聖書学教師の黒木は、チャペルに向かっていた。
 小脇に抱えた大量の書類。これを、自室で処理するのが彼の日課だ。
 黒木は、仕事量が格段に多いこと、重要性も高いことから、チャペルに狭いながらも個室を与えられている。
 四畳間ほどの自習室に、少し手を加えただけな場所。だが、学校という特殊な場所において、プライベートに近いスペースは、かなり希少なものだ。
「はあ……、嫌になるな」
 業務量に嫌気がさす。だが、そうも言っていられない。担任を持っている教師は、また別の苦労を持っていることだろう。
「やれやれ」
 やるしかないのが仕事というもの。黒木もまた、ため息まじりにチャペルに入る。
 そんな姿を、少し離れたところから見ている人物がいた。
「……」
 その瞳には、感情が浮かんでいない。自ら心を殺しているようにも見えた。
 そして、その手には、人を殺しうる凶器が握られていた。

 ◆

 放課後になっても、有沢光子は動かなかった。
 丘に行けば笹森がいるかもしれない。合わせる顔がない、とまでは言わないが、何を話していいのかわからない。
 結果、有沢は時計とにらめっこするしかないのだ。
「……ちっ」
 舌打ちしたところで暇つぶしにもならない。
 時計の針が5の数字をまわる頃、チャイムが鳴った。放送を告げる音だ。
「は?」
 この時間に放送が入るのは珍しい。ついスピーカーに視線が向いてしまう。
『学内に残っている生徒は、至急、職員室まできてください。繰り返します、現在、学内に残っている生徒は、至急、職員室まできてください』
 そっけない放送は、たったそれだけで終わってしまった。詳しい説明も何もあったものではない、職員室までこい、の一点のみ。
「何か、あったわけ?」
 職員室まで行くのはおっくうだ。それに、何もなくとも、有沢は教師勢から目をつけられている。余計な疑いを招くよりは、帰ったふりをしている方が安全かもしれない。
 そう思いつつ、有沢は席を立つ。鞄を手に廊下へ、そのまま階段まで向かったところで、
「有沢。お前も残っていたのか」
「げ、赤岩」
 担任でもある体育教師が降りてくるところだった。さっきの放送もこの男がしていたようだし、放送室から職員室に戻るところなのだろう、厄介なタイミングで出会ったものだ。
「まさか逃げようってんじゃないだろうな?」
「いいじゃん、別に。もう下校時間だし」
「どうせすぐに帰るわけでもないんだろう、ちょっと寄ってけ」
「ちょ、引っ張んな!」
 反抗するも、体を鍛えている成人男性とでは、勝負にならない。なかば引きずられるようにして、有沢は職員室まで連行される。
 広い部屋には、あまり教師の姿はなかった。今日が金曜日であることも関係しているのだろうか。
 その、隅の方。赤岩の席に、別の教師が座っていた。
「……? 黒木?」
 初老の教師は、なぜか頭に包帯を巻いていた。それに、どこか疲れたような、くたびれた雰囲気がある。
 近くには、保険医の白井もいた。小柄な女性教師だ。
「何、本当になんかあったわけ?」
「盗難事件だ」
「はぁ!?」
「詳しいことは全員が揃ってから話をする」
 それ以上、赤岩は説明をするつもりがないらしい。白井は少したしなめるような視線を送っていたが。
 やがて、職員室に何人かの生徒が集まってきた。
 生徒会長の神山。図書室で会った、委員らしい生徒。そして、ごく当たり前のようにそこにいる、ある意味で最も会いたくなかった顔。
「笹森、あんたどこにでも出てくんのね」
「そうかな?」
 にこにこ、と。職員室に呼び出された割に、相変わらず柔和な表情を崩さない。そのあたり、やはりこの少年は普通ではないのかもしれない。
「おまけにバ会長まで。なんで残ってんのさ」
「僕は君と違って生徒会の仕事があるんだ。君と違ってね」
「二回も言わないでも聞こえてるっての」
 なんでこう、気に入らない顔ばかりが集まるのだろう。今日はとことん運がないらしいと感じる有沢。
「こんなものか」
 赤岩は四人の顔を見渡し、
「それじゃあ、話を始めるぞ。もっとも、本当はお前たちに話すべきことじゃないし、そんな段階にはないと思う。だが、協力させる以上、きちんと話すべきというのはオレの考え方だ。だから、校長たちには許可を取っていないが、話をすることにする」
「赤岩先生、いくらなんでもそれは……」
「白井先生。責任はオレが取ります。痛くもない腹を探られる生徒もいるんだ、何も知らないってのは酷でしょう」
「――先生がそこまでおっしゃるのなら」
 白井が引き、代わりに赤岩が口を開く。
「実は、盗難事件があった。強盗と言ってもいいかもしれん」
「強盗?」
 驚きより戸惑いが勝った。
 それはそうだ、身近、しかもおとなしい気風の学内で、よりにもよって強盗とは。
「黒木先生の財布が盗まれたそうだ。詳しい経緯は、さすがに話せん。だが、起きたのはついさっきのはずだ、犯人はまだ黒木先生の財布を持っているかもしれん。だから、お前たちの荷物検査をする。いいな?」
 反対する者はいなかった。
 有沢でさえ、不満げながら、薄っぺらい鞄を突き出す。
「痛くもない腹、って言った意味がようやくわかったわ。あたしらの中に犯人がいるって思っているのね?」
「断定しているわけじゃない。だが、そういう可能性もあると考えなければならん。学校の中に、部外者はそうそう入れないからな」
「当然ね。だったら、さっさと調べてくれる? あらぬ疑いなんてかけられたくないものね」
「おう」
 赤岩は鞄を受け取り、一応は女生徒のものだからか、白井に渡す。そして、赤岩は他の三人が持つ鞄をチェックし始めた。
 まず、有沢の鞄。当然ながら何も出ない、というかそもそも何も入っていない。何のために鞄を持ち歩いているのか疑われるレベル。
 続き、笹森、神山の鞄も調べるが、こちらは完全なる優等生らしい中身。教科書や筆記用具、せいぜい文庫本くらいしか出てこなかった。当然だが、黒木の財布など、どこにも見当たらなかった。
 そして最後に、図書委員の鞄を調べることになった。
「……?」
 その時になって、有沢は不自然さに気付いた。図書委員の男子は、自分の鞄を見ようともしていない。
 普通、自分の鞄をいじられるのだから、気になるんじゃなかろうか……。頭の片隅でそんなことを考えた瞬間、
「吉村。これは何だ」
 鞄から出てきたのは、折りたたみバタフライナイフだった。
「へえ」
 見た目にはおとなしそうな生徒だが、街中の不良が持っていそうなナイフを持ち歩いていたとは。有沢にとっては、少しだけ意外だった。
 吉村というのだろう、図書委員は何も答えない。赤岩のことを見ようともしなかった。あるいは、見られなかったのかもしれない。
「これは凶器だぞ、吉村。使い方によっては人を傷つけられるものだ、わかっているのか」
「……ええ」
「どうしてこんなものを持ち歩いていたんだ」
「父から貰ったんです」
「お父さんから――?」
 赤岩は眉をひそめ、
「……一度、家庭訪問の必要がありそうだな。とりあえず、これを返すわけにはいかない。わかるな、吉村」
「はい」
 短く、小さな答え。吉村はそれきり、口を閉ざした。
「ほら、財布は出てこなかったんだから、あたしらは開放してくんない?」
「ん? うむ、まあ、いいだろう」
 赤岩の許可が出た途端、有沢は自分の鞄をひっつかみ、さっさと職員室から出て行った。
「勝手だな」
 神山の言葉が、静かな職員室に響いた。



 
戻る