|
一方、有沢が神山から話を聞いている、ちょうどその頃。 笹森明人は図書室を訪れていた。目的の人物は、前に聞いていた通り、カウンターの向こう側に座っていた。 「こんにちは、吉村君」 声をかけると、ハードカバーの本に視線を落としていた吉村雄介が顔をあげる。 「……こんにちは」 やはり暗い印象の少年だ。笹森は心の中で思いつつ、 「大変だね、図書委員も。お昼休みを潰さなきゃいけないなんて」 「そうでもないよ。週に一度だけだし、騒がしい教室よりは、ここにいる方がいい」 「そういうものかな」 友人が少ないのだろう。その態度からも十分にうかがい知れた。 「大変といえば、金曜日も大変だったね。あんなナイフを持っていたなんて、驚いたよ?」 ちらと視線をあげた吉村。その目には疑いの色がある。 「好奇心に任せて質問しに来た、って感じ?」 「そういうわけじゃないんだけどね。でも、あのナイフはどうしたの? そうそう買えないと思うけど」 笹森はナイフに関して特別な知識を持っているわけではなかったが、バタフライナイフなんて代物、高校生が普通に購入できても問題だろう。 「あれは、父さんに貰ったんだ」 「お父さんに?」 「そう。変わった人でね、自分じゃとてもそんなものを扱えないだろうに、ナイフとか刀とかを集めるのが趣味らしいんだよ」 骨董趣味とでもいうのだろうか。そんなものとも、また少し違うような印象もある。 もっとも、重要なことは吉村の父に関する話ではない。吉村自身についてだ。 「貰ったナイフ、鞄に入れていたんだ」 「というか、入れっぱなしになっていたってだけ。別に、それこそ先生たちが心配しているみたく、ケンカするわけじゃないし」 確かに。体格に劣るうえ、見た目にもおとなしい彼が、そうそう刃物を持ち出すようなケンカをするとは思えない。 「そんなことをするくらいなら、本を読んでいるほうがいい?」 「……まあ、そうだね」 笹森の言葉に、吉村は同意した。 「放課後は、いつも図書室に?」 「必ず、ってわけじゃないけど、特別な用事がない限りはここにいると思う。この間の金曜日みたいにね」 笹森が思わず面食らったように押し黙ると、吉村はようやく笑顔を見せた。もっとも、ほんの少しだったが。 「探偵の真似ごと? 面白おかしく話を聞きたそうな感じはないね。でも、余計なことはしないほうがいいんじゃない」 「考えておくよ。じゃあ、失礼ついでにさ、黒木先生について教えてくれないかな」 「黒木先生?」 笹森は頷き、 「僕は転校してきたばっかりだから、黒木先生のことを詳しく知らないんだ。よかったら、知っていることでも教えてくれないかな」 「知っていること、っていってもね。特別に親しいってわけじゃないし」 「それでいいんだ。生徒の目から見て、黒木先生ってのはどんな人?」 うーん、と少しだけ考えた吉村は、 「まず、おとなしい人だね。この学校を体現しているみたいな人だ」 「この学校を?」 「そう。この学校の気風、いれば感じるでしょ? 全体的に静かで、よく言えばおとなしく、悪く言えば暗い。黒木先生もそんなものだよ。授業中に声を荒げたところ、見たことがない。授業はていねい、静かで、みんなの昼寝タイムだ」 「それでよく単位を落とさないね……」 「先生も自分の話を聞いていないってのはわかってるんだろうね。試験問題は、どれも最低限、単位だけは取れるような問題ばかりだよ」 今のところ聞く限り、生徒になめられている、というイメージを持つ。実際のところ、それは大きく的を外していないだろう。なにせ、有沢に押し切られる形とはいえ、事件の話をしてしまったのだ。押しに弱いのかもしれない。 「じゃあ、黒木先生を憎んでいる人、なんてのは?」 「考えられない」 即答だった。 「聖書の単位を落とした人なんて聞いたことがない。口うるさくもないし、みんな、黒木先生に興味なんて持ってないんじゃないかな」 学校なんて場所は、そんなものだ。 生徒にとっての教師とは、教える人間である以上に、単位をくれる人間、成績を評価する人間でしかない。自分に対して悪い評価は出さない教師なら、誰でもいいのだ。いや、自分に干渉しないだけ、良い先生と言えてしまうのかもしれない。 教師における本来的な意義は、少なくとも黒木という人間には求められていないのだろう。 「それより、俺は君のほうが不思議だね」 「僕?」 「そう。有沢さんと話をしている人なんて見たことも聞いたこともない」 これには笹森も苦笑を浮かべた。 「そんなに悪い人じゃないよ、有沢さんは。ただ、ちょっと人との接し方が不器用なだけなんだと思う」 「それだけ人間関係が不器用な人に、いきなり話しかけられる君って人が変わっているんじゃないの?」 笹森が言葉をなくすと、吉村はさらに続けた。 「普通、有沢さんを見て話しかけようって人はいないよ。転校生なら、なおさらさ。外見からして派手だし、目立つ。おまけに常に愛想がなくて、殺気だってる。まともに会話しているのなんか、生徒会長くらいじゃないか」 「ああ、そうかもね」 しばし同じ教室で観察していたが、笹森が視る限り、自分から有沢に声をかける生徒は見たことがなかった。 みんな、どことなく有沢を恐れているような感じがあった。話を聞く限り、彼女が何かしらの問題を起こしたということはないらしい。それでも避けられているのだから、それは彼女の持つ雰囲気、言い換えれば“愛想のなさ”みたいなものが影響しているのだろう。 「だからこそ、なんで有沢さんみたいのに話しかけられるのか、不思議で仕方ないよ」 「んー……、約束、だからかな」 「約束?」 おうむ返しにした吉村は眉をひそめるが、笹森は顔の前で手を振った。 「なんでもない。人間ってさ、誰でもそうだけど、人と繋がらないと生きていけないと思うんだ。だから、有沢さんのように、肩肘を張って生きている人を見ると気になっちゃうんだよ」 「有沢さんが、人間と繋がっていないから――?」 「そういうこと。自分から遠ざけて、嫌がって。そんなんじゃ、いつまで経っても渇きが癒されない。だから余計に遠ざける。悪循環だ。 どっかで直さなきゃいけないなら、そのための踏み台にでもなれればいいかなって。ほら、それこそ変人の僕を相手に、肩肘を張っても仕方ないでしょ?」 どこかあっけにとられた様子の吉村。微笑む笹森を見上げ、思わず本音が出た。 「そんな風に生きて、楽しいの?」 「もちろん」 笹森の答えによどみはなかった。つい、吉村は首をかしげてしまう。 「普通、少し迷ったりしない?」 「そうかな。僕は自信を持って言えるよ。この生き方で正しいんだ、って」 「まあ、間違っているとは言わないけどさ」 誰かが支えてやれば、壊れる人はぐっと少なくなる。 ただ、そばにいるだけでいい。それだけで、救われる人も大勢いる。裏を返せば、そんな簡単なことさえ、なかなか成されないという事実。 聖書が伝えている隣人愛とは、究極的にはそういう話だ。だが、それを学んでいるはずの生徒たちでさえ、それを実行できていない。そんな中で、習うことなく実戦できている笹森は、どこか特別なのかもしれない。 と、ちょうどチャイムが鳴り響いた。昼休みの終わりを告げる予鈴だ。 吉村は本を閉じ、立ち上がる。 「他に聞きたいこと、ないよね? 俺は教室に戻る」 「うん、ありがとう。また何か聞くかもしれないけど」 「その時は図書室に来ればいいよ。だいたい、ここにいるから」 言い残し、吉村は出て行った。笹森も、すぐに後を追うように出て行く。 |