通りを歩くと、子供たちがはしゃぎ回っているのが目についた。
「きゃはは!」
「待て待てー!!」
 魔獣ごっこおにごっこでもしているのだろう。楽しそうに走り回る子供たちは、いつだって元気だ。
 そんな子供たちを横目に見つつ、アディーは目的の店まで辿り着く。
 看板もないその店にアディーが入ると、小柄な老婆がじろりとにらんできた。
「やけにガキンチョがやかましいと思ったら、あんたのせいかい? アディー」
「それは横暴だよ……」
 噛みつきキャット。界隈では少しばかり名の知れた薬師だ。アディーがルベルと出会うまで、唯一心を許していた相手でもある。
 アディーは店内を軽く見渡した。並んだ薬瓶、それらの隙間にちょこちょこと並んだ銀細工。このお店は、初めて来た時から何も変わっていない。
 まるで、時が止まっているかのように。
 用件を切り出さないアディーに業を煮やしたのか、老婆はくわえていたタバコの火を消した。
「冒険者はやめたかい、アディー」
「今日は違う用件。お婆ちゃん、アイテムの加工をお願いしたいんだけど」
「……たいがいあんたも人の話を聞かないね。あたしゃ薬師だよ。職人でも鑑定屋でもない」
「でも、これはキャットお婆ちゃんにしか加工できないと思ったから」
 アディーは店の中に入ると、テーブルの上に1枚の鱗を置いた。
 今は菖蒲色に輝く鱗だが、洞窟の中で見た時にはもっと緑がかっていた。時間を置くごとに変色する不思議な鱗は、あのフンババが落としたものだ。
 老婆は小さなレンズを取り出すと、鱗をまじまじと見つめる。
「あんた、これをどこで手に入れた?」
「ラテラル水脈の奥で出会った魔獣が落としたの」
「ラテラル水脈……。そうか、あそこは”深層”に繋がっているからね」
「やっぱり知っているんだ」
 キャットはじろりとアディーをにらむが、アディーもひるまない。
「ラテラル水脈が深層に繋がっているっていうのは、いまだ噂段階で確認した人は公的にいない。でも、お婆ちゃんは確信を持って言えるんだね」
「……」
「お婆ちゃんも、昔は冒険者だったんでしょ?」
 アディーの問いかけに、老婆は深くため息をついた。
「ちょっと待ってな」
 奥に引っ込んだかと思うと、何故かお茶の用意をして戻ってきた。
 湯呑みにお湯を注ぎ、葉っぱを浮かべる。
「薬湯だ。飲みな」
「……?」
 すすめられるまま湯呑みのお茶を口にする。熱さと同時に、
「に、にがっ!?」
 とんでもない苦味と渋味。人間が飲むものじゃない。
 すると老婆は、同じ葉を浮かべた薬湯を当たり前のようにすすった。
「あたしゃの思い出もね、この薬湯とおんなじ味がするんだよ」
「……」
「あたしゃが冒険に出たのは、もう40年も昔の話だ。その頃は今よりものを知らなくて、未知を知りたいと本気で思っていた」
「研究者だったの?」
「そうさ。異界の環境には今も当時も謎が多い。そのひとつでも解明してやりたいって、大手に混ぜてもらって異界にもぐったのさ。連中は凄腕で、深層にさえ辿り着いていた」
 老婆はじっと薬湯に浮かぶ葉を見つめる。
「ある時、魔獣に襲われた。とんでもない相手だった。深層に行けるほどのパーティがあっさりと壊滅した。あれ以来、あたしゃ怖くて異界には入っていない」
「でも……。言っては悪いけど、死ぬのが怖くて異界なんて行けないんじゃ」
「そういう問題じゃないんだよ。恐怖っていうのは器に入った茶のようなものさ。ある時までは平気で注げる。でも、溢れかえるようになって初めて気づく。これは触れてはいけないものだったんだ、と。そうなっちまったらもう遅い、器にはそれ以上は注げない」
「お婆ちゃんは、器がいっぱいになっちゃったの?」
「ああ。器の大きさは人それぞれさ、強いやつも弱いやつもいる。そういう意味じゃ、あたしゃ器が小さかったんだろうねぇ」
 けけけ、と老婆は笑う。
「あんたは立派だよ。対人能力はポンコツもいいとこだが、恐怖に打ち勝つことができている。でもね、それはあんたが本当の恐怖を知らないだけだ。死ぬってことを肌で感じて、それでもなお冒険に行けるなんてやつ……。そんなのは頭がイカれてるさ」
「それは」
「アディー。あんたは死ぬんじゃないよ。その前に冒険者はやめちまうんだ。人間、命あっての物種だよ」
 老婆は鱗を手に取る。
「こいつはフンババの鱗だね。あたしゃを襲った魔物じゃないけど、深層でも伝説クラスの魔獣だ。一度、あそこで封印されている姿を見たことがある」
「お婆ちゃんなら加工できる?」
「……あたしゃが職人をしていたのなんて、冒険が怖くなってからしばらくの間だけだよ。よく知っていたね」
「わかるよ。このお店にある銀細工、お婆ちゃんが作ったんでしょ」
 アディーは薬瓶の隙間に並ぶ銀細工を眺めながら、
「だって、どこの職人さんとも銘が違うものね。これだけの加工技術があるなら、もしかしてこの鱗も加工できるかな、って」
「論理が飛躍しているよ。あんたらしくもない。どうせ、他の職人には話しかけられなかったんだろう」
「……黙秘します」
「わからいでか」
 こほん、と仕切り直し、キャットは言う。
「こいつを加工する技法はある。確かに、これはそこらの職人に見せても加工できないだろうねぇ。盾に埋め込むくらいはできるかもしれないけど……。で、あんたはこれをどう加工して欲しい? ガントレットにでもしてやろうか?」
「それなんだけど……」
 アディーが要望を伝えると、老婆はからからと笑った。
「まったく、あんたはバカだよ。死なすには惜しいバカだ」
 そう言って、老婆はにやりと笑った。
「加工なんざ30年振りくらいだ。ちょいと時間かかる、それまで待ちな」
「うん。ありがとう、お婆ちゃん」
「礼を言うくらいなら、死なずにここまで顔出しな」
 憎まれ口を叩くけれど、それが彼女なりの優しさであるとわかる。
 だから、アディーはこの老婆が好きなのだった。
「じゃあ、よろしくね。お婆ちゃん」
「ああ、帰るならその前に、その薬湯を飲んでいきな」
「えっ。これ、とっても苦いんだけど……」
「いいから飲みな。あんたみたいな魔石喰いに効くかはわからんけど、闇の魔力をある程度は中和できる薬の葉だ。あんたは普段からアホみたいなことしているんだから、きちんと飲んでいけ」
「……はーい」
 薬湯を喉に流し込む。
 強烈な苦味に、思わず咳き込んだ。