窓の向こうで、一枚の葉っぱが揺れていた。
 まだ春先だというのに、その樹には一枚の葉しか残っていない。もう枯れかけているのかもしれなかった。
 と、その樹木に一匹の猫が飛び乗った。ゆらゆらと揺れる枝。やがて、その葉はひらりと枝から落ちてしまった。
「最後の一葉、か」
「なぁにを演技でもないこと言ってんのバカ」
 ノックもせず、病室にどやどやと少年少女が入ってきた。ベッドの上で、笹森は苦笑する。
「あのね、有沢さん。ここは病室なんだ」
「で?」
「……。なんでもない」
 剣幕に負けた、わけではないけれど。
 有沢は花を手にしていた。派手な外見からでは、花のあでやかさは似合わない。笹森が見ていると、視線に気付いたのか、
「悪かったわね、似合わなくて」
「そんなこと、言っていないよ」
「思ったでしょ」
「あ、神山君と吉村君もありがとう」
「あんた。否定しなさい」
「有沢さん、花瓶はそこにあるよ」
「あんた、いつか絶対に泣かすわ」
 花瓶に飾り、有沢は傲然と見下ろす。
 笹森は、包帯まみれではあったが、元気な様子だった。聞いた話によると、肋骨にヒビがあったり、頭に傷があったそうだが、致命傷となりうる傷はなかったそうだ。あれだけの高さから落下した割には、奇跡的と言えるだろう。
「んで。調子は?」
「おかげさまで」
「ようまあそんな口がきけたもんねえ? ああ?」
「有沢。ここは病室で、彼は入院患者だぞ」
「それが何よ。自業自得でしょ。自分で飛び降りたようなもんじゃない。さんざん人に心配と迷惑をかけといて、今さら何を同情しろって言うわけ?」
「そうとうフラストレーションがたまっているようだな」
「そりゃあもう。このバカに振り回されてばっかりだからねえ、あたしは」
 ジロリとにらむ。だが、笹森にはあまりこたえていないらしい。
「まあ、無事でよかったんじゃないの。これ、お土産」
 吉村は、ベッド脇のサイドボードに、紙袋を置いた。
「図書室の小説。おすすめばかりだよ。趣味がわからないから、雑多だけど」
「ん、ありがとう。ちょうど暇だったんだ」
「あんた、本とか読むわけ?」
 ちら、と有沢を見た笹森。
「昔は、あまり読まなかったよ」
「そうでしょうね」
「だけど、明人の本を読んでいるうちに、なんとなく興味が沸いてきた。明人が好んだ世界に、さ」
「――では、本当に君は弟になりきって生活していたわけか」
 弟になりきっての生活。自分を殺し続ける生活。
 それは、いかほどのものだろうか。
「それで、その……、母親、は?」
「まだお見舞いには来てない」
 そっか、と有沢は口の中だけでつぶやいた。
 あの時、彼女に叩きつけた言葉は、有沢の本心だ。だが、それだけでは、人の心を動かすには至らなかったらしい。
「でも、父さんが見舞いに来てくれた。それで、母さんの言葉を伝えてくれたんだ」
「なんて?」
「ごめん、って」
「それだけ?」
「何年も、息子の心を殺し続けたんだもの。そうそう顔は見せられないんじゃない?」
 吉村のフォローに、有沢は納得したわけでもない。
 だが、彼女の言葉が、ほんの少しでも何かを変えられたなら――。
「そうだ、僕、有沢さんに言わなきゃいけないことがあったんだ」
「な、なによ、改まって」
 ベッドの上で、可能な限り居住まいを正し、笹森は有沢を見る。
「有沢さん。ありがとう」
「は、はあ?」
 有沢は急に顔を赤らめ、
「あ、あんたを探していたのは、あたしだけじゃないでしょ? 神山だって吉村だって協力してくれたわよ」
「でも、僕を救う言葉を考えてくれたのは、有沢さんだけだったから」
「ほう」
「へえ」
 横からの視線が痛い。
「い、意味深な言い方しないで! あたしは思ったことしか言わないわよ!」
「それはそうだろう。ところで笹森君。少し聞きたいのだが」
「何かな」
「君は、有沢になんと言われたんだ?」
「ッ!? か、神山! 余計なことを聞くんじゃない!!」
「なぜだ。僕はこれでも笹森君の捜索に協力をしていたんだ。当時の状況を詳しく知る権利があると思うが」
「テキトーな理屈をこねるな! あんたが知りたいだけでしょうが!」
「そういう見方もあるな。聖月一番の不良少女・有沢光子が、精神的に参っていた笹森君を救った言葉。生徒会長としても、個人としても、非常に興味がある」
「さ、笹森。あんた、教える必要なんかないからね」
「んー?」
 笹森は窓の外に目を向け、
「『誰が必要としなくても、あたしにあんたが必要なのよ』って。そう言われたよ」
「〜〜〜〜!!」
 あの時は、感情に任せて言っていた。だが、後から改めて耳にすると、これはかなり恥ずかしい。
「ほほう。まるきり告白のような台詞だな」
「そうだね」
「こ、告白ッ!? そ、そんなつもりじゃ……」
「そういうつもりはないの?」
 じっ、と見上げる笹森。チワワのようというか、とかく人の心を揺さぶる、弱者的視線。
 うっ、と口の中でうめいた有沢は、そっぽを向き、
「あ、あんた、後で覚えてなさいよ」
「僕、記憶力が悪くて」
「何年も前のことをずるずる引きずってるバカが言うことか!!」
 そんなやり取りを、はたから見ていた吉村は、くすくすと笑う。
「ほんと、仲がいいね」
「うるさい!!」
「あのー。病院ではお静かにー」
 間延びした看護婦の声が止めなければ、有沢光子は血管が切れていたかもしれない。

 ◆

 陽だまりの丘。
 誰が最初にそう呼んだのか、もう分かる者もいない。ただ、ここは、そう呼ばれるにふさわしい不思議な場所だった。
 暑くはない、寒くもない。さわやかな風が吹き抜け、心地いい場所。そして、猫のたまり場でもある。
 その中心に、大きな猫が一匹。大将と呼ばれている野良猫は、体を丸めて眠っていた。
 と、その耳がぴくりと動く。目を開き、顔を持ち上げた猫は、空を見上げた。
「うにゃあ。にゃう」
 尻尾をひとふり。
 誰かと会話するように鳴いた猫は、再び丸くなる。
 一陣の風が吹き抜け、暖かな陽気を運んでいった。



 
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