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聖月学院の生徒会室。今、そこには神山だけがいた。 校庭からは朝練の声が聞こえる。生徒たちが登校してくるにはまだ早い時間。校内は静かで、仕事もはかどる時間だが、神山の手は遅い。 例の事件は一応の解決をみた。騒がしい数日が過ぎた今、どことなく脱力してしまうのは、致し方ないことなのだろう。 なんとなく気乗りしないままに書類を整理していると、ばたばた、と廊下を走る音が聞こえてきた。 「……廊下は走らないと、あれほど注意しても意味がないのだな」 目の前の仕事に集中できないこともあって、注意しようかと腰をあげる。走る音はどんどん近付き、 「神山ァ!!」 「ん?」 ズバン、と壊れそうな音をたて、扉が開く。飛び込んできたのは有沢だった。 「有沢。廊下は走るな」 「そ、それ、どころじゃ……」 荒い息。顔は汗にまみれ、緊張で固まっている。 「――。何があった」 尋常ではない様子に、自然、神山の表情も険しくなる。 「さ、笹森が、失踪したの」 「失踪? 笹森君が?」 けげんな様子の神山。無理もない。彼は、笹森家で起きた出来事、さらには彼の家庭事情など知らないのだ。 「それは本当なのか? 家には?」 「いっぺん帰ってきた。でも、たぶん、もう帰ってこないと思う」 「最後に帰ったのは?」 「昨日の夕方。あれから、帰ってきてないわ」 「警察には」 「それは、まだ」 「なら、先に警察へ連絡すべきだろう」 「でも、それじゃ遅い気がするのよ」 いくらか冷静になったのだろう。真剣な表情は変わらないが、どこか余裕が出てきたらしかった。 「説明しにくいんだけど、笹森にとって、すごくショックなことがあったのよ。放っておいたら、最悪……」 先の言葉を飲み込む。まさか、と神山は口中で呟いた。 「そこまで追いつめられるようなことなのか?」 「少なくとも、あたしはそう考えている」 「そうだ、そもそも親御さんは?」 「あいつの親は、あてにならないわ」 「あてにならないとは言っても、両親だろう。息子が本当に失踪したのであれば、動かないはずもない」 「知ってるのよ、あの両親は。なのに、動かないの」 「何?」 「あんたや、あたしたちの常識外なのよ。あの二人は」 息子が帰ってこない。なのに、探しもしない。 そんな親がいるのだろうか。神山の常識からすれば、それは考えられないことだ。 だが、と頭を振り、概念を振り払う。 有沢が嘘を言っているとも思えない。そもそも、そんなことで嘘をついても仕方ないだろう。だからこそ、彼女は、節を曲げてでも神山に助力を頼んだに違いないのだから。 「わかった。手助けしよう。だが、どうすればいいんだ?」 「うちのバカ親には助けを頼んであるわ。今、全力で探している。だけど、手がかりが何もなさすぎて、どこを探せばいいのかわからないの。神山、あんた、何か心当たりはない?」 「心当たり、といってもな」 神山は、笹森と特別に親しくしているわけではない。そもそも、彼はまだ転校して一ヶ月と経っていないのだ。それほど親しい人間は、この学校にはいないのではないか。 「そうだ、携帯とかは? 電話に出なくても、GPSで捜索できるんじゃないのか」 「あいつ、携帯電話を持っていないそうよ」 「そうだったのか」 いまどき珍しい、などと感想を述べている場合でもない。 「以前の学校は? おそらく、そっちの方が知り合いが多いだろう」 「朝にならなきゃ誰も登校してこないわ。夜中にそこまで調べるのも難しくて、まだ当たれていないの」 「……。すまない、正直、お手上げだ。僕には心当たりがない。だが、協力はしよう。登校してきた生徒から順次、情報を集める」 「じゃ、こっちはお願い」 「君はどうするんだ」 「あたしは他の心当たりを探す」 「それなら連絡できるようにしておいた方がいいだろう」 神山はポケットから携帯電話を取り出した。それを、有沢に手渡す。 「どうせ君は携帯を持っていないんだろう。持っていけ。使い方くらいはわかるな?」 「ん、ありがと。助かるわ」 そのままの勢いで生徒会室から飛び出した有沢は、走る音と共に遠ざかっていった。 「ありがとう、ね」 少し前ならば、彼女がそんな言葉を使う姿を想像することはできなかった。だが、今の彼女は、自然と口をついて出る。 その変化は、間違いなく、笹森明人がもたらしたものだろう。 「笹森君か」 神山は、彼の心に潜む闇など知らない。彼の家庭事情も、過去も知らない。 だが、たとえどれほど無理をしていたのだとしても、自分が一年もかけて説得できなかった有沢を説得したのだ。彼には、それだけの素質と、そして、心の優しさがある。 そんな優しさを持つ人間が、悪いとは思えなかった。 「自殺なんて馬鹿らしい真似、させるわけにはいかないな」 ひとりごちた神山は、あわただしく生徒会室を後にした。 動き出すなら、早い方がいい。 ◆ 「どこに、行ったって、いうのよ!!」 家には帰ってこない。学校には来てなかった。喫茶店にも来ていない。陽だまりの丘にも行ってみたが、笹森はおろか、猫の一匹さえいなかった。 借り受けた携帯電話で、父親に連絡を取ったが、前の学校にも姿を見せていないらしい。 どこにも姿が見えない。たった一晩のこと、それほど心配しなければいけないことではない。だが、姿を消した時の状況を思えば、走りださずにはいられなかった。 「はぁ、はぁ……」 体力が尽き、街角で足を止める。あちこちを駆けずり回ったのに、どこにもいない。どうすればいいのかも分からない。 足がかりがない。こんな時、相談に乗ってくれる彼は――どこにいるのか。 「どうすればいいのよ」 力が抜け、路上に座り込んだ。足が動かない。 「どこにいるのよ、笹森」 呼び声に応えてくれる声は、ない。 「うにゃあ」 鳴き声に、有沢は顔をあげた。白猫が一匹、有沢のことを見ていた。 「何よ。今は構ってあげている余裕はないわよ」 「にゃあ」 尻尾を振った猫は、空を見上げる。 「うにゃあああああああああああああ!!」 「いっ!?」 大声で叫んだ猫。と、どこからともなく、猫たちが集まって来た。なあなあ、うにゃうにゃ、と好き勝手に何事かを鳴き交わしている。 「な、何!? 何これ、どういうこと!?」 「うにゃ」 のそっ、と猫たちの群れから、特大の猫が姿を現す。 その猫は、有沢にも見おぼえがあった。 「あ、あんた、もしかして、大将?」 陽だまりの丘でしか見たことがないが、これほど大きな猫もそうそういない。ふてぶてしい態度、大きな体、どう見ても、丘の大将だ。 「どうして、こんなところに?」 「にゃあ」 わかっている、と言わんばかりの態度で尾を振った大将は、後ろを向く。 「なーお」 「え? 何?」 ゆっくり歩き出す大将。猫たちは左右に分かれ、道を作る。 「まさか、付いてこいっていうの?」 「にゃお」 有沢は、猫の言葉などわからない。だが、彼の言いたいことは、なんとなくわかる気がした。 「……。どうせ、当てなんてないものね」 立ち上がる。確認し、大将も歩き出した。 「お願い、大将。笹森を、見つけて」 「にゃう」 任せろ、と言っている気がした。 今は、それだけでも、頼もしかった。 |