オレたちの寮は男子と女子に分けてあり、その中間のロビーに男女兼用のスペースがある。
 オレが寮に戻ると、クルルはそこで待っていた。ロビーの一角にある椅子に深く座り込んだクルルに近付き、
「よ。遅くなって悪かったな」
 意外と手こずった、などとは口が裂けても言えない。両方の意味で。
「ううん、それはいいの」
 クルルは封筒を抱いたまま、じっと床を見つめていた。
「……? クルル?」
 どこか様子がおかしい。
 クルルはいつも脳天気に騒がしい。オレはクルルのそんなところが気に入っているが、たまに静かになることがある。こうなったら、かなりヤバい。
「ねえ、カズマ君」
「ど、どうした」
「あたし……」
 そこで、クルルは顔を上げた。その顔には、緊張と好奇心があった。
「炎の洞窟に行ってみたいな」
「なッ――!?」
 炎の洞窟。大人でさえ立ち入り禁止になっている危険な洞窟だ。
 内部は灼熱に覆われ、奥にはオレさえ見たことのない化物、魔獣が住んでいるという。禁を破ったという話をたまに聞くが、洞窟に行った当人がその話をしたことはない。
「な、なんで炎の洞窟なんだ? あんなところ人間が入るとこじゃないだろ?」
「えっとね、さっき、先生が話してるのを聞いちゃったの」
 クルルいわく。
 先生同士の会話をたまたま立ち聞きしたクルルは、その中で炎の洞窟に関する話題を聞いたという。
 炎の洞窟。その最奥の間にあるという、不思議な印の話を。
「印って、とかげとかかえるみたいな?」
「たぶん」
 魔法は陣の力を借りなきゃ使えない。火の魔法ならとかげの陣、といった具合に。大抵の人は四つの魔法陣のうち、どれかひとつはある程度まで力を発揮できる。
「それがね、四つの陣のどれにも当てはまらないんだって」
「当てはまらない? それじゃ、まったく新しい魔法ってことか?」
「そうみたい」
 魔法は細々と色々な種類があるが、本質的には四種しか存在しない。四つの魔法陣と、それに対応した四つの系統。それが魔法のすべてだ。
 もしクルルの言う通り新種の魔法が洞窟の奥で見つかれば、それは世紀の大発見ってことになるだろう。
「……けどよ、その話って本当なのかぁ?」
「先生が嘘を言ってたって言うのー?」
 わずかに頬を膨らませるあたり、クルルはガキっぽいと思う。
「そうじゃないけどさ。帰らずの洞窟の奥底に何があるかなんて、誰が伝えるんだ」
 誰も帰って来ないなら見た人さえ帰って来ないってことになる。なのに話が伝わるのはおかしい。
「うーん。確かにおかしいよね」
 クルルも首を傾げだした。言い出した当人がこれじゃ、相当に怪しい話なのかもしれない。
「わかったらんな話は忘れちまえ。間違っても炎の洞窟に行こうなんて考えるなよ」
「うん……」
 こりゃ納得してないな。
 うっすら想像はできたが、何も言わないことにした。どうせクルルは何を言っても納得はしないだろうから。
 ――炎の洞窟か。
 なんだか最終的に行くことになる気がする。
 できれば、気のせいであって欲しいがねぇ。

 深夜。人々が眠る時間、オレは町を出歩いていた。
 思い浮かぶのはさっきの話。炎の洞窟にあるという、新しい陣。
 新しい陣がどのような性質かはわからないが、それは力に他ならない。本当にそんなものがあるなら、この目で拝んでみたいと思う。
 だけども、実在しないものを求めて帰らずの洞窟に飛び込む気はない。
 なんて考えながら歩いている間に目的地に到着した。
 朝はまだ遠く、獣さえ眠る時間。人通りなんてものは皆無で、道には静かな気配が漂っている。
 そこで待つことわずか。すぐに通りの反対側からゆらゆらと揺らめく明かりがやって来た。最近ではガスランプに押されてあまり見られなくなってきた、頼りなげなロウソクの明かりだ。
 それを持つのは、全身をローブで覆った人間。顔は布とフードで隠しちゃいるが、雰囲気がどこか女性的だ。オレの同類であり、上司であり、仕事仲間でもある。名前は知らない。会話さえほとんどしたことがない。そもそも何度か組んだことがあるというだけで、何かを知っているような間柄じゃなかった。
 オレはそばの家を眺める。今回の仕事は、この家に潜入し……。
 やめよう。あまり考えたくない。
「早く終わらせようぜ」
 声をかける。横目で女が頷いたのを確認し、オレは門扉に近寄った。
 当然、ここには鍵がかけてある。それを炎で溶かして破り、扉をそっと開いた。
 中に入ると、素早い動きで窓の下に張り付く。
 目を向けると、女は首を横に振った。良い合図だ。
 オレは軽く息を吐くと、窓ガラスに手をかけた。扉と同じ要領で窓の鍵を打ち破り、開いて突入する。
 中はごく普通の部屋だった。書斎なんだろうか。本棚がいくつか並んでいる。本はあまり読まない主人なのだろう、どの本棚もあまり本が入っていなかった。
「……そこか」
 居並ぶ本棚のひとつにオレは目をつけた。その本棚は、他の本棚と異なり、辞書らしきものがひたすらに詰め込まれていた。全ての棚に、余すことなく。
 オレは女が続いていることを確認してから、本棚に手をかける。と、それはあまり抵抗せずに横にスライドした。
 女の事前の調査で、この部屋に隠し通路の入り口があることだけは知らされていた。もっとも、ここから先の間取りはわからない。本来なら慎重にいきたいところだが――オレに命が下ったってことは、慎重にはやらないってことだ。
 スライドした先にあったのは下り階段。地下部屋か。いい趣味してやがる。
 階段を降りていくと、その先に扉があった。まずはそこに耳をつけてみる。談笑する声が聞こえてきた。
 ……誰か、いるのか。
 本当は、いなきゃよかったんだが。そうもいかないらしい。
 オレは女とアイコンタクトで確認を取り、扉に手をつけた。
 すっと息を吸い、一言。
「『とかげのほうこう』!」
 さっきとは比べ物にならない熱量が手の平に生まれる。爆炎は容赦なく扉を吹き飛ばし、オレたちの前に道を切り開く。
「なっ……!」
「黙れ」
 中にいた男が声を出す前に、素早く口を塞ぐ。その間に確認。残っている敵は二人。
 オレは指先をもうひとりの男に向け、初級の攻撃魔法を唱える。
「『とかげのひとみ』」
 指先から発せられる熱線が、男の胸を貫通した。
 声さえなく崩れ落ちる男を横目に、オレは口を塞いでいる男に問いただす。
「文書の在り処は」
 男は首を横に振ろうとした。が、それさえオレの手に押さえつけられる。
「そうか」
 それ以上、聞くことはなかった。
 指先を男の頭に押しつける。
「むー! むー!」
 くぐもった声で男は泣き叫ぶ。本当に、いい歳をしたおっさんが、涙目で命乞いをしていた。
 だけど、許すわけにゃいかないんだよ……。
「『とかげのひとみ』」
 熱線はためらいさえ見せずに男の頭を貫き、吹き飛ばす。人間だったものの破片が部屋を汚す。
 そこまでして、改めて部屋を見た。
 警備兵の詰め所のようなものなんだろうか。焼け焦げた部屋には、机や椅子の残骸の他には特に何も見当たらなかった。もちろん、目的の文書も。
「次にいくぞ」
 こくん、と女が頷く。
 オレは、思わずため息をついた。