アディーが黒猫亭に戻る頃には、すっかり日も暮れていた。
 おそるおそる扉を開くと、
「ディーちゃん!」
「っ?!」
 突っ込んできた魔法使いを、がっしり受け止める武闘家。ふわりと香る美少女の匂いに思わずトロけ顔(別称は気持ち悪い顔)になるが、
「っと、ルベル? どうしたんですか」
「どうしたもこうしたも! ディーちゃんがなかなか帰ってこないから心配したんでしょーが!」
「あ、す、すみません」
 そういえば買い出しに行くと黒猫亭を出てから、そのまま花の塔まで引っ張られていたんだった。サフィは足が早く、武闘家であるアディーもそれなりに健脚であったため、なんとか日帰りできたが……。本来、花の塔なら一泊は確定する距離だ。
「あ、その……。知り合いに、魔石拾いを頼まれて」
「えっ」
 嘘は言っていない、はず。知り合ったのは今日だが。
 しかし、ルベルは意外そうだった。

 ーーやっぱり嘘はバレるか。

 そう思った矢先、
「ディーちゃんに知り合いなんていたの!?」
「いますよそりゃ!?」
 ぜんぜんバレてなかった。なんなんだ。
「あの、ルベルって私をなんだと思ってるんですか?」
「超絶人見知りのおひとよし」
「合ってます」
 さておき。
「まあ、今日のは例外中の例外なので。それより、明日は訓練ですよね」
「うん、そうだね」
 よかった。ルベルの機嫌も治った。
 訓練というのは、もちろん冒険の訓練だ。ことルベルは冒険の基礎知識も、魔法の能力も足りていない。
 特に魔法の知識は致命的だ。冒険の知識はアディーが同行する限りカバーできるが、魔法についてはそうもいかない。
「私も魔法について詳しいわけではないので、教本を用意しました。まずはこれを学びましょう」
「はーい」
「それと、中に入ってもいいでしょうか」
「あ、そうだね、ごめんごめん」
 二人は亭の中に入り、ぱたんと扉が閉まる。
 その扉を、小さな影が見つめていた。

☆   ☆   ☆   ☆


 町外れに、今は使われていない空き地がある。
 そこでルベルとアディーは対峙していた。
「さて。ここ何回か、ルベルの魔法は見させてもらいました」
「うん」
 アディーは教本を片手に、
「攻撃魔法については、正直に言えば実戦で使える次元じゃありません」
「やっぱりそうだよね……」
「最低でも当たれば傷を与えられる威力はないと。ルベルはどうも魔力量がそれほど多くないようですね」
「うう。これは才能かなぁ」
「まあ、魔力量も後天的に増やせなくはないですけどね。ただ、今の魔力で攻撃魔法ばかりを覚えても、あまり有効ではないと思います」
 それはそうだ。低い威力の攻撃魔法ばかり覚えたところで、役に立つシーンはないだろう。
「そこで、ですが。攻撃以外の魔法を覚えてみるのはどうでしょうか」
「攻撃以外って、治療とか?」
「あれは専門の術者でないと難しいです。それより覚えるべきは、この魔法です」
 アディーは教本のなかばを開く。
「風魔法の一種です。空気の組成をわずかにいじり、光をねじ曲げることで幻影を作り出します」
「幻惑魔法?」
「はい。この魔法を使えば、周囲の景色に溶け込むことができるようになります。大魔力を持つ魔法使いは姿だけ隠しても意味がないですけど、ルベルはそれほど魔力が強いわけじゃない。つまり、隠れることが容易なんです」
「でも、隠れてばかりじゃ……」
「そんなことはありません。ルベルが隠れてくれれば、敵から攻撃される心配もありませんし、私も遠慮せずに戦うことができるようになります」
 今のところは、アディーがルベルの護衛みたいなものだ。
 だが、ルベルが敵から狙われなくなるのであれば、アディーと魔物のタイマンに持ち込める。
「それに、ルベルも敵から狙われないところでなら、集中して魔力を制御できるでしょう。相手の意表をついた、それでいていつもより鋭い一撃。これなら威力が強くない魔法でも、魔物にだって通用します」
「ああ、なるほど……」
「幻影魔法そのものは簡単というわけじゃないですけど、覚える価値はあります。まずはこれを頑張ってみましょう」
「はーい!」
 素直に応じたルベルは、教本を読み込む。
 顔を上げれば、爽やかな風が吹いていた。空は青い。
「青い、か……」
 空の青さを意識したことなど、いつ以来だろうか。いつも足元ばかりを見ていた気がする。
 ルベルと出会ったから、空を見るなんて気持ちが生まれたのだ。
 そのことに感謝していると、
「あ、いたいた」
 どこかで聞いたことがあるような声に振り向く。すると、小柄な少女が手を振っていた。
「え? サフィさん?」
「やあやあ。また会いましたね」
 すたすたと歩いてきた少女は、今にも冒険に出そうな装備だった。その姿に、アディーは思わず顔をしかめる。
「えっと、あの……。まさか今日も手伝えとか言うんじゃ」
「話が早くて助かりますね」
「あっ、えっと、今日は仲間と訓練しなきゃなので」
「仲間?」
 マイペースな商人はアディーの隣で教本を読み込む魔法使いを見上げ、
「教本読んで練習するだけでしょ? それならアディーが見ていなくてもいいじゃないですか」
「それはそうかもしれませんが、そういう問題でなく……」
「まあまあ。一人で行くのはきついところなんです。そこの魔法使いさん、アディーを借りますね」
「えっ?」
 今まで教本に集中していたらしいルベルは、ようやく小柄な少女の存在に気づいたようだった。
「えっと、あなたは?」
「サフィといいます。商人兼冒険者のようななものです。ちょっと難易度の高い場所に行きたいので、アディーを借りたいのですが」
「難易度の高いって……。危ないんじゃ?」
「もちろん危険性はあるでしょうけど、それはあらゆる冒険が同じことです」
「それはそうだけど。でもサフィちゃんはちっちゃいし、ディーちゃんもそれほど強いわけじゃないでしょ?」
「構いません。今のぼくに難易度が高いだけで、アディーが一緒なら問題ありませんから」
「むぅ。ディーちゃんはどうしたいの?」
「えっ? わ、私ですか?」
 特にノープランのアディーは二人の少女を見比べ、
「ちなみに、どこに行くんですか?」
「月光洞窟です。今から行けばちょうどいいでしょう」
 異界【月光洞窟】。洞窟でありながら昼夜の区別があり、夜間にのみ反応する特殊な植物が多く生えている場所だ。
「確かに、今から行けば夜に到着ですから、時間的にはちょうどですけど。ただ、月光洞窟には面倒な魔物が出ます」
 【麻痺マタンゴ】という魔物だ。
 名の通り、人の体を痺れさせる胞子を撒き散らす。アディーとて簡単な防御魔法は使えるし、一方的に胞子を受けることもないが、長時間の戦闘は危険が発生する。
「まあ、麻痺毒用の解毒剤はたくさん用意してますから」
 鞄を開くと、薬の小瓶がたくさん入っていた。これだけ用意してあれば、まあ一晩洞窟に潜るくらいはどうということもないだろう。
「……報酬は?」
「金貨3枚」
「なるほど」
 相場から考えても悪くない。
「……わかりました、受けましょう」
「いいの? ディーちゃん」
「はい、ルベルには申し訳ないのですが」
「それはいいんだけど……」
「ちょうど、もうすぐ物入りになる予定ですし。金貨が手に入るなら悪くありませんから」
「んー。わかった。じゃあ今日は教本読んで練習してるね」
「はい、お願いします。ではサフィさん、行きましょうか」
「あいあい」
 少女はニコリと笑ってみせた。