オレはちらりと視線を横に向けた。
 闘技場のごとき岩のずっと下の方向に、ぐつぐつと炎が燃えている。飛び込めば人間は死を免れない。オレがいかに炎術に関して優秀な力を持っていると言っても、限度がある。自分の炎じゃヤケドはしないけど、自然界の炎まで操るには限度ってものがある。
「だけど、あいつはあそこから出てきた」
 それをなしうるのが、おそらくはあの肌。道理でオレの魔法なんて効かないはずだ。そもそもあいつは、もっと熱いところに住んでいるのだから。
 あの魔獣を炎で撃退することはできない。かといって、オレにできることは炎を出すことだけ。
 なら、今度は頭を使わなきゃいけない。
 あいつには炎は通じない。そもそも炎にこだわる必要はない。
 要するに、あいつを倒せばいいんだから。
 視線を化物の奥、さらに先に向ける。その先には、人ひとりやっと通れるくらいの穴が見える。先は薄暗く、あまり見通すことはできない。
 あそこに入ってしまえば、この馬鹿みたいに大きな魔獣は入ってこれない。あそこに飛び込めればいいんだ。
「クルル、耳を貸して」
 クルルの耳元で作戦を伝える。あの魔獣に聞こえたところで理解できるのかは不明だけど、聞こえないに越したことはない。
「わかったか?」
「……うん」
 こくん、と小さく頷くのを確認し、オレは化物に向き直った。
「よーし。それじゃ、いっちょやりますかっ!」
 ぱちんと拳を手の平に叩きつけ、オレは飛び出す。
「そらそらそらそら!」
 ギリギリまで近づいての近接格闘インファイト。遠くからじゃよろめかせることさえできない以上、至近距離での攻撃以外に方法はない!
 何発も何発も拳を、肘を打ち込む。少しずつ、魔獣は後退していった。
「なんだよ反撃さえなしってかぁ!? 舐めるのも大概にしやがれってんだ!」
 だん、と岩を踏み抜き、飛び上がる。魔獣の顔面を、拳で捉える。
「『とかげのいかり』ぃ!」
 全力のストレートが、今度こそ魔獣をよろめかせた。だが、足りない。
「まだまだぁ!」
 一撃で足りないなら、何度でも!
「『とかげのほうこう』! 『とかげのひとみ』! 『とかげのいかり』!」
 両手を使って、魔獣にひたすら魔法をぶち込み続ける。踏ん張り、時に自分の身さえ弾丸にして、とにかく叩き込む! ラッシュは止めちゃいけない!
「グル……!?」
 その時、魔獣もオレの意図に気づいた。まずい!
「突っ込めクルル!」
 叫びながら、オレは足裏に意識を集中させた。
「『とかげのあそび』! 『とかげのいかり』!」
 爆風に乗って魔獣に近づき、蹴りと共に至近距離用の魔法を放つ。足と魔獣の間で起きた爆発が、オレの体を吹っ飛ばす。
「グ――!」
 魔獣の声は途中で途切れた。
 その巨体がぐらりと揺れ、闘技場から転げ落ちる。まっすぐ下へ、炎の中へ。
「カズマ君!」
 バシッ、と全身に安定が戻る。オレはすぐさま足を地につけ、クルルの手を引いて穴に向かって駆け出した。
「急げ! すぐに上がってくるぜ!」
 そのまま倒れてくれるなら、どれだけいいだろう。だが、あいつが最初にあそこから飛び出した以上、それはありえない。
 なら、せめて。あいつが妨害できない間に、オレたちは目的の場所まで飛びつけばいい。帰りのことは、帰りに考える!
「よっし!」
 穴まで届く! ここまで来れば、もう安心――。
 そう思いつつ、穴に飛び込んで。
 ――ガンッ!
「だっ……!?」
「きゃっ!?」
 頭に激痛。勢い余ってクルルもろとも転んでしまった。
「な、何なんだ!?」
 急いで起き上がり、穴を調べる。触れてみると、何もない空間に、ひんやりとした冷たい感触があった。
「これ、魔法結界!」
 金持ちの屋敷の金庫なんかによく使われている。
 特定の条件を満たさない限りは何人たりとも通さない鉄壁の魔法陣。普通は合言葉やら何やらで解除できるようになっているけど、まさか、こんな洞窟の中に魔法結界なんて! これじゃあ先に進みようがない!
「カ、カズマ君!」
 クルルの声に、オレは振り向く。そして、目をむいた。
 そこには、オレが下に叩き落した化物が、悠然と立ち塞がっていた。
 逃げ道は、ない。
「く、くそっ!」
 あの魔獣が倒せないことはもうわかってる。そっちよりは、まだ魔法結界の方が対策できるはず!
 慌てて結界に向き直り、その様子を調べる。魔法陣らしきものが奥に見える。あれさえ壊せれば結界も消えるはずだけど、残念ながら陣は結界の向こうだ。まあ当たり前か。
「だったら強引にでも突破する! 『とかげのいかり』!」
 ガツン、と結界を殴る。けれどと言うべきか、あるいはやはりと言うべきか。結界はビクともしない。
「くそ、なんでだッ!」
 ガンガンと結界を殴る。背中の方からは、ずしん、という重い足音が近づいてきている。
 ここで諦めてしまったら、オレたちは、殺される!
「駄目なんだよ!」
 オレが死ぬだけならいい。それならオレは諦める。
 でも! ここにはクルルがいるじゃないか!
 こいつはオレと違って死ななきゃいけない理由がない。生きちゃいけない理由がないじゃないか!
「開けよ! 開け! こんなところで、こんな理由で! 死なせるわけにはいかないだろうがぁぁぁぁァァァ!」
「オオオオオオオオオオオオオオ!!」
 オレの叫びに呼応するように、魔獣の咆哮が耳を貫いた。
 ――怯えるな。
 同時に、どこかで声が聞こえた気がした。
「……?」
 聞いたことのない声だった。いや、どこかで聞いたことがあるような気もする。それはいつ、どこだった?
 ――お前は死なない。
「え?」
 気のせいじゃ、ない?
 これは、本当に、聞こえてる?
 ――お前は死なない。
「ク、クルル! 何か聞こえないか!?」
「え? な、何のこと?」
 クルルには聞こえてないのか?
「じゃあ、この声は……?」
 クルルの他に人影はない。
 いるとするなら。
「まさか、お前なのか。魔獣」
 魔獣は敵意のある目をオレに向けているだけ。何を考えているのか、それはわからない。まさか、こいつが?
 魔獣はオレに応えなかった。グッと奥歯を噛み締め、頭を振る。今は幻聴に踊らされている暇はない。
 震える足に力を込めて、前に立つ。クルルの前に、魔獣の前に。
 挟まれた位置に立ち、オレは魔獣を見上げた。
「お前を倒せば、開くのか」
「グルル……」
「そうか」
 何を言っているのかはわからない。けど、なんとなく肯定したような気がした。
「なら、意地でも倒さなきゃなあ」
 すっと腰を落とす。何ができるかは考えていない。どうせ何もできないだろう。それでも何かをしなきゃいけないんだ。
 ふと、オレの耳に小さな音が届いた。
「――?」
 耳を澄ます。そう、これは、水滴の音。
 ぴちゃん、と。
「『かえるのうた』!」
 野太い声が轟いた。
 魔獣が後ろを向く。直後、その巨体を水流が押し倒した。
「大丈夫かッ!」
 入り口――オレたちが入ってきた場所に、男が立っていた。
 ローブに身を包んだ、見た事のない男。今の魔法は、あいつが?
 魔獣が体を起こす。そのタイミングを見計らっていたかのように、男は手の平を天井に向けた。
「『かえるのした』!」
 天井の方向に向かった水流は、途中でかくんと折れ曲がり、魔獣を頭から叩き潰す。その勢いたるや、クルルのそれとは比べ物にならない。どころか、下手をすればオレの魔法より高威力に見える。
 まさか、そんなはずがあるか。とかげの魔法は威力こそが自慢。範囲に優れたかえるの魔法に威力で負けるなんて、あるはずがない。
「『かえるのきょうりょく』!」
 バン、と両手を足元につける。直後、魔獣を水の檻が取り囲んだ。魔獣は慌てて起き上がろうとするが、水の檻は簡単には破れない代物らしく、ガツンと頭をぶつけただけだった。
「大丈夫か?」
 魔獣とすれ違い、男がオレたちのもとに歩み寄る。改めて見ると、ずいぶんとガッシリとした体つきが印象的だった。
「大丈夫、です」
 少しすり傷なんかはあったけど、大きな怪我はしていない。当たり前だ、向こうは攻撃をしてきていないんだから。理由はわからないが、向こうは攻撃はあまりしたくないらしい。
「それより、あんたは?」
「私か。私は、そうだな、キザな言い方を許されるなら、君たちの味方だ」
 浮かべた笑みは、人懐っこい暖かさをたたえていた。