もう手足に力は入らない。
 文字通り身動きひとつできないような状態で、オレはそれでも首だけを強引に持ち上げる。
 砕けた氷の破片がそこらに転がっていた。その中心で、グレンは――血まみれになって、それでも立っていた。
 あれだけ至近距離で、逃げ場のない攻撃魔法を喰らっておいて、それでもまだ生き残るなんて。さすがはグレン、か。とっさに水で壁でも作ったのだろうか。
「……きさ、ま、何をした?」
 減らず口を叩こうとして、けれど口さえ動かなかった。言葉が出ない。それだけの気力も残っていなかった。
「くそっ!」
 動きかけたグレン。その動きが止まる。
「グレン!」
 雨以外に何かが降ってきた。人影だ。顔は、よく見えない。
 オレは全身から力を抜いた。もう首を持ち上げることさえ辛かった。耳から自然と声が入り込んでくる。
「やばい、姉貴だ! 逃げるぞ!」
「ま、待ってくれ! せめて、あいつにとどめを!」
「こんなところで女の子とごちゃごちゃやってる暇があるか! いいから逃げるんだよ、このバカ! 殺すだけならいつでもいいだろうが!」
 子供の、声?
 誰だかわからないが、どうやらグレンの知り合いらしかった。仲間と言った方がいいだろうか。
「く、くそっ! カズマ! 君との決着はまだだ! 私との決着まで絶対に死ぬんじゃないぞ! この傷に誓って、私は君を殺してみせる!
 ああ、認めよう、君は私と対等だ!」
 叫んだ直後、グレンの気配が消えた。遠く、誰かの声が聞こえる。
「セロおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 聞き慣れた声。これは、ミズキの声だ。
 そうか。ミズキたちが来てくれたのか。
 なら、もう、大丈夫……。

 目を開くと、窓の向こうに雲が見えた。切れ間から光が差し込んでいる。
 いつの間にか、雨はやんでいた。
「カズマ君!」
 軽く視線を横に向けると、クルルが目に涙をためてオレを見ていた。
「どした、クルル。泣いて」
「どうしたじゃないよ! 心配したんだから! あんな無茶して!」
 無茶、と言われて思い出す。
「グレン、は?」
「……男の子とどっかに行っちゃった」
「そう、か」
 視線を巡らせる。どうやら、奇跡的に無事だった家の中らしい。部屋の中は埃っぽいが、とりあえず穴は開いていないし、壁も無事のようだった。
「誰が、オレをここまで、運んだんだ」
「わしじゃよ」
 声の方に顔を向けると、部屋の隅にクレタスが座っていた。ミズキの姿は見えない。
 よいしょ、と腰を上げると、クレタスはオレのそばまで寄ってきた。
「まったく、お主、いったい何をしでかしたんじゃ? 氷は散らばっているわ全身に打撲やら切り傷やらがあるわ魔力は使い果たしているわ、まったくもって手間じゃったわ」
 体を見下ろす。あちこちに包帯が巻かれ、ちょっと動かすだけでもずきりと響いた。
「――ま、あれだけの激戦の後でそれだけしか怪我がなくてよかったのぉ。下手すればお主、死んでおったかもしれんのだぞ。相手が下手な魔法使いでよかったの」
「下手? グレンが?」
「そうじゃよ。あやつがきちんと魔法を使いこなせていれば、今頃はお主など溺死体じゃ」
「クレタス。お前、何を知っている」
 聞くと、クレタスはそっとオレから目をそらした。
「もう隠しておける段階ではないの。相手が相手じゃからの。じゃが、詳しい話は道場に戻ってからじゃ」
「ミズキ、は?」
「あやつは外におるよ。よほどショックだったんじゃろうなぁ」
 ショック?
 そういえば、ミズキが救援に来てくれた時、何か叫んでいた。そう、確か……、セロ、と。
「まさか、見つけたのか?」
「そのまさかじゃ。セロ=テスラはグレン=パイクを連れて逃げおった。とんびの魔法じゃな。ボロボロのお主と戦力外のわしとクルルを置いて行くわけにもいかず、ミズキは追跡を断念したんじゃ」
 あの、ミズキが。
 ミズキのセロに対する並々ならぬ執着はオレも目の当たりにしてきた。まさに怒りの炎。周囲の様子など欠片も気にかける余裕があるとは思えないほどだった。
 なのに、あいつはオレたちのために追わなかったという。
「悪いこと、しちまったな」
「そんなことないよ!」
 クルルは必死になって首を振った。
「カズマ君が倒れていたからミズキちゃんは追跡しなかったんだもん! だからミズキちゃんは戦わなくて済んだんだよ! もしかしたら殺し合いをしてたかもしれない。それを避けられたんだから、悪いことなんかない!」
「それは、まあ、一理あるな」
 オレだってミズキに殺人なんてして欲しくない。いや、あいつは殺さないかもしれない、でも向こうは殺しに来るだろう。
 殺意に対抗するには殺意が必要だ。殺意と殺意がぶつかれば、お互いに無事では済まない。セロが死んでしまうことも、ありうる。
 それは、オレとしても喜ばしくはない。ミズキは珍しいほどの善人だ。わざわざオレたちのように悪事を働く必要もない。
「しかし、グレンとセロが繋がっておるとはの。こうなるとノエルとも繋がりがあるじゃろう。あの三人は、何なんじゃ?」
「さあな。けど、連中の目的は明らかだ」
 オレはクルルの胸元に目をやった。あれが、連中の狙い。
 あれを使って何をするつもりなのかはわからない。あるいは、あれを渡してしまえば、クルルは安全になるかもしれない。
 そう、あれさえなくなれば。
「……ちっ」
 オレは頭を振った。バカな、何を考えているんだ。
 オレはグレンと、ミズキはセロと決着をつける必要がある。それは、魔法とは何の関係もないものだ。それに、クレタスはどうあがいても狙われてしまうだろう。
 知る前なら渡してもよかったかもしれない。けど、今は知ってしまっている。知った上で見て見ぬフリをするなんて、オレはともかく、クルルができるはずもなかった。
 クルルは放っておいても噛みついていくだろう。止めることはできないなら、せめて守らなければ行けない。この純粋さを。
 オレは、そっと目を閉じた。
 今は、休もう。

 それから三日ほどは休養だけに集中した。
 クレタスに簡単な治療を施してもらったが、それでも完治するには相応の時間が必要と言われた。それだけの大怪我をしたんだ、無理もない。
 ようやく体を起こせるようになったオレは、部屋にクルルやクレタス、ミズキを呼んだ。
「状況はだいたいクルルから聞いたよな?」
「うむ。気になる点があるとするならあの氷くらいじゃな。あれはお主がやったのかの?」
「ああ。ちょっとした応用魔法だ。名づけて『くろ』。属性の意味を反転させる」
 オレの扱う『とかげ』は、物体を熱するという意味がある。その意味を逆にすれば、物を冷やす。本来なら冷やしてもただ冷たいだけだが、仮にその場に水があれば、それを凍らせることもできる。
 グレンの放った水の壁を凍らせたように。
「オレの方は状況を知りたいな。クレタス。お前は何を知っているんだ」
「……グレン=パイク。あやつの魔法の威力は相当に高かったじゃろ?」
 オレは頷いた。言うまでもない。オレはあいつほどの魔法使いを見たことがない。
「実はの、あれには秘密があるんじゃ。あやつが扱えるのは、おそらく水だけじゃな」
「どうして?」
「それはの。あやつが体内に魔獣を埋め込んでいるからじゃ」
 ドクン、と心臓がはねた。
 なんだ? オレは今、何に反応した?
「クルルが持っておるような封印された古代魔法というのは、ひとつではないんじゃ。全部で三つ。それぞれに封印処理が施され、それぞれ魔獣が守っておる。内のひとつを守るのが水の魔獣じゃ。
 魔獣は自分で魔力を生み出し、練り上げることができる。それを人間が体内に取り込めば、同じようなことをできるようになる、という算段じゃ。大昔はそれを利用して戦争しようなどという馬鹿者もいたくらいじゃ」
「じゃあ、グレンはその水の魔獣を倒して――?」
「うむ。どうやってかはわからんが、おそらくは殺してその一部を自分の体内に埋め込んだんじゃろう。今のあやつは何もせずとも水を隷属させる。ああして魔法の形でしか発現できないのは、むしろあやつが下手だからじゃな」
 それなら。
 それなら、あいつが火炎の魔獣フィロミネンスを相手に全く引けを取らなかったのも理解できる。なにせ、体内に同じようなのを飼っているんだ。属性的にも優位に立つ以上、敗北はありえない。
「ねえ。他にも封印されてたってことは、グレンさんも古代魔法の紋章を持っているんじゃないの?」
「そうなるはずじゃな。じゃが、前も言ったように古代魔法は使い手を選ぶ。近代魔法とは違っての。じゃから、あやつが手に入れたであろう魔法も、誰も使えないということは十分にありえる話じゃ」
「そんなに魔法を集めて、あいつらは何をするつもりなんだ?」
 そこで初めて、クレタスは沈黙した。今まで流暢に話していたのが嘘のように言いよどみ、
「残念ながら、それはわしにもわからぬ。これは隠し事なしの本当の話じゃ」
 首を横に振った。
「じゃが、水の魔獣が守っていた場所は知っておる。カズマ、お主の傷が治ったら、そこに行ってみようではないか。もしかするとあやつらの残した何かが見られるかもしれんからの」
「ああ」
 返答しつつも、オレは頭の中でずっと考えていた。
 魔獣を取り込んだ男。
 頭に引っかかる気がするのは、何故なんだ?