オレがすっと立ち上がると、支えも力も失った男の体がばたりと倒れた。血が首から溢れ出し、床を血色に染めていく。むん、と鉄のような臭いが鼻をついた。この臭いだけは、どれだけ嗅いだとしても慣れることはないだろう。
「今のは?」
 振り返ると、女がオレの方を向いていた。
「いたずらの我流発展術式。オレのいたずらは、別に手を触れた場所にしか置けないものじゃない。ひとみの当たった場所に陣を描くこともできるんだよ」
 オレの魔法を弾くべきじゃなかったんだ、この男は。
 ひとみを弾いても、オレが意識すればそこにいたずらを仕掛けられる。オレのひとみは、喰らう以外の回避方法がない。避ければ、あるいは弾けば、より強い威力での攻撃が待つ。
「根性の悪い魔法……」
「大きなお世話だ」
 言いつつ、オレは男の服の下を探る。殺しはしたが、こいつに依頼した人間がここの主と同一なのかは知っておきたかった。オレたちと同じ目的の奴がたまたまバッティング、なんて可能性もないわけじゃない。
「っと、これは?」
 服の下から取り出す。それは、手紙だった。暗号によって記されていることからして、やましい文書であることは間違いない。
「読めるか」
 オレは書物を女に手渡した。フードの下で目を動かしているのだろうか。しばし女の動きが止まる。
「これは、炎の洞窟に関する文書」
「炎の洞窟ぅ!?」
「何か」
「あ、いや……」
 クルルの話をするわけにもいかず、オレは慌てて取り繕った。女は首を傾げながらも、話を続ける。
「探しに来たのもこれに似たもの。おそらくは屋敷の他の場所から見つけてきたと考えられる」
 言いつつも、女はローブの下に書類を隠した。あれも持ち帰るのだろう。
「……炎の洞窟に何かあるのか?」
「私は知らない。私たちが知る必要のあることでもない」
 もっともな言い分だ。そして、下手に探りを入れれば、命が危うくなる。
 これは、そういう世界だ。この世界での賢い生き方とは、何も考えないこと。好奇心や知識欲は、そのまま死に直結している。
「撤退する」
「あ、ああ」
 間抜けな声を出しながらも。
 オレの心の中に生まれた疑問は、消えてくれなかった。

 その日、ベッドに戻ってからも、オレの疑問は消えなかった。
 オレの上にいる人間。オレに人殺しを命じている人間は、どうやら魔法について少しばかり興味があるらしい。
 そのため、オレに回ってくる仕事も、魔法の研究の横取りだとか、場合によってはもみ消しなどといったものが多くなっている。
 そのクライアントが依頼した文書奪取の仕事において、ターゲットとなっていた秘密文書。当然、内容も相応の信憑性があるはず。
 となれば、本当に――炎の洞窟には何かがあるのか?
 今の今まで、ただの都市伝説だと思っていた。炎の洞窟にあるという紋章。そんなものがあるはずがないと。見てもいないが、決め付けていた。
 だが、ことここに来て信頼性は格段に増している。あるいは、本当にあるのかもしれない。
 そして。オレが現状を逃げ出し、打破するためには。そのくらいの力は、どうしたって必要になる。
 クライアントに飼い殺される人生。あるいはオレの昔を考えれば、それは必然かもしれない。
 だからって、そのまま素直に受け入れたいとも思えない。オレの命は、オレの使いたいように使い、死にたいように死ぬ。そうありたい。
 そのためには、力が要る。
 ベッドから窓に目を向けた。月のない今夜、真っ暗な空にはいくつかの星しか見えない。
 言うなれば、人間の人生もあの星のようなものじゃないだろうか。
 暗い闇の中にぽつんと放り出されて、必死に抗って。けど、闇を打ち払うことなんてできやしない。
 それができるのは、夜空に輝く、あの大きな月だけ。
 だから、またたく星々は憧れる。自分たちにはない力を持つ、闇夜の中でも輝く、あの月に。
「届きゃしないのにな」
 それでも、手は伸ばす。
 それが人の性だから。

「ふぇ? 行ってくれるのっ!?」
 朝になり、オレはクルルに『炎の洞窟に行ってもいい』と告げた。途端、クルルは満面の笑みを浮かべ、嬉しそうに叫ぶ。
「そっかそっかー、カズマ君もようやくロマンってものが理解できるお年頃になったんだねー」
「お前の方が年下だろ。しかもロマンて、そういうのを口にするのは普通、男だぞ」
「むむむ……」
 クルルは口を尖らせ、ふと、まじまじとオレの顔を見つめる。
「な、なんだよ」
「怪しい」
「何がだ?」
「昨日はあんなに否定してたのに、なんでいきなり態度を変えるの?」
 こいつ、普段は何も考えない能天気のくせに、やけに鋭いな……。
 オレは裏仕事に関して、クルルには何も話していない。誰にも話さないのが契約でもあるし、そもそもクルルを血生臭い事情には巻き込みたくないというのもある。
「ちょっとオレなりに調べたんだよ。そしたら、なんとなーく信じてもいいかなーって思い始めてさ」
「ふーん?」
 まだ疑ってやがる。いやに鋭い。
 と、思いきや、クルルは急に笑顔に戻った。
「ま、細かいことはいっか。カズマ君が信じてくれたなら、それでよしっ! ふふ、じゃーいつ行く?」
「そーだな。もう少ししたら連休だし、そしたら行こうか?」
 数日後には、七日間の長い休暇がある。田舎に住んでいる奴はその間に故郷に帰って田植えの手伝いとかをしたりする。
 もっともオレには帰る実家なんてないし、クルルも首都出身だから関係がない。
「連休かー。楽しみっ! ふふ」
 無邪気に笑うクルルを見ていると、心が和む。
 オレは裏仕事を知られたくないという理由もあって、あまり人と話さない。その中で例外的に親しいのが、クルルだった。
 最初に話しかけてきたのは向こうからだったと思う。内容は忘れてしまったが、他愛のないものだったことは間違いない。
 誰も信じず、寄せ付けず。すさんでいたオレにとって、クルルの無邪気さや明るさは救いだった。
 こいつといると、何も考えずに済む。嫌なことも仕事のことも、ほんの一時なれど忘れることができる。だから、オレはクルルとだけは付き合うようになった。
 クルルもまた、オレみたいな奴のどこを気に入ったが知らないが、よく付き合ってくれている。
「けど、危ないところだからな。覚悟しとけよ?」
「もっちろん! でも大丈夫だと思うよ」
「……言っとくけどお前のかえるの魔法は戦力なんてレベルじゃないからな」
 学生としては普通だが。
「むむむ。そうじゃないよ。あたしは確かに力になれないけど、でも、大丈夫! カズマ君が守ってくれるでしょ?」
 何の疑いもない瞳。キラキラと輝くそれは、オレには眩しすぎる。
「――まあ、な」
 つい、と視線を外し、オレは答えた。
「そうでしょそうでしょ。カズマ君は強いんだから!」
 そう。オレは、強くなった。昔に比べれば遥かに。
 まだ足りないとは思う。それでも、そうそう負けはしない。
 オレが、クルルを守らなきゃいけない。
 この純粋な瞳を、失わせはしない。
 心の底で、オレは誓った。