ベッドの上からは窓が見えた。その向こうに月が輝いている。いつだかにミズキが見せてくれた刀のような、眩しいほどの満月だった。 「クルル」 「うん、何?」 クルルはオレの枕元から離れようとしなかった。こいつは決めたら他人の話なんざ聞きやしない。仕方なしに、クレタスやミズキにも放っておいてやって欲しいと頼まざるをえなかった。 「お前さ、首都に帰れ」 「なんで?」 「いっくら手紙を送っていても、これだけ長く家を空ければ親父さんも心配するだろう。一度、家に帰って顔を見せてくるんだ。そしたら帰ってきてもいいから」 「やだ。カズマ君と一緒にいる」 「言うこと聞いとけって。親父さんはどうでもいいのか?」 「どうでもはよくないよ。でも、帰ったらお父さん、絶対にあたしを外に出してくれなくなるもん」 んなもんどこの親でもそうするに決まってる。だから帰れと言ったんだしな。 オレがグレンに狙われるようになった現状、オレとクルルが一緒にいるのは、むしろクルルの危険が増すような気がした。実家に帰れば親の目もある。そうなれば、あいつらもうかつには手出しできなくなるだろう。 クルルが安全になるなら、オレはそれで満足だ。 クルルは月明かりに照らされるオレの顔をじっと見つめていた。 「カズマ君。あたしはカズマ君と一緒にいたいよ」 同じ言葉を繰り返すクルル。その顔は、なんだか普段よりもおとなびて見えた。 「カズマ君はいつもあたしを守ってくれる。本当に、命懸けで。あたし、すっごく嬉しい。でもね、そのせいでカズマ君は怪我しちゃう。あたしがいない方がカズマ君が怪我しないっていうのなら、あたし、カズマ君の前からいなくなる」 傷つけたくない。それは、オレも同じ想いだ。 「でもさ、カズマ君はあたしがいなくたって危ないことするでしょ? あたしの知らないところで傷ついて、倒れるかもしれない。それは、嫌なんだ」 本当に純粋な瞳で。オレにはできない顔つきで。 クルルは、まっすぐに言葉を放ってくる。 「あたしはカズマ君と一緒にいる。カズマ君が傷つくなら、あたしも一緒に傷つきたい。それができないなら、せめてカズマ君の苦しみを見ていたい。カズマ君は苦しいとか悲しいとか言わないけど、あたしはそういうのを受け止めたいの」 「オレの、悲しみを?」 「うんっ!」 オレは自然、目を閉じた。クルルの目を見ていられなかった。 なんで。なんでこんな世界に生きているオレが、こんな腐ったオレが、こんなにも綺麗な奴のそばにいられるんだろう。 なんでクルルは、オレのそばにいてくれるんだろう。 「だからさ、カズマ君。苦しかったり悲しかったら、言ってね。あたしはにぶいからさ、言ってくれないとわかんないもん。どんな泣き言でもいいよ。あたしは全部を優しく受け止めて、カズマ君の頭をなでてあげるから」 こんなにも弱いのに。 こんなにも頼りないのに。 なのに、こんなにも、強くて。頼もしくて。 「十年早い」 オレはベッドから手を出し、クルルの頭の上に置いた。 「あー、また子供扱いしてー!」 「そりゃどっちだよ」 クルルがそばにいてくれるから。 オレも、一歩を踏み出す勇気が貰えるんだ。 クルルはオレのベッドに寄りかかるようにして眠っている。 オレはクルルの横顔を眺めながらじっと待っていた。しばらく待つと、部屋の外に気配が現われた。 「入れよ」 声をかけると、音も立てずに人影が入ってくる。 人影が、月明かりに照らされた。 「わしが来るとわかっておったのか」 「ああ。お前のことだ、昼間の説明で終わりにするなんて無責任なことはしないだろうと思ってな」 クレタスは、どこか疲れたような苦笑を浮かべた。 「お主は疑念の塊みたいな男じゃからの、どうせあんな話で納得するとは思っておらなんだ」 「結構。正しいよ、それは」 昼間の話も嘘ではないだろう。だけど、あれが全てとは思えない。 クレタスの話には、濁した部分がある。 「お前、いくつかごまかしやがったな。特に、オレのことは明らかに隠した」 「――知っておった、とも思えん。あの話を聞いて理解したのかの?」 「ま、そんなとこだ」 クレタスは浅く息を吐いた。 「お前、前に自分で言ってたよな。わしは魔獣じゃ、って。それが本当かもって考えたら、じゃあそのお前と親しいっていうキリュウはなんだろうって思った。 前にミズキの刀を見せてもらったことがある。ありゃ、人間の作る代物じゃなかった。あいつは魔法に明るくないからなんでもできるんだろうくらいに考えていたんだろうが、現実的に考えて、あんな刀を作る魔法なんてのは聞いたことがない。 合わせて考えれば、答えはひとつ。ありゃ魔法で作ったんじゃない。魔力で作ったんだ」 「本当に無駄に勘が良いの。その通り、キリュウも魔獣じゃ」 なぜ言わなかったのかはわからない。キリュウ自身が隠したからか? ……変なところで義理深い奴だな。 「わしの知る限り、魔獣は五体まで現存しておる。三体はそれぞれ封印の前に。一体はわし。そして、残る一体がキリュウじゃ。 三色の魔獣はそれぞれ紋章を守っておる。わしはそれらの魔獣が暴走しないように監視し、仮に誰かが暴走すれば、キリュウに倒すよう指示するんじゃよ」 月を見上げるクレタスの横顔は、いつもの子供のような姿とは違って、疲れた老人のような空気があった。 「あいつらが暴走する可能性なんてあったのか?」 「その前に、カズマ。お主は魔獣というのをどういうものだと思っておる?」 「魔力の塊みたいな化物」 「率直じゃな。なるほど、その認識は間違っておらぬ。じゃが、わしやキリュウは莫大な魔力を持ちつつも、それを一挙に発散する術を持っておらん。じゃから、結局は人間たちとたいして変わらぬ戦闘力しか持ってないということじゃ。 一方で洞窟の魔獣たちは、わしらとは異なる。強大な魔力を使って戦うことができるように作られている。そのぶん、何が起きるかわからんという側面もあるからの、わしやキリュウのような存在が必要なんじゃ」 「……作られた?」 「そういうことじゃよ」 そうか。じゃあ、こいつらも、オレと同じなんだ。 戦いのためだけに生まれ、死ぬ存在。 「初めて会った時から気づいておったよ。お主の中に眠る魔獣の片鱗に。以前、炎の魔獣から肉片を奪っていった人間がいたことは知っておった。その結果がお主だとも理解できたよ」 「だけどオレの中にあるのは正真正銘の欠片。グレンと違って欠片に過ぎないもんだから、飛びぬけた力はない」 「いや。十分に素晴らしい力じゃよ、お主は。そもそも力が使える時点で普通ではないんじゃ。 わしら魔獣の魔力はの、人間のそれとは根本的な質が違うんじゃよ。じゃから、入れたところで反発するだけ。適合する人間は万人にひとりといったところじゃろう。グレンほど適合している方が不思議なんじゃよ」 不思議。なるほど、少しだけ、理解できる。 オレみたいのを量産できるなら、あいつらは絶対にやった。オレのような噂を聞かないのは、あいつらが情報操作しているものだとばかり思っていたけど……、あるいは、本当にオレだけしかいないのかもしれない。 「それで、カズマ、お主はその事実を知ってどうするつもりじゃ」 月を背にしたクレタスの表情は読めなかった。 オレは目を閉じ、 「別に何も」 「何も?」 オレは軽く頷き、 「お前が魔獣だろうが人間だろうが、オレが化物だろうが人間だろうが関係ない。クルルの敵でなきゃそれでいい。ただ知りたかっただけだよ。オレの本質を」 「――そんなにクルルが大切なのかの?」 「ああ。オレにとっては誰より大切だ」 腰のあたりにぬくもりを感じる。クルルのぬくもりだ。 「オレはな、元は才能皆無のカスだったんだよ。魔法なんざクルル以下、まともに発動させるのにさえ四苦八苦するほどだった。親からも見捨てられるくらいにな。 そんなオレに力を与えた連中がいる。オレも全容は知らないような相手だ。ただ、連中は魔獣の欠片をオレに埋め込み、力を与えた。代わりに、連中のために殺人を犯すことを強要され続けた」 そうしなければ生きられなかった。 力もなく、親もないオレには頼るものなど何もなかった。あいつらが必要としたのはただの道具だろう。それでも、必要とされていたかった。 「学校に入ったのだって、連中の監視下に置きやすいからだ。オレの魔法は魔獣頼りのもんだから、授業なんざ意味もない。誰とも仲良くしようとはしなかったし、話もしなかった。孤独でよかったんだ。その方が仕事がしやすい」 クレタスはオレの話を黙って聞いていた。オレは、ただ口を動かし続ける。 「すさんだオレを救ってくれたのが、クルルだ。近寄りがたい空気だったろうオレに、こいつは能天気な表情でのこのこ付いてきやがった。別に、他に友達がいないわけじゃないのにさ。 バカだろ? でも、オレはそのバカに救われちまったんだ。だから、オレはこいつを守ってやりたいんだよ。オレに、人間を思い出させてくれたこいつを」 どうしてクルルがオレに目をつけたのか。それは、今もってわからないけど。 オレはこいつに救われた。それは間違いない事実だ。 なら、今度はオレが、救いたい。 「お主の気持ち、受け取った」 「そりゃどうも」 「わしらはもう必要ないと思っておったがの。掘り起こす連中がいる以上、眠っているわけにもいかん。 わしも全力でお主をサポートする。クルルには、わしも死んで欲しくはないからの」 目を開くと、クレタスはぐっと握った拳を突き出してきた。オレはベッドに横たわったまま、拳を突き返す。 「約束だ」 この、小さく無垢な命は。 オレたちが、守り抜く。 |