明けて日曜日。有沢光子はいつものようにリアンでコップを磨いていた。
 客はいない。それが逆に好都合だった。
 睡眠不足ではあったが、それを感じる余裕はなかった。頭の中では、昨日のことがずっと駆け巡っている。
 そうして思考に没頭していると、カロン、と来客を告げるベルが鳴った。
 視線を上げる。見知った顔が二つ、入り口の近くに並んでいた。
「……バ会長まで連れてきたわけ?」
「随分とごあいさつだな」
 神山と笹森は並んでスツールに腰掛ける。神山の私服姿は少しばかり新鮮だったが、だからといって印象が変わるわけでもない。
「ふん。あんたと慣れ合ったつもりはないわ」
「それは結構。こちらもそのつもりは一切ない。エスプレッソ」
「僕はいつものね」
「待ちなさい。二つもいっぺんにできやしないわよ」
 電動ミルでコーヒー豆を挽きながら、有沢は両者を見やる。
「笹森から話は?」
「聞いている。まあ、過程は聞かなかったことにしておこう」
「実は、神山君と朝一で様子を見て来たんだ。夜のことはバレてなさそうだったよ」
「はっきり断定はできないがね。平和ボケしたうちの学校では、そういう問題が起こるという発想がないんだろう」
「あんた、生徒会長じゃないの?」
「悪いが僕は生徒の代表であって、学校の代表ではないし、ましてや教職員の代表ではないんでね」
「あ、っそ」
 コーヒーの粉を器に詰め、メーカーにセッティングする。それをそのまま直火にかけたところで、今度はミルクティーの用意を始めた。
 コーヒーの濃密な香りが漂う中、有沢は神山をにらむ。
「で、あんたの意見は?」
「さてね。仮にこれが偶然ではなく必然であるとして、それが事件にどう関係するのかわからない」
「――少なくとも吉村には詳しい話を聞く必要があると思うわ。教師が保護者だ・・・・・・・、なんて、常識的にあることじゃないわ」
 そう。有沢が見つけたのは、吉村の保護者に関する記述だ。
 普通、保護者欄には、両親のいずれかが名前を連ねる。だが、彼の書類は、保護者の名前が教師になっていた。
 それは、今回の事件には何の関係もないのだろうか。
「彼が犯人だ、と?」
「そこまで断定するつもりはないけどね、でも、その可能性は考えておくべきじゃない?」
「だったら、彼はどうやって授業を抜け出すんだ。彼は通常通り授業に出席している。だからこそ、共通してアリバイを持たない君が疑われた、とも言えるが」
「それはそうなんだけど。つまり、考えられる可能性はふたつ。吉村が犯人で、なんらかの方法で誰にもバレずに授業を抜け出した。もうひとつは、吉村は犯人じゃない。あたしたちが見つけた情報は単なる偶然」
「バレないで授業を抜ける方法なんてあるのかな?」
「あたしは思いつかないわね」
「となれば、結論はひとつだな。偶然」
 そうなのだ。
 言われるまでもなく、有沢は朝からずっとそのことを考えていた。偶然だとすれば、それで話は片付く。犯人は別にいて、それでおしまいだ。
 ちょうど、コーヒーの抽出が終わった。軽くひとまぜ、神山に出す。神山はシュガーボックスから砂糖を入れると、一口。
「ちゃんとしたエスプレッソじゃないか」
「そりゃどうも。あんたも飲み方くらいは知っているみたいね」
「でなければ注文するものか」
「そうでもないわよ。響きだけで注文するバカはいくらでもいるしね」
 笹森には、いつも通りミルクティーを出す。神山のエスプレッソと異なり、彼は香りと味を楽しむように、ゆっくりと傾けた。
 それを横目に見ながら、神山は言う。
「単に君が気にし過ぎているだけじゃないのか。確かに教師が保護者というのはそうあることじゃないかもしれないが、彼の家庭事情までは知らない。あるいは、両親が保護者を名乗れない理由があるだけかもしれないだろう」
「どういう状況よ、それ」
「たとえばの話だが、両親ともすでに亡くなっていたとする。そうしたら、吉村君は保護者がいないわけだ」
「祖父母がいるでしょ。そうでなければ親戚とか。天涯孤独なんて、そうそういるとは思えないけど」
「『そうそういない』というのは、同時に『ゼロでもない』という意味でもある。彼がそうでないとは言えないんじゃないのか。
 あるいは……、こういう想像は彼に失礼かもしれないが、両親とも犯罪者だとしたら? 罪を犯した人物の子供なら、あまり縁の深くない親戚は、積極的に引き取ろうとは思わないんじゃないのか」
「犯罪者の子供、ね」
 その方が、まだ可能性としてはありうると思う。
 だが、それも何か違和感があるような――。
「僕が言っているのは、親以外が保護者になるような状況も、少ないとはいえ、ありうるという話をしているんだ。たまたま彼が容疑者になっていたからといって、そこで怪しい、という理論は、飛躍し過ぎているんじゃないのか」
「そう、かしらね」
「んー、納得できないなら、逆に考えてみたら?」
 笹森の一声。二人ぶんの視線が集う。
「教師が保護者だったから事件が起きた、ってこと?」
「さらに踏み込んで、教師が保護者でなければ事件は起きなかった、って考えてみたら?」
「あいつが保護者じゃなきゃ事件が起きない……?」
 視線を落とし、有沢は思考に没頭する。
 ピースが集まり出す。
 チャペルにいた黒木。強盗事件。第二の事件。図書委員の吉村。事件当日の出来事。父親の来訪。手荷物検査。容疑者になった有沢。吉村の保護者。
 バラバラの情報。集まったフラグメント。それらは、特に繋がりもなく、別個の情報として浮かんでしまっている。
 だが、それを繋ぐことは、本当にできないのか?
 物事には理由がある。その前提で考えれば、偶然と必然、仕分けた先に、何かの結論が見えないだろうか。
「そういう、こと?」
「……? どういうことだ、有沢」
「神山、その前に聞きたいんだけど。黒木が襲われて、その後、あたしたちが容疑者になった」
「そうだな」
「その後、教師たちは犯人を追及しようとしてたの?」
「そう聞いている。一応、捜査というわけではないが、ある程度は調査をしていたらしい。生徒会にも、間接的に協力要請がきていたからな。断ったが」
「そう」
 カチン、と。
 歯車はかみ合った。
「神山。笹森。ちょっと協力して欲しいんだけど」
下手したでに出るな、気持ち悪い」
「ん、何?」
 有沢は二人の男子を見つめる。その瞳には、明確な輝きがあった。
「犯人を捕まえるのよ」



 
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