全身を包む光が徐々におさまっていく。何度か体験したが、どうにも不思議でしょうがない。
 目を開くとカーテンの色が変わっていた。オレはそれを引き開ける。
「あん?」
 例によって本だらけの空間。部屋中を埋め尽くす書物の中で、女の子が本を読んでいた。
「クルル?」
 声をかけると、クルルはひょっこりと顔を上げた。
「あ、カズマ君! お帰りなさい!」
「あ、いや……、ずっとここで待っていたのか?」
「ううん。ただ、そろそろ帰って来るかなーって思って」
 勘のいい奴だ。
 ついでに、ミズキあたりに何か吹き込まれやがったな。表情が行く前と違う。いや、能天気な顔してるのはあいっかわらず同じだけど、どこか悩みをふっ切ったような清々しさが感じられる。
「なあ、クレタス。オレとクルルは後から帰るからさ、先にミズキんとこ戻っていてくれないか」
 オレはふと思いつき、提案してみた。クレタスはちらりとオレを見上げ、
「まあ、いいじゃろう」
 こくんと頷くと、クルルに軽く会釈して部屋を出て行った。
 ふたりきり。思えば、久しぶりだった。
 オレはクルルの向かいあたりに適当に腰かける。クルルも読んでいた本を置き、オレを見た。
「どしたの、カズマ君。クレタス君を先に帰して」
「ん、いや」
 次の戦いは、おそらく決戦だ。オレたちが勝てば古代魔法は失われ、連中が勝てば古代魔法が再び台頭することになるだろう。
 誰かに任せる気など、今さらない。ここまで来たら自分の手で終わらせたい。その結果がどうなろうと知ったことか、という気分になってきている。
 ともかく、その前にクルルと話をしなきゃいけないような気がした。
 『なみだのしずく』に関すること。
 危険な戦いに普通の女の子に過ぎないクルルを連れて行こうとしていること。
 説明し、納得してもらうためには話さなきゃいけない。なのに、言葉はひとつも出て来なかった。
「あー……」
「ねえ、カズマ君」
 先手を取られた。
 思いつつも、クルルの言葉に耳を傾ける。
「カズマ君は知ってる? なんであたしがあんなに、カズマ君に話しかけたりしてたのか」
 ――昔のクルルの姿が浮かぶ。
 今とたいして変わらない、小さな体で。
 クルルはひよこのようにオレの後ろをひょこひょこ付いてきた。
「いや、理由は知らない」
「あたしね、カズマ君に、あこがれていたんだよ?」
 初耳だ。
「カズマ君、すごかったよね。学術院に入って間もないのに、あっという間に先輩たちを追い越しちゃって」
「火だけ、だけどな」
「十分だよ。ひとつだって満足にできない生徒がたくさんいたもの。……あたしとか」
 当時も少し前も、クルルは本当に魔法が下手だった。
 必死さも足りなかったのだろうが、根本的に魔法というものが馴染まない体質なのだろう。オレはそう考えた。
「そんなあたしにとって、入学早々にトップを取ったカズマ君は強さというか、できる人の象徴みたいだった。だから、すごくあこがれて……、ともかく、カッコよかったの」
 皮肉な話、だ。
 オレもその少し前までは何の力も持たない、ただの少年だったのだから。
 フィロミネンスがいなければ、今もクルルにさえ届かないごみ屑として、何か魔法は関わらないところで生きていたに違いない。
「だから、少しでもカズマ君に近づきたかった。カズマ君みたいになりたかった。あこがれに近づこうとして、いつの頃からか、カズマ君と一緒にいることが目的みたいになっちゃったんだけどね? でも、後悔はなかったよ」
 ぷらぷらと揺れる足を見つめるクルル。その顔を見つめても、視線が絡み合うことはない。
「……カズマ君、本当はあたしに言えないこと、してたんだよね。すごく、悪いこと」
「気付いていたのか」
「そりゃあね。言ったでしょ? あたし、ずっとカズマ君を見ていたんだよ。カズマ君のカッコいいところも、少し変な行動も、何もかも」
 それは、知らなかった。
 クルルはいつも明るい笑顔でオレを迎えてくれて。普段からにぶくて能天気で、そのせいでそんなに目ざといところがあるんだってのは、ちっとも知らなかった。
「詳しく何をしていたのかってことまでは、知らない。ただなんとなく、悪いことはしているんだろうなって思ってた。あたしはそれを止めなかったし、何も聞こうとはしなかった」
 もちろん、クルルが止めたところでオレがやめられるわけじゃない。
 だけど、何かは変わっていたかもしれない。少しだけそう思う。
「思えば、あたし、怖かったんだと思うの。何かを聞くことで、何かを知ることで、カズマ君が今までのカズマ君じゃなくなっちゃうかもって。今までみたいに一緒にいられなくなっちゃうかもって。そう思って……、聞けなかったんだと思う」
「でも、今は気持ちが変わった。いや、覚悟が備わった、って言うべきかな?」
 クルルは顔を上げた。笑みに、何かが混じっていた。
「わかる?」
「そりゃな。お前がオレを見ていたように、オレもお前を見ていたから」
 決して短い付き合いじゃない。長いこと、オレもクルルを見ていた。
「お前といるとさ、オレも救われた。お前が何も聞かずただ笑ってくれていたから、その笑顔とか見てると、心が休まったんだよ」
「そ、そうかな?」
 嬉しそうに頬を緩めるその姿。
 オレは、お前のそういうところに魅力を感じた。
 オレの周囲にいるような、腹に一物を持ったクソヤロウとは違って、常に本音で語ってしまうような子供。それでいてただの子供とも違った、強い信念。
 なんだ。お互い、同じようなことばっか考えていたのか。
「もうすぐ終わりにするつもりなんだよね? 古代魔法とかの話、全部」
「ああ」
 オレは頷く。実際、クルルの言う通りだ。
 たぶん、向こうも迎え撃つだろうと思う。グレンを失い、オレという存在は連中にとって見過ごせるものでもなくなった。
 それに、乙女の紋章は今もクルルが持っている。
「あのさ、あたしの持っている『なみだのしずく』ってさ、気持ちの強さが大事、なんだよね」
「らしいな」
「だから……、最後の戦いの前に、気持ち、整理しておきたくって」
 クルルの言いたいことは、なんとなくわかっていた。
 その気持ちは、とても嬉しい。だけど、オレではクルルを幸福にできないということも、わかっていた。
 オレは、汚れ過ぎている。
「あのな、クルル。オレは……」
「あたしはっ!」
 まるでオレの声をかき消すように、クルルは声を張り上げる。
「あたしはね、カズマ君を受け止められるようになりたいの」
「……受け止める?」
 オレの想像とは、少しばかりずれた言葉。自然、声に疑問が混じる。
「カズマ君の本当にすごいところはさ。強いのに、それに甘んじないことだと思うんだ。自分の道を、本当に諦めずに突き進んでいる。それってなかなかできることじゃないと思うんだ。先生でもできない人、結構いそうだし」
「それは……」
 お前が、いてくれたから。
 言葉は飲み込む。
「諦めないことを教えてもらって、あたしも自分で決めた道を進もうって決めた。少しだけ強くなれた。でも、それじゃ足りないの」
 両手を広げる。胸に飛び込んでいいよ、と言わんばかりに。
「あたしは強くなりたい。カズマ君の悲しみを一緒に背負えないなら、せめてその悲しみを受け止められるくらいに強くなりたいの。
 ね、教えて欲しい。カズマ君の悲しみを。嘘の笑顔、もう飽きちゃったよ。運命でも宿命でもなんでもいいよ。その全てを知って、あたしはその全てを受け止める。見届ける。そのために、そばにいさせて」
一息ついて、クルルはきっぱりと告げる。
「あたしは、カズマ君が好きだよ」
「クルル……」
 答えは、言うまでもなかった。
 オレでは、クルルを幸せにはできない。
「オレ、は」
 言わなきゃいけない。
 心の重みそのままに、口を開いた。