いつの間にか、雨はやんでいた。
 濡れた地面の上に転がるグレン。その体のあちこちにすり傷があり、右腕は見るも無残な状態になっていた。
「……グレン」
 声をかけてもグレンの目はオレを捉えなかった。
「カズマ、か?」
「当たり前だろ」
 もう、目も見えないのか。
「ふ、ふ。もうあわれんでくれるなよ。私は、望んで死に逝くのだからな』
「そう、か」
 いつかはこうなるとわかっていたのだろう。寿命を迎える前に、誰かに殺されるだろうと。
 グレンの表情は、肉体の損壊具合とは逆に、安らかだった。
「カズマ。お前に、ふたつ、教えてやる」
「冥土の土産ってのは、生きる人間が渡すものだぜ」
「なら、置き土産だ。いいか。まず、あの魔法は、もう使うな」
 なぜ、と喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。グレンには、もう時間はないんだ。
「そして、あいつと戦うなら、お前が戦え」
「あいつ、とは」
「お前が言っていた、最後の仲間、だよ。いや、我々のボス、と言ってもいい」
 上司ボス。そいつが、全ての元凶。
「あいつは、ひどく、お前に似ている。お前なら、あいつの苦しみを、理解してやれるだろう」
 グレンは震える手を懐に突っ込んだ。何かを取り出す。
 受け取ると、それはペンダントだった。精悍な騎士の絵が刻まれている。
「あいつを、苦しみから、救ってやってくれ。あれは、恋などではない……」
 ふっと、腕から力が抜けた。
 俺はグレンの目を閉じてやった。立ち上がって見下ろすと、グレンの体がひどく小さく見えた。
「お前の気持ちは預かった」
 ペンダントを首から下げる。決して重いはずはないのに、その重みはずっしりと感じた。
「いつまでも、感傷に浸っちゃいられないよな」
 断ち切るように重い足を道の先に向ける。そうやって数歩、歩いたところで、足が止まった。
「ぐっ……!」
 膝を折り、体を曲げる。それでも突然の痛みには抵抗しきれなかった。
「あ、がッ!」
 口の中に広がる鉄の味。気持ち悪いそれを吐き出し、俺は苦痛を訴える体に鞭を打って、よろめきながらも立ち上がった。

 転移の塔に戻った時、クレタスはいつかのように本を読んでいた。
「カズマか。よう戻ったの」
 クレタスは本を閉じ、手元に置いた。
「して。その顔からして、フィロミネンスには会えたようじゃな」
「しっかり協力も取り付けてきたぜ。予想以上のパワーだ」
「ほう。試したのかの?」
「試さざるをえなかったとも言えるけどな」
 オレはグレンと戦った事をクレタスに説明した。
 最後のところは適当にごまかしたが。
「なるほどの。それで、わしに聞きたい事は?」
「やけに素直だな。話す気になったのか」
「……お主が使ってしもうた以上、言わぬわけにもいくまいて」
 ふう、と息を吐き、クレタスはオレを見つめる。
「勘の良いお主の事じゃ。もう気付いているじゃろう」
「まあ、な」
 オレは適当にそこらに積み重なった本の上に座り込んだ。
「フィロミネンスとの融合をした」
 一瞬、クレタスが目を見張るのがわかった。
「グレンを倒した後、感じたよ。ものすごい脱力感つーか、虚脱感みたいなものをな。んで、血を吐いた。
 最初は、人間の体に魔獣の力は負荷がかかり過ぎるのかと思ったよ。実際にそれだけの力だったしな。けど、グレンの死に際の言葉ぁ思い出して、違う可能性にも思い至ったんだ」
「――それは?」
「簡単だよ。古代魔法そのものが、人間の使うものじゃないんだ」
 思えば、グレンも最後の最後、土壇場まで古代魔法は使わなかった。オレがフィロミネンスの力を使いだした時にすぐさま使うべきだったのに。
「古代魔法は使う度に肉体だかに大きな負担を強いる。案外、魔法が使われなくなったのもそのあたりに理由があるんじゃねーか?」
 クレタスはすぐには答えず、しばし近くに積まれた本の山をあさっていた。
 やがて、目当てのものを見つけたのか、いくつかの本の山を崩しつつ一冊の本を引き出すと、それをオレに投げ渡した。
 視線を落とす。よくわからない記号が並んでいた。
「これは?」
「古代語で書かれた魔法理論の本じゃ。読む事はできんじゃろうが、図くらいは理解できるじゃろう。読みながら聞くといい」
 言われた通り、オレは本を開いてみた。なるほど、いくつかの図があちこちに載っている。
「魔法は不思議な力じゃ。普通に考えればありえない状況を簡単に作り出してしまう。人が空を飛び、何もないところから炎が生まれ、ただの鉄が互いに引き合うようになる」
 ひとつの図を見つけた。
 人間から矢印が伸び、炎の絵に繋がっている。
「じゃが、何もないのに何かが起きる事などありえん。何かを失うから何かを得られる。魔法はその効率が科学より優れている場合が多い、というだけに過ぎぬ」
「わかりやすく言えば、命を削って現象を引き起こすのが魔法だって言いたいのか」
「古来より魔法とはそういう意味合いじゃった。今は違うがの」
 パタンと本を閉じ、クレタスに視線を戻す。
「近代魔法は優秀じゃよ。集中し、練習さえすれば誰でも使える。しかも肉体的な負担が少ない。科学はさらに優秀じゃ。集中も練習さえもほとんど必要ない。時代が科学に移っていくのは当然じゃの」
 確かにそうだ。車などその最たるもの。
 人間が車ほどの速度を出すためには、『とんび』の魔法を極める必要がある。得意とか不得意も重要だし、練習時間も半端じゃない。それをいくらかの金で得られるとなれば、誰だってそっちを選ぶ。一生かけて車くらい早く飛べるようになりました、では話にならない。
「古代魔法はさらに効率が悪かった。術式を発動させるためには大なり小なり生命が必要で、得られる効果も前に話したように汎用性に欠けたからの」
 オレは、ふと思いついた事をクレタスに聞いてみた。
「もしかして、『なみだ』が封印されたのも、前に話した反乱うんぬんじゃなくて……、そういう理由なんじゃねーか?」
 クレタスは微笑を浮かべた。やけに疲労感と影を感じる笑い方だった。
「本当にお主は賢いのぉ。そうじゃよ。『なみだ』『つるぎ』『おうじゃ』の三つの魔法は、それ自体が人の生命を全て奪いかねないほどに燃費が悪い。まあその使い手が反乱を起こそうとしたのも事実じゃが、実際に魔法が封じられたのは前者の理由――魔法そのものが危険だからという事の方が大きいのぉ」
「前にクルルが『なみだのしずく』を使おうとして使えなかった理由は?」
「生命力、ありていに言えば体力が足りんかったからじゃな。生命力が具体的にどういうものなのかは研究し尽くされんかったから正確ではないがの、やはり使うにはある程度の体力が必要らしいんじゃよ」
 クルルは多少の訓練を積んでいるとはいえ、やはり見た目通りの女の子。体力はさほどない。
 となると、『なみだ』には相当の命が必要なんだろう。
「不思議じゃな、人間というものは。わしらと違って限りのある命だというに、それを自らすり減らしてでも戦う。それが人間の生まれ持った素質というものなんじゃろうか? だとしたら、わしらには永劫、理解できんのだろうなぁ」
「クレタス……」
 今にも消え入りそうな、薄い影。
 クレタスの全身から、生気というものが感じられなかった。
「カズマ。もうわしらの時代はとうに終わっておる。新しい科学という名の力が世界を支配するじゃろう。その時、わしらは邪魔なんじゃよ。古代魔法はもう必要ないんじゃ」
 近代魔法さえ徐々に姿を消している世間で、古代魔法は必要などない。
 もう、そういう時代じゃないんだろう。
「眠るべきなのじゃ、わしらは。カズマ。お主の力、貸して欲しい。わしらを、眠らせておくれ」
 初めてだった。
 じいさんのような言葉遣いで、のらりくらりと過ごす不遜な男。オレにとって、クレタスはそんなイメージだった。
 そのクレタスが、オレの知る限り初めて、頭を下げていた。
「――ああ」
 そこに込められた想いを、感じないわけにはいかなかった。
「任せろ。次で終わりだ」
 グレンをもてあそび、古代魔法を起こした誰か。
 顔もわかんねーし名前も知らねーが……、そいつは、許し難いと思う。
「オレの命がけで、お前の願い、叶えてやるさ」
 絶対だ。
「すまぬ」
 クレタスの声が、やけに耳に響いた。