気がついた時には、セロの目の前にミズキの姿があった。
「はッ!」
 手元を打ち払うような金色夜叉のきらめき。セロの刀は弾かれ、くるくると回って石橋に突き刺さった。
 その間にもミズキはセロを蹴飛ばし、逆に橋に帰ってきている。
 ミズキの一連の攻撃が終わっても、セロは身動きひとつできていなかった。
「……え?」
 自分の手を見下ろし、そして、セロはミズキを見た。
「終わりだな、セロ」
 刺さっているセロの刀を引き抜き、両手に刀を構えたミズキは、言葉とは裏腹に勝利の喜びなんてものは欠片も見えなかった。
「早いな」
「うむ。まさに弾丸じゃな。あまりにも早くてわしには何が起きたか見えなんだ」
 それはオレも同じだ。
 ミズキが魔法を発動させた瞬間、オレの視界からミズキの姿が消えた。慌てて見上げて、ようやく見つけたくらいだ。
 『くろもぐらのみりょく』か。オレの編み出した『くろ』の術式を応用したものだ。引き寄せあうはずの魔法を反転させれば反発しあう効果になる。
 ミズキのもぐらは、空を飛んだんだ。
「いかにお前が優秀であろうとも、師匠の刀なくして空中で『とんびのきゅうこうか』を打ち出すことはできないだろう。つまり、お前の負けだ。セロ=テスラ」
 キリュウの刀は、それそのものが魔力を帯びている。それは、オレでも感じられる。
 その効果は見ているだけじゃわからなかったけど、どうやらセロはそれを利用して飛行術と他の魔法の併用なんていう器用な真似をしていたらしい。
 それなら、刀がなくなった現状、セロに攻撃の手段は残されていない。格闘だけじゃ刀を持ったミズキとは勝負にもならないだろう。
「く、っそぉ――!」
 顔をゆがめたセロはゆっくりと石橋に降り立った。ぎゅっと握りしめた拳から、怒りとも後悔とも取れる感情がにじみ出ている。
「なんで、なんでいっつも思い通りにはならないんだよぉ……!」
 ミズキは何も言わなかった。オレたちの位置からだと、今はもう後ろ姿しか見えない。表情は、わからなかった。
「なんでさッ! いつだって姉貴はおれの思いを踏みにじる! そんなにおれが嫌いなのかよ! なんでなんだよおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
 叫びが反響し、洞窟の中にこだまする。それは、どこか亡者の怨念を思わせた。
「そんなに憎いなら殺せよ! 今なら簡単に殺せるぞ!」
 大きく腕を開き、無防備に胸をさらけ出すセロ。ミズキがその気になれば、心臓を一突きにすることもできるだろう。
「セロ」
 そんなセロに、ミズキは刀を揺らしながら近づいていく。
「どうしてわたしが怒ったのか、まだわからないの?」
 ミズキの声音は――優しい色に戻っていた。
「師匠は血を、戦いを嫌っていた。師匠がわたしやお前に教えてくれたのは、何かを守るための剣だった」
 守るための、剣。
「そんなのは滑稽だと言う者もいる。刀など所詮は人殺しの道具に過ぎない、何も守ることはできないと。それでも師匠は言った。守りたいもののために振るう刀は決して人殺しの道具ではないと。
 わたしは、信じた。師匠の言葉を。殺さない刀。そんな、冗談としか思えない言葉を本気で実践するあの人を。なのに、お前の刀はなんだ」
 金色夜叉が輝きを失っていく。
 ただの鉄塊に戻っていく。
「師匠を殺したことは許せない。けど、それだけなら、わたしはそんなにも怒りはしなかった。師匠は……、どこか、死を望んでいるようなところがあったから」
 キリュウが死を望んだとするなら、それはきっと、自分の宿命が嫌だったからだ。
 魔獣を殺すための魔獣。そんな自分の在り方が嫌で嫌で、だから、死を望んで。でも、魔獣だから、死ぬこともできなくて。
「わたしが許せないのは、お前が、師匠の刀で殺したことだ」
 セロの目の前に立つミズキ。もうオレからはどちらの表情もわからなかった。
「不殺の心構えなんて馬鹿げているかもしれない。それでも、お前はわたしと共にその心意気を学んだはずだ。なのに、どうして、師匠の刀で殺したりした。お前の刀は、何を守った」
「それ、は……」
「守護の刀だからといって人を傷つけないわけじゃない。時には誰かをあやめてしまうこともあるかもしれない。それでも、師匠だけは、殺して欲しくなかった」
 刀を握ったまま。
 ミズキは、セロを抱きしめた。
「ただの、やつあたりだよ、セロ。わたしは、師匠を失った悲しみを、お前にぶつけていただけだ。それでも、そうしなきゃ、やりきれなかったんだよ……」
「姉貴……」
 ミズキの肩が震えていた。
 さっきまであんなにも強気だったミズキが、肩を震わせて、泣いていた。
「もう、師匠には会えないんだ。どれほど強く想ったって、どんなに欲したって、あの人の笑顔には会えないんだよ? 新しい思い出ができたって、あの人との思い出は薄らがないんだ。悲しみが、消えないんだよ!」
「姉貴、おれ……」
 何かを言おうとして、セロの言葉はそれ以上の形にはならなかった。
 セロもまた、そっとミズキを抱きしめる。
 オレたちには、ただ見ていることしかできなかった。

 どれくらいそうしていただろうか。
 ミズキが泣きやんだ頃、セロは体を離した。
「姉貴。ここにゃもう何もない。あいつらの本拠地はもうひとつの神殿にある」
「話していいのか」
 セロはちらりとオレを見て、頷いてみせた。
「元からオレはあいつらに対して義理はあっても義務はないんだよ。ちょっとかくまってもらっただけだ。姉貴ともやらかしちまって、負けちまった。だから、もうどうだっていいんだよ」
「だからってすぐさま寝返るか、普通」
「関係ないね。仲間ってわけでもない」
 その時、ぴくん、とセロが反応した。視線がオレでもミズキでもなく、さらにどこか後ろに向けられている。
 オレは反射的にクルルを伏せさせ、自分も頭を低くした。
「駄目だよー、セロ君。そんな簡単に裏切っちゃ」
 その声には、聞き覚えがあった。癇に障るような、嫌な声。
「ノエル!」
「やあやあ、カズマ君。久しぶりだねぇ、元気だったかな?」
 入口の方から入ってきた、少年のような少女。刀を手にしたその姿は、忘れようがない。
「ノエル! おれがどうしようが、お前に何かを言う権利はないはずだぜ」
「そうだねぇ。でもさ、やっぱし色々とおしゃべりされちゃうとさ、邪魔になるかもしれないじゃない? そういうのって困るんだよねぇ。こんな時、ボクはどうしたらいいのかなぁ? あ、そーだ」
 にまりと浮かべた笑みは、とても人の浮かべるような表情じゃなかった。
「殺しちゃえばいいんだ?」
「どけ!」
 オレたちの間を黒い影が過ぎ去った。
「セロ!」
 ノエルと刀を交え、セロは叫ぶ。
「逃げろ! こいつはやばいんだ! アレを出されたら姉貴だって勝ち目ねえ!」
「アレ……?」
「いいから! とにかく逃げろ!」
「いいよ、逃げて。今日はカズマ君たちのお相手しに来たわけじゃないもの」
 逃げろ。その姿が、いつぞやの塔の時と重なる。
 結局、あれは茶番だった。だけど、今度は違う。
 今度こそ、本物の修羅場だ。
「んなこと、できるか」
 逃げるなんて。
 もう、見捨てて逃げて、苦しむのは嫌だ!
「ここで倒してやるよ! ノエル=リーチェ!」
 拳を握り駆け出す。体はとっくの昔に温まっていた。
「あーもう、めんどくさいなぁ。セロ君が逃げろって言ってるんだから逃げればいいのにね。仕方ない、じゃ、ボクらが逃げさせてもらうよ」
 一瞬、本当に一瞬だけ、ノエルと視線が絡み合い――。
「バイバイ、カズマ君? 『とんびのだいだっそう』!」
「待てッ……!」
 強風。体が押し戻されるほどの勢いに、思わず足が止まる。
 よろめき、反射的に閉じてしまった目を開いた時には、もうふたりの姿はなかった。