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アディーが黒猫亭に戻る頃には、すっかり日も暮れていた。 おそるおそる扉を開くと、 「ディーちゃん!」 「っ?!」 突っ込んできた魔法使いを、がっしり受け止める武闘家。ふわりと香る美少女の匂いに思わずトロけ顔(別称は気持ち悪い顔)になるが、 「っと、ルベル? どうしたんですか」 「どうしたもこうしたも! ディーちゃんがなかなか帰ってこないから心配したんでしょーが!」 「あ、す、すみません」 そういえば買い出しに行くと黒猫亭を出てから、そのまま花の塔まで引っ張られていたんだった。サフィは足が早く、武闘家であるアディーもそれなりに健脚であったため、なんとか日帰りできたが……。本来、花の塔なら一泊は確定する距離だ。 「あ、その……。知り合いに、魔石拾いを頼まれて」 「えっ」 嘘は言っていない、はず。知り合ったのは今日だが。 しかし、ルベルは意外そうだった。 ーーやっぱり嘘はバレるか。 そう思った矢先、 「ディーちゃんに知り合いなんていたの!?」 「いますよそりゃ!?」 ぜんぜんバレてなかった。なんなんだ。 「あの、ルベルって私をなんだと思ってるんですか?」 「超絶人見知りのおひとよし」 「合ってます」 さておき。 「まあ、今日のは例外中の例外なので。それより、明日は訓練ですよね」 「うん、そうだね」 よかった。ルベルの機嫌も治った。 訓練というのは、もちろん冒険の訓練だ。ことルベルは冒険の基礎知識も、魔法の能力も足りていない。 特に魔法の知識は致命的だ。冒険の知識はアディーが同行する限りカバーできるが、魔法についてはそうもいかない。 「私も魔法について詳しいわけではないので、教本を用意しました。まずはこれを学びましょう」 「はーい」 「それと、中に入ってもいいでしょうか」 「あ、そうだね、ごめんごめん」 二人は亭の中に入り、ぱたんと扉が閉まる。 その扉を、小さな影が見つめていた。 町外れに、今は使われていない空き地がある。 そこでルベルとアディーは対峙していた。 「さて。ここ何回か、ルベルの魔法は見させてもらいました」 「うん」 アディーは教本を片手に、 「攻撃魔法については、正直に言えば実戦で使える次元じゃありません」 「やっぱりそうだよね……」 「最低でも当たれば傷を与えられる威力はないと。ルベルはどうも魔力量がそれほど多くないようですね」 「うう。これは才能かなぁ」 「まあ、魔力量も後天的に増やせなくはないですけどね。ただ、今の魔力で攻撃魔法ばかりを覚えても、あまり有効ではないと思います」 それはそうだ。低い威力の攻撃魔法ばかり覚えたところで、役に立つシーンはないだろう。 「そこで、ですが。攻撃以外の魔法を覚えてみるのはどうでしょうか」 「攻撃以外って、治療とか?」 「あれは専門の術者でないと難しいです。それより覚えるべきは、この魔法です」 アディーは教本のなかばを開く。 「風魔法の一種です。空気の組成をわずかにいじり、光をねじ曲げることで幻影を作り出します」 「幻惑魔法?」 「はい。この魔法を使えば、周囲の景色に溶け込むことができるようになります。大魔力を持つ魔法使いは姿だけ隠しても意味がないですけど、ルベルはそれほど魔力が強いわけじゃない。つまり、隠れることが容易なんです」 「でも、隠れてばかりじゃ……」 「そんなことはありません。ルベルが隠れてくれれば、敵から攻撃される心配もありませんし、私も遠慮せずに戦うことができるようになります」 今のところは、アディーがルベルの護衛みたいなものだ。 だが、ルベルが敵から狙われなくなるのであれば、アディーと魔物のタイマンに持ち込める。 「それに、ルベルも敵から狙われないところでなら、集中して魔力を制御できるでしょう。相手の意表をついた、それでいていつもより鋭い一撃。これなら威力が強くない魔法でも、魔物にだって通用します」 「ああ、なるほど……」 「幻影魔法そのものは簡単というわけじゃないですけど、覚える価値はあります。まずはこれを頑張ってみましょう」 「はーい!」 素直に応じたルベルは、教本を読み込む。 顔を上げれば、爽やかな風が吹いていた。空は青い。 「青い、か……」 空の青さを意識したことなど、いつ以来だろうか。いつも足元ばかりを見ていた気がする。 ルベルと出会ったから、空を見るなんて気持ちが生まれたのだ。 そのことに感謝していると、 「あ、いたいた」 どこかで聞いたことがあるような声に振り向く。すると、小柄な少女が手を振っていた。 「え? サフィさん?」 「やあやあ。また会いましたね」 すたすたと歩いてきた少女は、今にも冒険に出そうな装備だった。その姿に、アディーは思わず顔をしかめる。 「えっと、あの……。まさか今日も手伝えとか言うんじゃ」 「話が早くて助かりますね」 「あっ、えっと、今日は仲間と訓練しなきゃなので」 「仲間?」 マイペースな商人はアディーの隣で教本を読み込む魔法使いを見上げ、 「教本読んで練習するだけでしょ? それならアディーが見ていなくてもいいじゃないですか」 「それはそうかもしれませんが、そういう問題でなく……」 「まあまあ。一人で行くのはきついところなんです。そこの魔法使いさん、アディーを借りますね」 「えっ?」 今まで教本に集中していたらしいルベルは、ようやく小柄な少女の存在に気づいたようだった。 「えっと、あなたは?」 「サフィといいます。商人兼冒険者のようななものです。ちょっと難易度の高い場所に行きたいので、アディーを借りたいのですが」 「難易度の高いって……。危ないんじゃ?」 「もちろん危険性はあるでしょうけど、それはあらゆる冒険が同じことです」 「それはそうだけど。でもサフィちゃんはちっちゃいし、ディーちゃんもそれほど強いわけじゃないでしょ?」 「構いません。今のぼくに難易度が高いだけで、アディーが一緒なら問題ありませんから」 「むぅ。ディーちゃんはどうしたいの?」 「えっ? わ、私ですか?」 特にノープランのアディーは二人の少女を見比べ、 「ちなみに、どこに行くんですか?」 「月光洞窟です。今から行けばちょうどいいでしょう」 異界【月光洞窟】。洞窟でありながら昼夜の区別があり、夜間にのみ反応する特殊な植物が多く生えている場所だ。 「確かに、今から行けば夜に到着ですから、時間的にはちょうどですけど。ただ、月光洞窟には面倒な魔物が出ます」 【麻痺マタンゴ】という魔物だ。 名の通り、人の体を痺れさせる胞子を撒き散らす。アディーとて簡単な防御魔法は使えるし、一方的に胞子を受けることもないが、長時間の戦闘は危険が発生する。 「まあ、麻痺毒用の解毒剤はたくさん用意してますから」 鞄を開くと、薬の小瓶がたくさん入っていた。これだけ用意してあれば、まあ一晩洞窟に潜るくらいはどうということもないだろう。 「……報酬は?」 「金貨3枚」 「なるほど」 相場から考えても悪くない。 「……わかりました、受けましょう」 「いいの? ディーちゃん」 「はい、ルベルには申し訳ないのですが」 「それはいいんだけど……」 「ちょうど、もうすぐ物入りになる予定ですし。金貨が手に入るなら悪くありませんから」 「んー。わかった。じゃあ今日は教本読んで練習してるね」 「はい、お願いします。ではサフィさん、行きましょうか」 「あいあい」 少女はニコリと笑ってみせた。 |