「くふ……」
 最初に耳にしたのは、ただの笑い声だった。
「くふふ」
「な、んで?」
 手が震える。訳がわからない。
「くははははははははははははははははははははははははははははは!!」
 ルイーズが手を一閃させた。こらえられず、オレは吹き飛ぶ。
「う、そだろ? 魔人状態のオレは、グレンにだって力負けしないほどの馬鹿力なんだぜ!?」
 そう。グレンと戦った最後の時、あいつの全力のストレートとぶつかり合い、オレはグレンの腕を砕いた。もちろんグレンの体に強度が足りなかったというのもあるだろう。だがそれ以上に、オレ自身の持つ単純な力が格違いであった、というのが理由だ。
 今もオレは手加減せず、殺すつもりでストレートを放った。だというのに、ルイーズはそれに耐え、あまつさえ反撃までしてきた。
 今のパワー。耐久力。それは人間のものじゃない。
「ま、さか、お前まで?」
「考えが甘かったわね、カズマ君? 炎の魔獣は君に。滝の魔獣はグレンに。それぞれが力を受け継いでいる。では、残る魔獣は誰が貰い受けたのか?」
 やっぱり、だ。
 見上げるルイーズの姿が、さっきよりも大きく見えた。
「そう! 答えはこの私! あなたが魔人と言うのならば私もそう! この身に宿る砂の魔獣の力は、あなたの拳では貫ききれない!」
 ルイーズの服がわずかに裂けている。そこから、褐色の鎧が垣間見えた。
「『もぐらのおまもり』か。そいつを魔獣の力で極限にまで高める……!」
 魔獣の力では完全に互角。確かにただの拳では砂の鎧は貫けない。なにせあれは、本来なら刀剣の攻撃にさえ耐えるようにと考え出された防御魔法なのだから。
「カズマ君、大丈夫?」
「体はな。触るなよ」
 クルルに念を押し、オレは立ち上がった。
 とは言え、どうすればいい? 『もぐらのおまもり』を抜くためには大なり小なり魔力が必要になる。だけど、あいつは魔力を散らすことができる。
 ……やはり、鎧のないとこを狙うしかないか。
 あいつは防御力を究極まで高めるために、魔力をかなり集中させている。そのせいで手や頭に関しては砂の鎧がない。
 一撃で、頭を吹っ飛ばす。
「それしかないか」
 向こうも狙いはわかっているだろう。頭を素直に狙ったところで絶対にガードされる。フェイントを織り交ぜ、なんとかしなきゃならねえ。
「クルル、さっきみたいに適当に『かえる』をぶちかましてくれ。オレは接近戦であいつをぶん殴ってくる」
「うん。わかった」
 体を沈め、前へ!
「いい加減にしろよ、ルイーズ」
「何をかしら?」
 思えば、こうしてルイーズと組み手をするのは初めてだ。
「こんな時代錯誤の殺し合いなんて、いつまで続けるつもりだ」
「別にいいじゃない、旧時代的な戦いも。小説だって格闘の見世物だってそうでしょう? 人間、どこかで戦いを求めているのよ。血を流し、傷つけることによってしか満足できない。それが人間の業よ」
「お前が人間を語るな」
 右。左。右と見せかけて左。
 なかなかどうして、格闘戦も筋は悪かねえ。おそらくはグレンの仕込みだろう。
 けど、やっぱりオレには届きゃしねえ!
「人間は、力を愛してるわけじゃない」
 肘を喰らわせ、さらに蹴り。動きを止めて払い――は、かわされた。
「お前が好きになったのがどんな男かなんて知らないが、そいつは兵器と結婚したいのか」
 突きを止められつつ投げ。うまく抜けられるが、そこに膝。今度は当たる。
「人間を愛するのに、相手が強いとか弱いとか、特別とか普通とか関係ないんだ。好きだから好きで、そこに理由なんてあんまないんだよ」
 手数も正確さもオレが上だ。ルイーズの拳を軽くかわしながら思う。
「感情は自分でも気付かない間に自然と湧きあがるもんらしい。お前が磨かなきゃいけないのは兵器としての力じゃなかったはずだ。そもそも、お前が欲したのもそういうものじゃないだろ?」
 こいつがあくまで『なみだのしずく』に固執した理由。
 それは、乙女の紋章が何より優秀な戦闘力を持っているからとか、そんな理由じゃない。戦いだけなら王者や騎士の方がいい。
「お前は自分の心を相手の前にさらけ出すのが怖かった。だから、そのために『なみだのしずく』を利用しようとしたんじゃないのか」
 クレタスに聞いた。『なみだのしずく』は心を伝える古代魔法。
 戦場では戦意を奪う魔法として機能するだろう。けれどそれは、平時においてはまた違った意味をなす。
「言葉にはできない感情をそのまま伝える。それが、お前の目的じゃないのか」
「……はッ!」
「ッ!?」
 鋭い一撃を反射的にかわす。続けざまの連撃を、腕で受け、身をひねってかわした。
「黙りなさい、カズマ」
 攻撃にだんだんと鋭さが増す。
 それは型が整えられているというよりも、躊躇のなさと見るべき。
「あなたに、私の何がわかる」
 こいつは自分の手で人を殺したことはない。それは見るだけでわかる。
 けど、今、こいつは本当にオレを殺そうとしている。
「私の、気持ちなど! 誰にもわかるものかあァ!!」
 そのぶん、隙がある。
 力強い拳をかわし、ガラ空きになった背中を打ちすえる。よろめいたところで膝。
 いかに重厚な鎧を着込んでも、動けなきゃただのでかい的でしかない!
「そこだ!」
 殺意を。
 魔力を。
 筋力を。
 何もかもを全開にし、渾身の勢いで手刀を振り下ろす!
 手がルイーズの頭に吸い込まれるような錯覚。
 激突。じん、と手がしびれる。
「狙いがわかるなら」
 すぐに距離を置こうと離れかけるが、魔法の方が発動が速い!
「『じゅうりょくのしはい』」
「『とかげのいかり』!」
 横から飛び来た石柱を魔法で打ち砕く。つぶてが全身を叩いた。
「防御のために魔力を集中させるのもたやすい」
 甘かった――!
 オレの手刀をガードしたルイーズは、立ち上がってオレを見下ろした。
 ルイーズは、オレの想像以上に戦い慣れていやがる。口ではたやすいなんて言うが、魔力を集中させるための時間、タイミング、んなものは戦いの中の呼吸だ。経験によってしか得られない。
 こいつが、ここまで慣れているなんて考えもしなかった。
 こうなると、やはりオレではルイーズは殺せない、か。
「強ぇな。お前」
 魔力を全て防御にまわすという戦闘スタイル。
 ノエルに似ているようであいつとはまったく違う。死なないための防御ではなく、攻撃のためのガードだ。その裏に潜んだ覚悟は、魔法の底力を飛躍的に伸ばしている。
「オレじゃ、勝てないかもしれねえ」
 ちらりと後ろを見る。
 クルルは、まだほほ笑んでいた。
 ――やりたいことをして。
 その顔が語っている。
 ――あたしは、あたしにできることをするから。
 あいつは、気が付いているんだろう。オレの覚悟の意味。
「でも、諦めらんねーんだよなぁ」
 悪い。オレは、誰も幸せにはできねえ。
「あー、つまんねーよな」
 人が生きるって、どういうことなんだろう。
 その意味も何も、オレは知らないけど。
 グレン。お前を殺した罪くらいは、償ってやるよ。
「行くぜぇ! ルイーズッ!」
 もう、体が耐えられない。これで終わりだ。
 フィロミネンスの持つ熱量を、魔力を。
 オレ自身の力を、闘志を。
 全てを右の拳に集め、高める。
「来なさいよ! カズマァ!」
 走った。
 握り締めた。
 繰り出した。
 握ったオレの拳は。
「死になさいよォ!」
 何も、掴めなかった。
「カズマ君ッ!」
 体が浮き上がる。全身から何かが抜けていく。
 力の抜け切った体を、柔らかな感触が包み込んでくれた。
「バカだなぁ、ルイーズ」
 ルイーズ、お前は勘違いをしている。オレは主人公になれるような人間じゃない。そのオレを真っ先に倒そうとした時点で、間違っているんだ。
 目がかすみ、世界が暗闇に覆われていく。
 けど、嫌な感じはしなかった。だって、オレは、こんなにも穏やかなぬくもりに抱きしめられているんだから。
「オレの勝ちだよ」
 そのまま、オレはそっと目を閉じた。