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「ん……」 有沢は目を開く。いつの間にか、眠ってしまっていたようだ。 「何時?」 目をこすりながら見上げる。時計は、すでに昼休み間近の時刻を指していた。 寝起きの気分は、あまりよくはなかった。幼い頃の夢を見ていた気がする。だが、正確に思いだすことはできない。 ただ、ずっと走っていたような、そんな感覚。 「だっ……」 体中の骨を軋ませながら立ち上がる。変な姿勢で寝ていたせいか、少し立ちくらみがあった。 チャペルを出ると同時、チャイムが鳴った。昼休み、それぞれの教室から、騒がしい声が聞こえてくる。 「――」 どうしようか、と迷う。いつも昼食は食べないから、食堂やら教室やらに戻る必要はない。いっそ今日はこのまま陽だまりの丘にでも行こうか、などと考えだした矢先、 「有沢!」 「げ、赤岩」 あまり会いたくない顔が一直線にこちらに向かっていた。一瞬、全速力で逃げてやろうかとも思ったが、この体力バカを相手に長距離走を挑む気持ちは起きなかった。 「有沢、お前、今までどこにいたんだ」 「どこでもいいでしょ」 「よくはないな。一緒に来るんだ」 「あ、ちょっと!」 腕をつかみ、有沢を引きずるようにして歩き出す赤岩。反抗したかったが、さすがに悪いことをしたのは自分の方なので、あまり強気に出ることもできない。 そのまま職員室まで連行された有沢は、室内を見て、首をかしげた。 教師が勢ぞろいしている。赤岩や黒木、校長や教頭に学年主任に。昼休みなのだから、食堂に行っている教師がいてもいいだろうに……、不自然なほど、全員が顔をそろえていた。 「校長、有沢を見つけました」 「ありがとう、赤岩先生。事情は?」 「まだ聞いていませんし、話してもいません」 「なら、担任の赤岩先生からお願いします。その方が有沢さんも話しやすいでしょう」 「わかりました」 「――?」 なんだか様子がおかしかった。どう見ても、授業をサボったことに対する注意にしては、大げさすぎる。 「有沢。真面目で大事な話だから、よく聞け」 「な、なによ」 「お前、朝からずっと、どこにいたんだ」 「どこって……」 赤岩の表情は真剣そのもの。冗談や何かで聞いているわけではないことがよくわかった。 だから、有沢も少しばかり気持ちを引き締める。 「ずっとチャペルの自習室にいたわよ」 「一人か?」 「当たり前でしょ? あんなところ、二人も三人も入れないじゃない」 「なんでそんなところにいたんだ?」 「一人になりたかったからよ。なによ、そんなの教師に関係ないことでしょ?」 「それが、そういうわけにもいかないんだ」 赤岩は校長の顔を見た。上司が頷くのを確認し、赤岩は告げる。 「あのな、有沢。お前はこの間、黒木先生が襲われたのを知っているな?」 「知ってるけど、それが何」 「今日、またやられた。今度は白井先生だ」 「はぁ!?」 白井といえば、学校に来てまだ日の浅い女性教諭だ。おとなしく、おっとりした性格で、生徒からの評判も悪くない。 その白井が、黒木同様、襲われた――? 「な、なんでよ?」 「白井先生の財布が盗まれている。たぶん、この間の犯人と同じ奴だろう。白井先生自身は、後ろからいきなり殴られたせいで、犯人の顔を見ていないそうだ。今は保健室で休んでもらっているが」 「そ、そう。それで?」 「問題はな、有沢。白井先生の襲われた時間だ。白井先生が襲われたのは二時間目の授業中。いいか、授業中だ、有沢。普通の生徒はおろか、教師だってそうそう外を出歩いたりしていない」 「……!」 今回の事件。犯人と目される人物は、どう考えても学内関係者だ。 そして、そんな人間が、授業中にふらふらと遊び歩いていることはあまりない。ごくごく例外的な一名を除き。 「状況はわかったか? 今、現状だと、お前は怪しすぎるんだ、有沢」 前の事件も今回の事件も、共通してアリバイがなく、しかも素行は良いとは言えない生徒。 教師勢が疑いを持つには、十分すぎる資格を持った、有沢光子という少女。 「真剣に答えてくれ。オレはお前が校長室を出て行くところまでしか知らない。まだホームルームが始まる前の時間だ。それ以来、お前の姿を見たって人は、少なくとも先生たちの中にはいなかった」 「そりゃ、当然……よ」 有沢はずっと自習室にいた。だが、それを知っているのは、自分自身だけなのだ。 周囲の教師、その視線に交じるのは、大なり小なり疑いだ。誰も、有沢がやっていないと信じる者がいない。 もしかすると、犯人“かもしれない”程度の想い。だが、この場において、それは決定的とさえ言える。 なにせ、証拠など何もないのだ。 「で、私にどうしろ、って言うのよ」 「素直に、本当のことを話してくれるか?」 「本当のことしか言ってないのに、これ以上、何を話せって言うのよ。犯人の心当たりならないわよ?」 「そうでなくだな……」 「赤岩先生。少し待って下さい」 そんな中、割って入ったのは、教師の誰でもなかった。 「――神山?」 いつの間に入ってきたのか、職員室の入口に、神山宗佑の姿があった。 「神山。今は取り込み中だ、用件なら後にしろ」 「そういうわけにはいきません。生徒が濡れ衣を着せられている以上」 「濡れ衣? なんでそう断言できる」 「では、どうして有沢が犯人だと断言するのですか?」 神山の反論に、赤岩は口をつぐむ。彼の言葉は間違っていない。有沢が犯人ではない証拠などないように、有沢が犯人である証拠もまた、今はどこにも存在していないのだ。 「推定無罪、という言葉もありますが……。現状、有沢を疑う理由はあれど、犯人扱いする理由はないはずです。そうであるなら、僕は生徒会長として、生徒を守る義務がある。たとえそれが、不良と呼ばれる生徒でも、です」 「だが、神山、実際にふらついていた生徒は有沢だけだ」 「では、学校を休んだ生徒についてはチェックしたんですか? そもそも外部犯の可能性は? それでも有沢を疑うというのなら、まずは警察を呼ぶべきではないんですか?」 『警察』の言葉に、全員が気まずそうに視線をそらす。学校という場所柄、犯罪が起きたなどと公表したくはない。だが、警察を呼べば、嫌でも世間の視線に晒されることになる。 勝手な理屈ではある。だが、学校という場所がある程度の利益を必要とする以上、そんな考え方も必要なのだ。 「警察は呼ばない、無実かもしれない生徒を犯人扱いする。それが聖月のやり方ですか? 聖書いわく、汝疑うことなかれ、でしょう」 「神山……」 「それでも有沢を疑うというのなら、生徒会として、正式に抗議をします」 別に、聖月の生徒会は、特別な権力があるわけではない。要するに、生徒の代表者会。基本的には、他の生徒と変わりはない。 だが、神山がその気になれば、学内の醜聞は表に出てしまう。今の時代、情報を外に漏らすことなど、造作もないことだ。 いや、神山だけではない。学内の生徒、その誰かが、ネット掲示板に書き込むだけで、学校はすぐさま警察やマスコミに追われることになる。 「わ、わかった」 思わず赤岩がそう言ってしまったのも、無理からぬことだろう。 「確かに、有沢を犯人だと断定することはできん。そうだな、もう少し調査すべきだろう。有沢、面倒をかけたな。もういいぞ」 「ちょっと待って」 だが。有沢は納得していなかった。 「犯人扱いされて、はいそうですかって引き下がるほど甘くないわよ、あたし」 じろり、と教師たちをにらみつける。その眼力に、思わず後ずさる者が出るほどだった。 「見つけてやるわ、犯人。このあたしがね!」 その宣言には、赤岩たちはおろか、神山さえ目を丸くした。 |