放課後。
「こら、膝に乗るな」
「うにゃあ……」
 有沢は自分の膝によじ登ろうとした三毛猫を下ろす。仕方ない、とばかりに、三毛猫はそこらへんに寝転がった。
 陽だまりの丘には、いつもの猫たちに加え、有沢と笹森の姿もあった。
 どちらが言い出したわけでもないが、教室で事件の話はしにくい。自然、ふたりの足は放課後になってすぐ、この場所に向かっていた。
 有沢は神山から聞いた話を、笹森は吉村から聞いた話を、お互いに伝えあう。
「要するに、図書委員も心当たりはないわけね」
「吉村君ね」
「名前なんてどうでもいいの。でも、そうね、黒木に興味がないってのは正しいかもしれない」
 学校という場所で、受験に関係もなく、成績評価も甘い教師。大半の生徒からすれば、どうでもいい相手だろう。
「今までの話だと、金銭目的って考えるには無理がある、って話だったわね」
「でも、それ以外になると、目的がはっきりしない」
 そうなのだ。
 ごく単純に、金が目的と考えるのなら、事件の構造はひどく単純になる。衝動的、あるいは計画的かもしれないが、ただ殴って財布を奪っただけだ。聖月学院の生徒らしくはないが、そもそも事件が起きている時点で聖月らしくないといえばその通りでもある。
 だが、仮に金銭目的でないとするなら。犯人の目的は、どれほど考えようとも思い当たらない。
 そもそも、黒木を殴って得をする人間がいない。恨みを買うこともない人間が殴られる理由。犯人の動機を探すという作業は、警察とて苦労する分野だ。
「――笹森。人が人を恨む時って、どういう時だと思う?」
「色々とあるんじゃないかな」
「……。あんたに聞いた、あたしがバカだったわね」
 この、人を恨むことを知らなさそうな顔つき。怨恨とはなんぞや、などと問いかけても、伝聞しか返ってこなかろう。
「そういうのは、有沢さんの方が詳しそうだけど」
「まあ、ね」
 つまらなさそうに、有沢は頷く。
「そうね。たとえば、親の仇とか」
「時代劇みたい」
「うるさい。あとは、大切な人とか、自分を傷つけた相手よね。物理的でも心理的でもいいけど」
「具体的には?」
「こう、無視したり、苦しんでいるのを分かっていて、見て見ぬふりをしたり。あるいはもっと積極的に、苦しませるってのもあるかもしれない」
「いじめ、とか?」
 有沢は頷く。
「あんた、その歳まで生きてれば、いじめのひとつやふたつ、見たことがあるでしょ。いじめをする側は苦痛なんかない、それどころか“楽しく”さえあるわよね。でも、いじめられる側からすれば、苦しみ以外の何物でもないはず」
「黒木先生が、そういうことをしていたってこと?」
「まさか」
 肩をすくめ、少女は続ける。
「あの小心者の黒木が、そんな積極的行動をとったとは思えないわ。そうでなくとも、うちの教師と生徒はそんなに交流もないしね。でも、黒木が助けなかったって可能性ならあるかもしれない」
「助けなかった……?」
「要するに逆恨みよ。いじめを受ける側からすれば、教師は自分を助けなきゃいけない立場なわけ。でも、体育教師でガタイもいい赤岩ならともかく、黒木なんかがいじめをしている方に強く注意できるはずがない」
「それで、逆恨みをする、ってことだね。自分を助けられる立場にあるはずなのに、助けてくれなかった。自分を苦しみから守ってくれなかった」
「そ。エゴイズムきわまれり。だけど、人間、自分さえよければ他はどうでもいいもんよ。相手の都合なんて考えない。
 ましてや、それが窮地にいる人間ならなおのこと。自分を窮地から救わない、なんて他力本願、普通は赤面ものだけど、それががいけない、という発想さえ生まれないでしょうね。聖書で言うところの、求めなさい、そうすれば与えられる、ってやつよ」
「聖書はわからないけど……、そういう発想は、ありうるかもね。でも、聖月でいじめられている人なんかいるのかな?」
「どこにだっているはずよ、そんなのは。目に見えるか見えないかはともかく、集団が集まっていて、その中に外れ者がいないなんてこと、ありえないわ」
 集団は、どうしたって調和が必要になる。他人にある程度は合わせなければならない部分が生じるのだ。
 だが、そうやって生み出された、『集団としての個』に馴染めない人間は大なり小なり出てくる。そうでなくとも、集団を特定の方向にまとめるため、わざと攻撃先を作ることさえある。
 いじめが根絶されない根本的な原因はそこにある。言うなれば、人間の本能だ。
 有沢も、言ってみれば外れ者だ。だが、彼女の場合、自分で望んで外れている。おまけに、周囲がそんな彼女を恐れ、手を出すことができていない。だからこそ、消極的な意味ではいじめられているのかもしれないが、積極的にちょっかいを出そう、という人物は皆無だ。
「その点、あの吉村ってのはありえるわね」
「吉村君が?」
「だって、昼休みにも図書室にいたんでしょ?」
 一般的に、昼休みともなれば、友人と過ごすだろう。わざわざ生徒が訪れない図書室に行く必要はない。
「でも、図書委員だからじゃないの?」
「放課後もずっと?」
 その言葉に、笹森は言葉を失う。代わりと言うべきなのだろうか、トラ猫がにゃあと鳴いた。
 有沢はなおも膝上に乗ろうとする別の猫を下ろしつつ、
「図書委員でもなんでもなく、図書室に通い詰めている。勉強するわけでもない。本を読むなら市立図書館の方が蔵書量は多いし、設備も充実しているわ。だから大半の生徒もそっちに行く。
 わざわざ、誰も使わない図書室で、いつもいる理由は何? 他に居場所がないから、でしょ」
「でも、それといじめは関係ないんじゃない? というか、その居場所云々ってのも、結局は推測だしね」
「もちろん。それは、調査しないことにはわかんないことでしょうね。でも、可能性として論じるなら、十分に考えられると思わない?」
「うーん、大将はどう思います?」
 なぜか、笹森は親分猫に話しかけた。大将はかわいげのない顔つきで笹森を見上げ、
「うにゃ」
 それだけ言って眠ってしまった。
「やっぱり考えすぎじゃないか、だって」
「あんたはいつから猫語を話すようになった」
「まあ、気分的な問題?」
「……。まあいいわ。明日は吉村ってやつについて調べてみましょ」
 結論的に言う有沢。話が終わったタイミングを狙うように、ここぞとばかりに背中にのぼろうとした猫は、普通に下ろされた。

 ◆

「……参ったな」
 その人物は、目の前に置かれた棒きれを眺めていた。
 ビニール傘ほどの長さもある角材だ。これを握り、本気で振り下ろせば、女性の力とて無傷では済まないだろう。そういう、凶器だった。
 できれば、そんなものが使いたいわけではなかった。だが、これ以外には方法もないのだ。
 人殺しをしたいわけじゃないし、そもそも殺意なんて一切ないが、すでに一部の生徒や教員が、犯人探しを始めている。
 事件というのは、見つかっていない間が最大の安全マージンなのだ。見つかってしまえば捜査が始まり、そうすれば、誰かしらは真相に辿り着く。名探偵でなくとも、数が揃えば、一人は真相に辿り着く者も出るだろう。
 それだけは絶対に避けなければいけなかった。犯人が誰であるのか。その事実だけは、隠し通さなければならない。
 そのためには、事件を起こす必要があるかもしれない。だが、それをやれば、新たな証拠を生み出し――なにより、誰かを傷つける必要が生まれる。それは嫌だった。
 要するに、天秤の問題なのだ。安全性を取って他人の害を生むのか、危険性を取ってでも平穏を選ぶのか。
「……」
 そして、角材を手に取った。



 
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