大通りの人波を見ていると、ああ帰ってきたんだな、という実感が湧く。
 首都。ラグヴァルランドの中心地。オレがずっと育ってきた町。
 こんなろくでもない思い出だらけの町でも、良い思い出もある。やはりオレにとってはここが帰るところなのだろう。
 慣れた道を通り、オレは学術院に帰り着いた。
「感無量、ね」
 ひたっている暇はない。オレに時間はないんだ。早く帰らないと、クルルに余計な心配を与えちまう。
 建物の中に入った途端、見知った顔を見つけた。いつもなら会いたくない相手だが、今日ばかりは助かった。
「ルイーズ先生」
 ロングコートの女は振り向き、目を見開く。
「カズマ君! 今までどこに行っていたの!?」
「ルイーズ先生。そんなに騒ぐと人目を引きます」
 オレよりもルイーズの方が人目は気になるだろう。オレはいざとなれば学術院から出ていけば済む。殺しの仕事をするのに現実の隠れ蓑は必ずしも必要じゃない。
 だけど、ルイーズはそうじゃない。こいつにとっては表の仕事も大事だ。となれば、オレなんかと一緒にいるところを見られるのは嫌だろう。
 慌てて周囲を見回し、ルイーズは声を低くした。
「あなた、どういうつもり? 説明してもらわないと上だって納得しないわよ」
「とりあえず人のいないところに行こうぜ。でないと話もできない」
「……わかったわ。五分後に私の部屋に来て。誰にも見つからないようにね」
 さすがに玄関でオレと話し込むのはまずいと思ったのだろう。ルイーズはオレに背中を向けると、カツカツと靴を鳴らしてその場を去った。
 オレは軽く息を整え、約束の時間を待った。五分後、人の目は引かないように裏口からルイーズの部屋に向かう。
 軽く確認し、扉を四回ノックした。
「入って」
 間を開けずに扉が開く。オレもまた、滑り込むように中へ。
 ルイーズの部屋は、学術書が多かった。その中に混じって、組織関連の書類もあるとかないとか。本当のところはオレも知らない。そもそも、この部屋にさえ数えるほどしか来たことがない。
「それで。今までどこに行っていたの」
「ちょっと武芸の町までな」
「どういうつもり。あなた、自分の身分をわかっているわけ?」
「そりゃこっちのセリフだ、ルイーズ=アークライト」
 ルイーズの目が苛立たしげに細まる。
「どういうこと」
「お前たちはオレがどういう存在か理解しているのかって聞いてるんだよ。ええ? 人間を化物に改造しておいて、何をぬかす」
 一瞬、ルイーズの顔が青ざめた。その色をすぐさま振り払い、
「気付いたのね」
「色々とな。もしお前らがクルルや家族に手ぇ出したら、オレは魔獣の力で暴れるぜ。お前らが得られるメリット以上のデメリットをこの町にもたらしてやる」
「……あなた、自分が何を言っているのか理解しているの?」
「もちろんだ。オレにとっちゃ大切なのはクルルしかない。クルルが守れるなら、こんな町を焦土に変えるくらいなんてことないぜ」
 それをクルルが望まないとしても。
 クルルが生きられるなら、オレはなんだってする。
 クルルに、嫌われたとしても。
「なんていう……」
 ルイーズは言葉を失ったように黙り込んだ。口を開きかけて、けれどすぐに閉じる。
「んで、ルイーズ。頼みがある」
「はぁ? この状況で、頼み?」
「そうだよ。こいつについて調べて欲しい」
 オレはポケットから紙きれを取り出し、ルイーズに手渡した。
 ルイーズは素早く視線を走らせ、
「スティンガー社……?」
「そう。お前らのことだ、警備隊の個人情報も揃えているんだろ? 仕事の邪魔になるかもしれないもんな。さすがに下っ端までは揃えてねーかもしれないが……」
 あいつくらいの年齢と実力なら、相応の地位にいるはず。
 ルイーズなら、簡単に調べられるはずだった。権限さえあれば。
「できないか?」
「可能か不可能か、という意味なら可能ね。確かに私はある程度まで情報を引き出す権利を持っているし、最大手のスティンガー社の名簿くらいはこちらも持っているはずだから」
 けど、とルイーズは続けた。
「私が素直に動くと思ってるの?」
「いや。だから、頼むって言ってるんだ」
 はぁ、とため息をつき、ルイーズはこめかみに指を当てた。
「いい? カズマ。この世界はギブ・アンド・テイク。何かを与えて、その何分の一かの見返りを得るような世界なの。あなたに私を満足させられるほどの何かを用意できるわけ?」
「情報をやる」
 すっ、とルイーズの目が細くなった。
「何の?」
「知ってるんだろ、オレが炎の洞窟に行ったことも、賢者に会ってきたことも」
 ルイーズは答えなかった。仮に知らなかったとしてもどちらでもいい。交渉の材料さえ提示できるなら。
「古代魔法についての情報をやる。お前たちが半端にしか手を出せなかった代物だ。ありゃあお前の地位も上がるんじゃないか?」
 こいつらは一度、フィロミネンスに接触している。そうでなきゃオレの改造なんざできるはずがない。
 だけど、その後もフィロミネンスは生き続けた。それはつまり、炎の洞窟にアタックし、命からがら逃げるのが精一杯だったってことだ。
 フィロミネンスの体の一部は手に入れた。けど、奥に進むまでには至らなかった。そうでなければこの状況の説明ができない。
 そして、失敗したのなら……、今ものどから手が出るほど欲しいはずだ。
「その情報、正確なの?」
「取引で嘘はつかねえ」
 しばし、にらみあいが続いた。
 ルイーズは沈黙した後、ふと視線を外すと、机の引き出しに手を伸ばした。
 しばらくごそごそと探ったルイーズは、一枚の書類を取り出し、オレに放ってよこした。
「グレン=パイクだったわね?」
「……ああ、これだ。間違いない」
 写真はなかったが、名前や外見的特徴はきちんと記入されていた。間違いない、あいつだ。
 内容に目を走らせる。
 ――クルメディア武術学院卒業。
 ――入社時戦闘力は平均程度かそれ以下。
 ――結婚するも妻と死別。
 ――第三十四回調査結果、戦闘力上位。要警戒。
 色々なことが書いてある。だけど、オレの望む情報はそこにはなかった。
「ルイーズ。これで、こいつに関する情報は全てなのか?」
「こちらが掴んでいるものはね。もっともその男は要警戒対象みたいだから、他の連中よりは深く調査しているはずよ」
 となると、これ以上の情報はほぼないと考えていい、ってことか。
 ……やっぱり、おかしい。
「さて、今度はそちらの番。教えてもらいましょうか、あなたが持っている古代魔法に関する情報を」
「いいぜ。教えてやる」
 書類を返し、オレは語った。
 炎の洞窟で見たもの。
 クレタスの語った過去。
 オレ自身が想像している部分は全て省き、ただ伝えられた事実だけを口にする。
 ルイーズは時たま質問を交えながら、熱心に聞いていた。オレもまた、わかる範囲で答えていく。
 語り終えた頃には、部屋の中も少し薄暗くなっていた。
「ふうん。そうね、悪くない情報だったわ」
「そりゃどうも。見返りとしちゃどうだ」
「十分よ。おつりができるくらいだわ」
 ルイーズはぎしりときしむ椅子に座った。オレを見上げ、
「だから、特別にもう少しの間だけ自由に行動することを許可してあげる」
「はっ?」
 それは、さすがに意外な言葉だった。もっとも、駄目と言われてもやるつもりだったが。
「どうせ、その男と何かあったんでしょう。そして、決着つくまでは引き下がれない、とか」
「まあ、な」
「まったく。男ってバカね」
 寂しげな色。
 いつもと変わらない表情なのに、なんとなく、そう思った。
「こちらとしても仕事中にスティンガーの横やりが入るなんてのは勘弁して欲しいの。要注意である以上、消しておきたい相手でもある。こいつの処理をあなたに任せるわ。ちゃっちゃと殺してきなさい」
「すまねえ」
 ルイーズも、少しずつ変わっているのだろうか。
 そんなことを考えながら、オレは部屋を後にした。