駆けていくルベルの後ろ姿を見送ったエミリーは、ふう、と息を吐く。
「結果論だけど……。これで、アディーちゃんのことが分かるかも」
 彼女は何かを隠している。
 そうでなければ、火炎ビートルの群れに囲まれて逃げ切ることなどできるはずがないからだ。妹を預けるのであれば、彼女のその秘密が危険なものかどうか、知る必要がある。
 そのためにーーこれはチャンスなのだ。
「さて、と」
 エミリーもまた、腰のナイフを絞め直した。

☆   ☆   ☆   ☆


 魔石をかじり、未開拓の森を駆け抜ける。
「稼ぎになる魔物、しかも近場といえば……。あれしかない」
 比較的、人間の生活領域に近い場所で巣くっている魔獣。
 積極的に人里へ襲撃するわけではないが、戦えばベテラン冒険者でも餌にされてしまう強大な力を持つ怪物。
「……いた!」
 木々を抜けた先。そこでは一匹の青いトカゲが岩場で日光を浴びている。
 【氷眼リザード】。氷を操る特殊なドラゴンの一種。
 最大の特徴は、ドラゴンでありながら冷気に強いこと。普通のドラゴンは氷を弱点とし、魔法で攻めて戦うものだ。だが、氷眼リザードには冷気が通用せず、かといって炎も鱗に弾かれる。
 その額には冷気をコントロールしている青い宝石があり、これが高値で売れる。しかるべきところで売れば金貨1枚くらいにはなるだろう。もちろん、倒せればーーだが。
「前のキャラバンは危ないからって近づけなかったけど……」
 ソロならば気兼ねはいらない。仲間がいなければ、存分に戦える!
 リザードもこちらに気づき、怒りの咆哮をあげる。
「でえいっ!!」
 気合を込めた拳でリザードを殴りつける。普通の魔物ならこの一撃で仕舞だが、
「っ、やっぱり硬い!!」
 リザードの鱗は竜族だけあって強靭だ。アディーの放つ闇属性の拳でも痛打にはならない。
「グルァ!!」
「ッ!!」
 反撃の息吹。氷眼リザードの息吹は氷点下の魔力が込められている。触れただけで凍てつく脅威。
 慌てて回避、岩陰に隠れた。岩場なのが幸いし、息吹の直撃をかわすことは造作もない。
 とはいえ、決定打を与えなければ宝石は奪えない。
「二発……。三発かな」
 両手両足の感覚を確認。全身に闇の魔力は行き渡っている。
「せー、のっ!!」
 突撃。
 一瞬にして距離を詰め、
「ハッ!!」
 掌底でリザードをかち上げる。闇の魔力に任せた強引な一撃だ。わずかに浮いた先、腹部に二撃目。
「ふッ!!」
 ぐるっと一転しての回し蹴り。リザードはきりもみしながら地面に叩きつけられる。
 天を仰いだ白い腹。そこは鱗で守られていない、リザードの弱点!
「滅!!!」
 全力を込めた右ストレート。
 それを、鱗のない腹部へ叩き込む。
「カッ……!!」
 ぶるぶると震えた氷眼リザードは、そのままくたりと倒れ、動かなくなった。
「ふう。ごめんね」
 アディーは小振りのナイフを取り出すと、リザードの額に取りつき、無事だった宝石をえぐり出す。
 手のひらに余る程度ーー比較的大きいようだ。これなら金貨1枚どころか、3枚くらいで売れるかもしれない。
 さて、とアディーは氷眼リザードの死体を眺める。
「うーん。魔獣は跡が残っちゃうなぁ……」
 一般的に、魔獣と魔物は少し異なる。
 魔獣とは、闇の魔力に染まっただけの生物だ。人と異なる魔力を持つだけで、基本的には普通の生物と大差ない。
 一方で魔物は、魔石をコアにした”存在するはずのない命”だ。生命としてありえない構造をしており、生殖器や生命活動に必要な臓器を持たなかったりする。
 魔物は倒すと魔石に戻るが、氷眼リザードのような魔獣は死んでも肉体は残り続ける。魔物なら魔石を回収するだけでおおむね痕跡は残らない(もっとも戦闘の痕跡は残るので見る者が見ればわかるが)のに対し、魔獣はそもそも死体が残っているのでバレバレだ。
 インビジブルの噂は、こういうところから発生している。できれば目立ちたくないアディーにとっては死体も処分したいが、なにぶん一人ではどうにもならない。まさか自分の体より大きいリザードを抱えていくわけにもいかないし。
「仕方ないか」
 宝石を鞄に仕舞い、さて退散するか、と振り返ったところで。
 ぱちっと目が合った。
「……」
「……ディー、ちゃん?」
「……」
「……?」
「ひいやああああああああ!?」
「きゃあああああああああ!?」
 悲鳴の大合唱。
 なぜか岩場の陰にルベルがいた。しかもばっちり視線が合ってる。
「な、な、な、ななななな!?」
 言葉が出ない。頭の中身がリザード級になってる。
「えっと、あの、その……。ディーちゃん、強い、のね?」
「っ!!」
 これはもう言い逃れできないのでは。いやまだできる。
「い、いえいえいえいえいえいえ!! た、たまたま探索していたら氷眼リザードが倒れていたんでこれラッキーと思って宝石を回収したところ、です!」
「さっき殴って倒しちゃったじゃない」
「見てたなら見ていたと言って下さい!!」
「ご、ごめんなさい?」
「というか! ここ未開拓地域ですよ!? なんでルベルさんが!」
「あの、ディーちゃんの後を追いかけてきたの。通心器テレグラムっていうのを使って」
通心器テレグラム!? そんなの私が相手を持っていないと……。ってこれか!!」
 いつの間にかポケットに見知らぬ石が入っていた。すぐさまエミリーの仕業と気づくが、時すでに遅し。
「それで、ディーちゃんが強いって話なんだけど……」
「……」
「隠していたの? 火炎ビートルも、逃げたんじゃなくて倒したんでしょ?」
「それ、は」
 言うべきか、言わざるべきか。
 ーーここまではっきり見られていては、隠せるものでもない。
「その、私、言うほど強くはありません」
「でも……」
「確かに氷眼リザード程度なら、ソロで狩ることができるくらいの強さはあります。でも、ソロでないと力が発揮できないんです」
「ソロでないと?」
 こくりと頷き、アディーは続ける。
「駄目なんです。人の目があると、力が抜けちゃう。魔力はうまく運用できないし、拳だって当てられない。人の目が怖いんです」
「だから、隠していたの?」
「はい。特に、ルベルさんには知って欲しくなかったです。期待させちゃいます、から」
 本当は、話してもよかった。彼女ならば否定的なことは言わないだろうし、黙っていて欲しいと言えば素直に黙ってくれたかもしれない。
 でも、人が怖いのだ。人を信用することができない。
 それが、アディー・ヒーリだ。
「子供の頃からそうでした。他人の目が怖くて、そのくせ人一倍、他人に誉められたくて。寓話に憧れて我流の格闘技を磨くうち、今の強さを手に入れました。でも、私は寓話の主人公みたいに、誰かを救ったりできない……」
「そ、そんなことないよ!」
 自分の殻に逃げようとするアディー。
 そんなアディーの手を、ルベルはそっと握る。
「失敗したアタシのために、狩りに出てくれたんでしょ? 十分アタシを救ってくれようとしているじゃない!」
「それは、その……」
「大丈夫よ。あなたがあなたを誇れないなら、アタシが誇ってあげる! あなたは立派な冒険者だわ!」
「……ルベルさん」
 ぎゅっとアディーを抱き締め、ルベルは耳元でささやく。
「水くさいよ。ルベルって呼んで」
「あの……。えっと、ルベル」
「うん、ありがとう。ディーちゃん」
 女の子の匂いがする。
 それは、長年アディーが感じなかったもので。柔らかな香りは、そっと胸の中に染み込んでいく。
 そんな二人から少し離れた岩陰から、妙齢の女が退散した。抱き合っていた二人は、見知った女の後ろ姿にも気付くことはなかった。

☆   ☆   ☆   ☆


 日が暮れた頃。荒野を歩いていた女は、氷眼リザードの死体を見つけた。
「ふうん?」
 リザードの腹部を一撃。確かに腹は弱点だが、それは彼らも十分承知しており、安易に見せることなど絶対にない。
 打撃だけでリザードを倒すには、かなりの力量が必要なはずだ。
「……なるほど。宝玉だけ採取したのか。これはインビジブルの仕業かな? 本当に面白いね。やっぱりこいつ、闇の魔力を扱えている」
 女はくすくすと笑い、
「いいねえ、こいつ。こんなのがいたら楽しそうだ」
 そんなことを呟きながら、リザードの死体を踏みにじった。