちゃを連想させる動きだった。
「お、ここじゃここじゃ」
 町に入って少し歩いたところで、クレタスは足を止めた。
 町の中心らしき場所からは外れたところに、その建物はあった。
 他の建物もなかなか年季が入っているが、この建物は輪をかけて古い。というか、今にも崩れそうな気がする。それでもしっかりとそこにあるのは、木造ならでわの丈夫さのおかげだろうか。
「邪魔するぞい」
 クレタスは何のためらいもなく障子戸を開いた。オレたちも続く。
「は、はい?」
 ただのだだっ広い板の間。中では女がひとり、木刀を握り締めていた。ロッドガルドの民族衣装、袴姿。長髪を白い帯で結んでいるが、それでも腰に近いところまで流れている。ありゃ手入れも大変だろうに。
「キリュウの門下生かの。すまんがあやつに取り次いでもらえんかの?」
「師匠のお知り合いの方、でしょうか?」
「そんなところじゃ」
 頷くクレタスに、女はそれまで浮かべていた困惑の表情を消した。
 といって、別に笑顔を浮かべたわけじゃない。その顔には、本当に何の表情も浮かんでいなかった。
 その理由を、オレはすぐさま知る。
「師匠は、お亡くなりになりました」
「……何?」
 クレタスはいぶかしげな声で、
「じゃが、あやつはまだ死ぬほど老いてはなかったはずじゃが?」
「少し、込み入った話になります。あがっていただけませんか?」
「わかった。わしもちと話を聞きたいと思っておったところじゃ」
 依存はないな、と振り返るクレタスに、オレたちは頷き返した。

「わたしはミズキ=シラミネと申します。お察しの通り、キリュウ先生の弟子です」
 オレたちを座布団に座らせ、茶を出した後。ミズキと名乗る女は、そう切り出した。
「キリュウ先生がお亡くなりになられたのは、ほんの半年ほど前の出来事です。先生は……」
 言い淀んだミズキは、それでも言葉を続けた。
「先生は、弟子のひとりに殺されました。現在、その弟子は逃亡中です」
「なんと、あのキリュウが?」
 クレタスは目を丸くし、
「しかし、キリュウは真の強者じゃ。そうやすやすと自らの門下生ごときに殺されるとは思えんがの?」
「もちろんです。わたしも詳しい事情を知っているわけではありません。ただ、その夜、わたしが道場に踏み込んだ時には――倒れ伏した師匠と、血まみれの刀を持った兄弟弟子の姿だけがありました」
「ということは、殺すところは見ておらんのじゃな?」
「ですが、彼が殺したことは明白です。それに、彼自身も言いました。自分が殺した、と」
 クレタスはくちびるを噛み、
「そう、か。いずれにせよ、キリュウはその時に死んだのじゃな?」
「はい。弟子はそのまま逃亡。わたしは師匠の手当てをしようとしましたが、すでに虫の息で……。わたしが抱き上げて程なく、息をお引取りになられました」
「――そう、か」
 クレタスの瞳の色は沈んでいた。オレは、こいつがこんな表情をすることが少しばかり意外だった。
 もちろん、付き合いと言えるほどの日にちを共に過ごしたわけじゃない。だけど、こいつはなんとなく、いつでも冷静にいるような奴だと勝手に思っていた。こんな風に悲しみの底に沈むこともあるなんて、思いもしなかった。
 クレタスからの質問が途絶えたところで、オレは口火を切った。
「あの、ミズキさん。ここの道場は、まだ続いているんですか?」
「わたしが稽古に使用していますが、道場としては師匠も他の弟子もいなくなってしまったため、機能していません。ただ見ての通り古い場所ですので、新たに道場を開くということも難しいかもしれませんね」
 坦々と述べるその姿に、悲しみはなかった。
 だけど、何の感情も持っていないわけじゃない。それは、ミズキの表情を見ていればわかった。
 ミズキの顔には、相変わらず何の表情も浮かんでいない。それが逆に、胸の内に宿る激しい感情を思い起こさせた。
 兄弟弟子が師匠を殺した。それは、この女の中にどれだけの感情を植えつけたんだろう。
「どうする、クレタス」
 声をかけると、クレタスはようやく顔を上げた。
「そうじゃなぁ。少なくともこれでは、当初の目的は達成できんの」
 その通りだ。
 オレたちがわざわざここまで来たのはキリュウに修行をつけてもらうため。それがすでに死んでいるとなれば、ミズキやクレタスには悪いかもしれないが、こんなところに用はなかった。
 オレは一応、クルルの意見も聞いておこうと顔を向けて、その時になって初めて気がついた。
「クルル?」
 クルルもまた、ミズキと同じだった。
 その顔に表情はない。普段、あれほどまでに感情を表に出しまくるクルルが、何の感情も浮かべていない。
 それは、とても異常なことだった。
「ミズキ、さん」
 クルルはそっと口を開いた。その異様な雰囲気に、オレはなんとなく飲まれてしまい、口を挟めなかった。
「あたしたちに、修行をつけてください」
 凛と通る声で言い、クルルは静かに頭を下げた。