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吉村雄介はひとり、書斎に入った。 もっとも、書斎という割には、その部屋に書籍はあまりなく、棚の下側にいくらか並んだ専門書くらいなもの。むしろ、メインとなるのは、棚の上側にあった。 ガラス状になったその棚には、整然とナイフが並べられていた。 そのどれもが、そこらで売られているものと異なることが一目でわかる。造詣のこまやかさ、丁寧なつくり。柄に細かな彫刻が成されたもの、特異な刃の形をしたもの。同じものは存在しない。一つひとつが芸術品と呼んで差し支えのない、飾るにふさわしいものだった。 ぐるりと見渡す。ガラス棚はきちんと鍵をかけられ、簡単に手出しはできないようにしてある。それは、コレクションを守るためだけでなく、純粋に危険物を保管するための措置だろう。よくよく見れば、棚のガラスも、普通のガラスより分厚い強化ガラスであることがわかる。 「はぁ……」 少年はそれだけのコレクションを前に、ため息しかしなかった。 そのまま、奥の机に向かう。こちらは年季の入った、逆に言えばただそれだけの、ごく普通の木机だった。 机の上に便箋を広げ、ペンを取るかと思いきや、少年はポケットから財布を取り出した。その中から、小さな写真を取り出す。 「母さん……。信じて、いいんだよね」 写真の中で微笑む女性は、何も答えることはない。だが、それでも、少年の中では何かが固まったらしかった。 「――それしかないなら」 改めてペンを握り直すと、少年は手紙を書き始めた。 ◆ その日、職員室では、定例の会議が行われていた。 朝礼のような、簡単な報告と連絡だけのものではない。月に一度、職員全員で行う会議で、行事進行や学内での問題等、その内容は多岐に渡る。 それぞれが簡単な報告を終えた後、おもむろに、発言を求めた教師がいた。赤岩だ。 「本日、生徒会に、このような手紙が届いたそうです」 取り出したのは、一通の封書。白い封筒のあて名書きには、決してうまいとは言えない字で、『生徒会ならびに教職員諸君へ』とある。 「中を見てもらえばわかりますが、これは、過日の暴行事件における犯人からのメッセージらしいのです」 「なんですって?」 初老の女性教師が封書を手に取る。中から出てきた便箋には、教師たちをあざける言葉が並んでいた。 いわく、生徒から不祥事を出せないんだろう。いわく、そんな発想だから生徒に舐められるのだ。いわく、バカな教師に教わるこっちの身にもなれ。 さんざんな言葉の羅列が続き、末尾には、『お前たちが学習できるよう、もっと事件を起こしてやる。ありがたいと思え』とあった。 最初に読んだ女性教師は、隣に座る教師に渡す。順々に手紙が巡る中、赤岩は言葉を続けた。 「明らかに、この事件の犯人はつけあがっています。このまま放置すれば、事件はエスカレートすることが目に見えている。校長、やはり、警察に通報すべきではないでしょうか」 「だが……」 校長は浮かない顔だ。彼としては、なんとしても警察を呼びたくないのだろう。 だが、赤岩は引かない。 「校長、迷っている暇はありません。今のところ被害者は大きな怪我をせず済んでいますが、今後はどうなるかわからない。エスカレートすれば、重症、下手をすれば誰かが死ぬかもしれないんですよ」 「いや、さすがにそこまでエスカレートすることは、そうそうないだろう? 今までだって、黒木先生たちには悪いが、たいした怪我もなく済んでいるじゃないか」 「甘いですよ、校長。犯人は、被害者がどうなるか、ということを考慮しているように思えません。実際、白井先生も黒木先生も、何かで頭を殴られている。当たり所が悪ければ、最悪の事態だって考えられます」 「それはそうだが、しかし、子供のいたずらに警察を呼ぶというのは……」 「これのどこが子供のいたずらですか! すでに怪我人も出ているんですよ! 立派な犯罪行為です!」 「まあまあ、赤岩先生。落ち着いて下さい。私は大丈夫だったんですから」 白井がなだめる。赤岩が反論を封じられたタイミングで、黒木が口を挟んだ。 「赤岩先生。この手紙、パソコンで書いたものでなく、手書きです。生徒の字を見比べれば、ある程度は犯人を絞り込めるのでは?」 「ああ、なるほど。それなら……」 「ちょうど、聖書学の中間試験、底上げをどうしようかと考えていたところです。来週にでも全生徒にノートを提出させて、それと見比べれば、完全ではないにしろ、犯人がわかるはずです」 聖書学の授業は、特に三年生を中心に、あまり試験の成績はよくない。この学校独自のものだが、やはり受験に関係のない科目というのは大きいようで、生徒側もあまり真剣に勉強しようとしない。 黒木も、いつもは試験を簡単にすることで、なんとか合格点を取らせている。だが、それでも足りない時のため、ノートを提出させたこともある。 今回、それをやれば、ノートの字と手紙の字を照合できる。そうすれば、おのずと犯人は絞られるだろう。一石二鳥というわけだ。 黒木の提案に乗っかるように、校長も水を向ける。 「では、それまで保留ということでどうだろうか。赤岩先生」 「――仕方ありませんね。それまでは、事件が再発しないよう、教員で見回りをしてみますか?」 「うむ、そのくらいの自衛は必要かもしれないな。具体的なところを相談してもらえるか」 「はい、わかりました」 「校長。手紙はどうしますか?」 「私が預かりましょうか」 赤岩が自ら名乗りをあげる。校長はうなずき、 「まあ、赤岩先生なら大丈夫でしょう」 「ええ。私が、責任をもってお預かりします」 その後、主に男性教師が中心となって、二人組で学内の見回りを行うこと、その組み合わせや時間などを簡単に決め、会議は終了した。 ◆ その頃、陽だまりの丘。 「うまくいくと思う?」 寝転がり、猫を抱きあげながら、有沢はかたわらにたたずむ笹森に問いかける。 「わからない。でも、試す価値はあったんじゃないかな」 「ま、そうでなきゃやらないわよ」 「うにゃあ」 猫をおろす。ごろんと転がった猫は、ぺろぺろ毛並みを揃えている。 「せっかく仕掛けたんだもの、うまくいって貰わなきゃね」 体を起こす。笹森と目が合った。 「……笹森。ひとつ聞いてもいい?」 「何? あらたまって」 「あんた、やけにあたしにこだわったわね。なんで、あたしなわけ?」 「有沢さんが特に不器用に見えたから、かな?」 「陽だまりの丘に連れてきたのは、それで理解できなくもないけど。事件の捜査までは関係ないでしょ」 沈黙が落ちる。笹森は自然な表情のまま、猫たちを眺めていた。 「さあ、どうしてかな。自分でも、よくわからないかも」 「あたしは真面目に聞いてるのよ」 「うん、わかってる」 「じゃあ、言い換えるわ。これからやろうとしていることは、壮絶なお節介よ。そこまでしなくてもいいんじゃないか、ってくらいのね。それでも、あたしはやるわ。だけど、あんたにはそれくらいの覚悟がある?」 「……」 つと、視線を揺らした笹森。答えを探しているようにも見えた。 「この事件。有沢さんの推理通りなら、根幹にあるのは、他人を信じ切れない気持ちだ。大切なのに、愛しいのに、信じられないからこそ起きる。苦しんでいる人がいるんだ」 「それがお節介を焼く理由?」 「ふふ」 先に立ちあがった笹森は、有沢に向かって手を伸ばす。 「知らなかった? 僕はお節介なんだ」 「……知ってるわよ」 有沢は、その手を取った。 そんな様を、太った猫が離れて見ていた。 |