エレメンタルバースの拠点から少し離れた裏通りに、古びた喫茶店がある。
 穴場のような場所で、大手のキャラバンが会合にも使ったりする場所だ。マスターの口は固く、それぞれの座席は板で仕切られているので機密性も高い。
 そんな店に、エメル・ソウの姿があった。
 テーブル席で静かにカップを傾けていると、向かいの席に一人の女性が座る。
「待たせたわね」
 美しい金髪の女性。ソフィアだった。
「何のつもりかしら。メモ書きで呼び出しなんて」
「ジンがいる場所では話せないもの」
 ソフィアはそっとエメルの手を握る。
「あたしだって、本当はあなたにやめて欲しくない」
「……」
「妖精のオカリナだって、本当のことは知っているわ。でも、そうと言うわけにはいかなかった」
「ジンの方が組織には必要だから、でしょう」
「……うん」
 でも、とソフィアは続ける。
「信じて、あたしだってあなたを守れるものなら守りたかった! でも、そういうわけにはいかなかったの!」
「別に、ソフィアは疑ってないわ。長い付き合いでしょ」
「エメル……」
「オカリナが壊れたって聞いた時、最初に思い当たったのはジンだわ。彼は粗暴だったし、ローテーションの倉庫整理もそうとう嫌がっていたものね。でも、ジンが壊したとなれば、成果主義のエレメンタルバースで彼を罰しないわけにはいかない」
「ええ。彼はうちでも最強の力を持っている。もしも彼に抜けられたら……」
「まあ、採取も滞るでしょうね。妖精のオカリナまで失われた状況で、ジンまで失うことは組織として出来なかった。いろんなしがらみがあって、一番責任をなすりつけやすかったのがわたしだった、ってだけの話」
「……」
「わたしの代わりはいくらでもいるものね。戦士としても中堅、料理人はキャラバンとして必須の技能じゃない。個人的な・・・・心情を除けば、正解に近い回答だったと思うわ」
「わかって、くれる?」
「答えが正解なのは理解しているの。あの時も、今もね」
 でも、とエメルは言う。
「理解していても、寂しかったわ。あなたに捨てられたようで」
「あたしは! エメルを捨てたりなんかーー!!」
「ふふっ。ごめんね、意地悪だったわ」
 エメルはソフィアの手を握り返す。
「わかっているわ。あなたが組織のことを何より大事にしているって。あれだけの人数の生活を預かっているんだもの、当然よね」
「エメル……」
「でもね。わたしも一人の女なの。わたしのことを何より大事にして欲しかったのよ」
 握っていた手を離し、エメルは席を立つ。
「じゃあね、ソフィア」
「エメル」
 ソフィアも席を立ち、エメルをぎゅっと抱き締める。エメルは愛しい人の頬にそっと口づけし、優しく押し返した。
「仕方ないわね。わたしが好きになった人は、大きな組織を一人で切り盛りする素敵な女性なの」
「……ごめん」
「本当に、かわいい子ね」
 そう言って笑うエメルの瞳は、静かに濡れていた。

☆   ☆   ☆   ☆


 店を出たエメルは、かつんと石畳を鳴らす。
 そんなエメルの前に、人の影が差した。顔を上げると、小さな少女がこちらを見ていた。
「もういいですか、なんて聞きませんよ」
「あら。傷心の女の子に優しくするつもり? ダメよ、そんなことされたら惚れちゃうわ」
「ボクに優しさを求めないでください。それより、行きますよ」
「行く? どこに?」
「キャラバンリーダーのところですが」
「えっ?」
 問答無用でエメルの手をつかみ、サフィはすたすたと歩き出す。
「大手では戦力にならなかったかもしれませんが、うちは幸いにも少人数の新参です。しかもリーダーは陰キャでまともに交渉ができません。ベテランで大手の経験もある人物がいると、助かる場面があるかと思います」
「……いいのかしら、そんな節操のないことで」
「小さいこと言わないでください。あなたは、あなたが望むままに生きればいいでしょう」
 サフィの言葉に、エメルはくすりと笑った。
「ふふっ、アウトローみたいな発言ね」
「ボクはバリバリのアウトローですからね」
「あら。アディーちゃんやルベルちゃんは日向者に見えたけど?」
「アディーさんが日向? 目が腐ってるんですか?」
「そういう意味ではないけれど」
 通りを抜け、大通りに出ると光が差し込む。
 その光に目を細めつつ、エメルは空を見上げた。
 まだ、空は青く見えていた。
「そうね。そういうのも、悪くないかもね」
 でも、とエメルは続ける。
「サフィちゃんは、なんでわたしにそこまで優しくしてくれるのかしら?」
「……」
 足を止めたサフィは、エメルをにらみつける。
「ボクはどうしようもないアウトローです。でも、そういうボクでも生きていけるのだと、手を引いてくれた人がいます。ボクだって、そういうのに憧れたりするんですよ」
「アディーちゃんのまねっこ?」
「言わなくていいんですよ、そういうことは」
「うふふ。そうね」
 ぎゅっ、とサフィを抱き締める。ほのかに子供の香りがする。
「知ってる? わたし、男も女も、年上も年下もいけちゃうのよ」
「やめてください、ロリコン」
「つれないのねぇ」
「ほら、行きますよ」
 ずるずるとエメルを引きずりながら歩くサフィ。
 そんな小さい少女に担がれながら、エメルはそっと目元を拭った。

☆   ☆   ☆   ☆


 アディーはルベルと二人、並んで通りを歩いている。
 すると、ルベルが口を開いた。
「久しぶりだね、二人でこうして歩くの」
「そうでしたっけ」
「うん。湖から帰ってきてからは初めて」
 足を止めたルベル。つられ、アディーも足を止める。
「ごめんね。あの時、足を引っ張っちゃって」
「そんなことありませんよ」
「ううん。そんなことある。アタシ、もっと強くならなくちゃいけない」
 顔を上げたルベル。その顔には、強い決意があった。
「アタシのミスでアタシが死ぬのは仕方ない。でも、ディーちゃんまで死んで欲しくない」
「私は、ルベルにこそ死んで欲しくないですけど」
「ディーちゃんはさ、優しいから、きっと誰かが死にかけてたら助けてくれちゃう。でも、ディーちゃんはいつだって自分の命を省みないの。それが嫌なの」
 ぎゅっ、とアディーの手を握り、ルベルは言う。
「今はこうして触れられる。でも、死んじゃったら話すことも、手を握ることもできないの。あなたは自分の命を自分で必要としてくれないから……。だから! アタシが力をつけて、ディーちゃんを守るの! アタシが、ディーちゃんの生きる理由になる!」
「……ルベル」
 くすりと笑い、アディーはそっと手を握り返す。
「そんなの。今さらですよ」
 と、その時、背中から声が聞こえてきた。振り返ると、なぜかエメルを担いだサフィがいた。
「大丈夫ですよ、ルベル。今の私は一人じゃありませんから」
「ディーちゃん……」
「だから、二人で強くなりましょう。誰よりも」
 そう言って、アディーは微笑んだ。
 そんな四人を、一陣の風が優しく撫でていくーー。