漆黒バイソンの肉をたいらげたサフィは、さて、と立ち上がる。
「じゃあ、そろそろ帰還しますよ」
「えっ? もう?」
「中層の探索は初めてでしょうが。無理をして死んだら元も子もない。というか、まっさきに死ぬのはあんただ」
「えー。まあそうかもしれないけどさー。ディーちゃんはどう思う?」
「……帰還した方がいいと思います。なんだか嫌な予感がするので」
「嫌な予感?」
 あの時。偶然かもしれないが、アレッサと出会った後にはとんでもない目に逢った。
 慣れた冒険者ほどジンクスというものを大切にする。それは言わば、経験がなせる直感。その反応速度が良いほどに、より適切な手を打つことが可能になっていく。
「わたしはもう少し探索を続けようと思うけど」
「あっ、その……。えっと、エメルさんも帰った方がいい、かと……。無理しても、この洞窟では実入りが少ないと、思います」
「そうかもしれないし、そうでないかもしれない。冒険者は負の”かもしれない”にはなびかないものよ」
「あの……。エメルさんは、なんで冒険をしているんですか?」
 率直な質問だった。エメルは首をかしげ、
「そりゃ、美味しいものを食べたいからよ。見たことのないものを食べ、味わう。料理人にとってこれ以上の楽しみはないわ」
「……そう、ですか。でも、バジリスクは危険です。余程でもない限り、ソロじゃ無理な相手ですから」
「あら、バジリスクなんて無茶はしないわよ」
「そうです、か?」
「そうよ、そんな危険な真似は誰もしないでしょ」
「でも、それなら……。この先に向かう必要、ありませんよね?」
 エメルは答えに詰まった。アディーは続けて、
「あ、あの、アレッサさんが言ってましたよね。この先にバジリスクがいるって。いくらバジリスクが暗いところを好むからといって、近くに獲物がいるのに大人しくしてくれるとはとても思えません。巣に近づけば襲ってくるに決まっています」
「それは、その、バジリスクを料理してみたかったからで」
「なんとなくですけど、違う気がします。ですよね、サフィさん?」
「……まあ、嘘ですね」
 アディーでは言えないことを、サフィはハッキリと言える。
「本当にバジリスクを食べたいだけなら、もう少し部隊を用意しようとします。ソロで危険なのは事実なんですから。なにも、無理に今ここで倒さずとも、仲間が来てからだって遅くないはずです。巣なんですからね」
「それは……」
「あなたは食欲とか、そういう享楽的な理由でバジリスクを狩りたいんじゃありません。何か目的があり、その目的を遂行するためにちょうどいい相手としてバジリスクを選んだだけでは? そして、それだけの目的を持ちながらソロで中層まで来ている。それほどの力量があるわけじゃないのに」
「……!!」
「アレッサ・マウルの言う通りですね。それだけの剣があれば、たいていの敵は両断できるでしょう。でも、それは獲物を傷つける倒しかた。料理人の戦いかたではありません」
 もはや、エメルは何も答えなかった。サフィは構わず、
「必死すぎるんですよ。ソロで中層に入れるほどの実力さえないでしょう? その爆進剣があれば瞬間は強くなれますが、戦いとはそういう要素だけの話じゃない。つまりあなたは、戦いそのものや報酬が目的で動いているのではなく、何かもっと……。差し迫った問題を解決する手法として、バジリスクがちょうどいいと思っただけでは?」
「そんなこと……」
 ありませんとは、言えなかった。
 エメルはふーっ、と息を吐き、
「仕方ないのよ。そうでもしないと、どうにもならない問題なの」
「どうにもならない問題とは?」
「わたし、前のキャラバンを首になったの。窃盗の疑いをかけられてね」
「……」
 普通に窃盗も行うサフィは何も言うことがない。
 それをどう解釈したのか、エメルは構わず続ける。
「うちのキャラバンは採取がメインでね。魔物を倒したり深層にもぐったりするようなキャラバンではなかったけど、居心地はよかったの。でも、ある時……。採取に絶対必要な道具がなくなってね。犯人捜しが始まって、わたしが犯人とされた」
「その様子だと、濡れ衣のようですね」
「そうよ。でも、リーダーの決定は覆らない。覆す方法はひとつだけ……。悪いことをしてなお必要な人物であると、キャラバンに認めさせること」
「そのために成果が欲しい、というわけですか」
「そういうこと。あなたたちがバジリスク退治を手伝ってくれるなら喜ぶけど、それだけ。わたしは一人でもやるわ」
「死にますよ」
「死ぬのが怖くて冒険なんてやっていられないでしょう?」
「死ぬことを恐れないのと、死んでもいいやと投げやりに戦うのでは話が違います」
「……忠告には感謝するわ」
 構わず、エメルは立ち上がった。その瞳は、まっすぐ洞窟の奥を見据えている。
「アディー、ルベル、止めなくていいんですか。死にますよ」
「それは……」
 アディーが答えようとした、その時。ぐらりと洞窟全体が揺れた。
「え? じ、地震!?」
「いや、そういう感じじゃない……」
 ぐらぐらと揺れる洞窟。その周期は一定で、まるで誰かが暴れているようなーー。
「っ……。全員伏せて!!」
 アディーが叫ぶ。次の瞬間、洞窟の壁が吹き飛んだ。
「ッ!?」
「なっ!?」
 岩壁が吹き飛び、転がり、岩棚を砕いていく。その奥から現れたのは、鱗に覆われた巨人だ。
「な、なにあれ? 魔物?」
「魔物、でしょうけど」
 その目を見た瞬間、アディーは理解した。

 ーー全員。殺される。

☆   ☆   ☆   ☆


 アレッサ・マウルはくすりと笑う。洞窟の震えから、件の魔物が来ていることはわかっていた。
「フンババ。伝説級だ。かつての”勇者”が6人がかりで、封印することがやっとだった相手。”秘宝”の守護獣にも引けを取らないとまで言われている。どうするかなぁ、サフィ・ステラ? それに加えて……。アディー・ヒーリ、か」
 くすくすと笑う声が止められない。
「あはっ、まさかあの二人がここにいるなんて、超ラッキー? 生き残るかなぁ、死んじゃうかなぁ。生き残るといいなぁ」
 戦って、生きて、永らえて。
「そうやって生き残った子でないと、美味しくないもんね」
 つぶやいて、ぺろりと口を舐めた。