心臓が叫んでる。逃げろ逃げろと。いつものように、暗闇の中へと。
「うるさい……」
 敵うはずがないと。死んでしまうぞと。
 冒険者として最も必要な資質は死なないことだ。生き延びることを最優先にできることだ。
 やまぬ鼓動が耳の奥で叫び続けてる。 
「ーーうるさいッ!!」
 あんまり叫ぶとひねり潰すぞ!!
 鳴り響く心臓を叱咤し、拳を握る。
「砕けろ!!」
 引き絞った拳。一息に近づき、最初から全力の一撃を叩き込む。
 だが。
「ッ!!」
 硬い。想像以上に。
 アディーが闇の魔力を込めてなお、鱗が砕けない。剥がれることもない。一枚一枚が鎧のように、魔獣の体を守っている。
「ッ!?」
 打撃をしてすぐに引いた。フンババの拳がかすめ、その風圧だけでよろめいてしまう。
「冗談じゃ、ないッ……!?」
 あんな打撃、まともに食らったら破裂する!
 アディーは武闘家。決して防御力に優れているわけじゃない。というか、防御力に優れたナイトであろうとも、あんな攻撃を受けてまともでいられるわけがない!
「くっ!!」
 ぶんぶんと拳を振り回すフンババ。その隙をうかがうが、当たれば即死の雨をくぐって攻撃しに行く勇気が湧かない。
 かろうじて救いなのは、フンババの速度はアディーのそれより僅かに遅いことだ。首の皮1枚だが、なんとか攻撃をかわすことはできる。
 初手の奇襲ほどの速度を出せれば、当てることは不可能じゃないだろう。だが、あの防御力がーー。
 意識をわずかにそらした瞬間、
「ディーちゃん!!」
「ッ!!」
 フンババは大きく口を開き、炎を吐いた。熱波に巻かれたアディーは、
「痛っ……!!」
 火傷を負いながらもゴロゴロと転がって火を消す。なんとかルベルのもとにまで引くことに成功した。
「ディーちゃん、《アイシクル》!!」
 本来なら相手を凍結させる魔法だ。だが、魔法の威力がないルベルが使えば、ちょうど火傷冷却アイシングに使える。
「……すみません、助かります」
「ディーちゃん、無茶だよ。逃げよう!」
「無理です。ルベルを抱えた状態じゃ逃げきれません」
 わずかに速度では上回る。だが、ほんのわずかだ。重い荷物を背負ってしまえば、当然追いつかれる。
 だが、ルベルは反対に暗い顔をしていた。
「じゃあ、アタシを置いて逃げて」
「っ!! で、できるわけないでしょう!」
「だって、ここに落ちてきたのもアタシのミスだよ! なんの役にも立たないのに! アタシ、ディーちゃんの足手まといになって、ディーちゃんが死ぬとこなんか見たくない!」
「黙れッ!!」
 アディーの声に、思わずルベルはびくっと震えた。
「っ……。すみません。でも、ルベルを置いて逃げるなんて、私にはできません」
「なんで……?」
「そんなの、理由を言わなければ分かりません?」
 握った拳は、いつの間にか震えていた。それでも前に出る。
「死んで欲しくないって、そう素直に思えるからです。そんなの、当たり前のことです!!」
 走れよこの野郎!!
 己の足を激励し、全速力でフンババに肉薄する。
「こいつは遅い……!」
 全力なら捉えられることはないのだ。なら、全力で走り続ければいい!
 懐に飛び込み、足先に魔力を集める。
「全力!! 高?脚ガオチーツイ!!」
 思いきり叩き込んだ蹴りの一撃。岩石生命体さえ打ち砕くその一撃だったが、
「ッ……!! これでも……!!」
 そこまでやっても、フンババの鱗は砕けなかった。
 一ヶ所でも鱗が砕ければ、そこに拳を突っ込むことができる。大きなダメージを与えられる急所を作ることができるのだ。
 だが、ただの一枚を剥ぐことができない。
 さすがのアディーでも、ダメージを与えられない敵を倒すことはできない。
 それは、アディーの弱点だった。スピードは一級品、闇の魔力を吸収した彼女の速力は未だかつて捉えられたことがない。
 だが、パワーは別・・・・・だ。
 もとより武闘家、素手が武器である彼女は、剣士が持つような名の知れた武器の類を持っていない。今まで魔力を込めた拳でダメージを与えられない相手がいなかったから、積極的に武器を探すことさえしていない。
 そのせいで、彼女自身も気づいていなかったがーー攻撃力に限りがあるのだ。
「くっ……!」
 転がる岩石を拾い、全力で投げつける。普通の魔物なら穴が空きかねない投石だが、
「ルゥァア!!」
 フンババの鱗に通じるはずもない。
 スピード特化のアディーに対し、防御力とパワーに全振りしたような相手。相性が悪すぎる。
「グルゥァ!!」
「ッ!!」
 フンババの突進。アディーはかわせたが、逃げられなかった。
 背後にルベルがいる。ここで逃げたら、突進に巻き込まれる!
「くっそぉ!!」
 ヤケクソ気味に、突進合わせで拳を放つ。フンババの角とアディーの拳が衝突し、
「いっ!?」
 そのままかち上げられた。
 ぶんと空中に放り投げられる。急激に遠ざかった地面が、いきなり迫ってきた。
「だっ……!!」
 魔力で自分を覆ってなければ死んでいた。
 それほどの高さまで放られている。だが、それでも直撃を受けるよりマシなのだ。
「なんとか、しないと……」
 頬を流血が伝う。だが、それを拭う余裕もない。
 必死に生き延びる術を探し続けたアディーの瞳は、地面に転がる欠片を見つける。
「あれは……」
 先ほど衝突した時、アディーが殴りつけたフンババの角。その欠片が地面に転がっていた。