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 休日になると、とたんにやることがなかった。
 地方から出てきたリオンにとっては都市部に友人もおらず、都市での遊びなど経験したこともないので思いつきもしない。かといって、寮でやることがあるかといえば、特に何もない。私物はないし、そもそも軍部の寮は遊べる場所などない。
 先輩たちに知り合いがいるわけでもないリオンは、暇に流されぶらぶらしていた。すると、寮の敷地から出る門扉の付近で、見知った顔を見つけた。
「あれ、クレア」
「あら、リオン。あなたも出かけるの?」
「そんなつもりはなかったんだけど……。クレアは外出?」
「ええ。図書館まで」
 今日のクレアは、女の子らしいブラウスにスカート、それとは不釣り合いな、大きなバッグ。きっと、中には研究資料のようなものが詰まっているのだろう。
「もしかしなくても、禁書架?」
「そうよ。せっかく閲覧できるようになったんだもの、一刻も早く見たいわ」
「それ、一緒に行ってもいい?」
 思いつきで聞くと、クレアは首をかしげた。
「いいけれど、あなたが見ても楽しいものは何もないと思うけれど?」
「でも、寮にいても暇だから」
「そ。じゃあ、一緒に行きましょ」
 ウインクひとつ、クレアは先導するように歩き出す。遅れて、リオンもついて行く。
 王都は広いが、交通機関を使うつもりはないようだった。歩くこといくばくか。やがて、正面に煉瓦作りの立派な建物が見えてくる。
「あれが王立図書館。一番大きな図書館よ」
 四階建てだろうか。縦に窓が四つ並び、両翼は高さの10倍以上もある。
 それだけ巨大な建物に出入りしているのは、クレアのような学究の徒ばかりではないようだ。家族連れは老人、一見すると書物など関係なさそうな筋肉質の作業員まで、様々な人が出入りしている。
「すごいねぇ……都会の図書館ってこんなのなんだ」
「ほら、こっちよ」
 先導するクレアと共に、リオンは建物の中へ。入ってすぐの吹き抜けは、巨大な獣の腹にでも迷い込んだような気にさせてくれる。
 クレアは迷わず階段をのぼり、四階へ。
 階段からすぐのところに扉があり、その前にカウンターがあった。カウンターでは、一人の女性がのんびりと本を読んでいる。紺色のベスト姿で、胸に名札をつけていた。オーサ・メイザー。司書のようだ。
「すみません。書架を閲覧したいのですが」
 クレアが声をかけると、本を読んでいた女性が顔をあげた。
 小さな眼鏡を鼻の上に載せ、大きな目をしばたかせる。
「ここ、禁書架よ?」
「軍部です」
 クレアは身分証を取り出した。軍部の押韻がされた、新品だ。
「あら、軍の新人さん?」
「はい。先日の試験で合格しました」
「あらあら。じゃあ、通してあげないわけにはいかないわね。二人とも、ここに名前を書いて」
 入館証か何かかと思ったら、差し出されたのは、誓約書だった。文面には短く、
『禁書架内で命に関わるいかなる事象が発生しようとも、自ら責任を負います』
 とある。
「あの、誓約書って……」
「ああ、入館する人に書いてもらう決まりなの。禁書架が禁じられているのは、相応のわけがある。かといって、ひとつひとつの書物について、どうして禁じられているのか説明することは難しいわ。だから、自己責任、というわけ。この中で何が起きたとしても、王立図書館は責任を負わない。その覚悟がある人だけが中に入ってね」
「な、何が起きても……」
「脅すようで申し訳ないけれど、決まりなの。でも、実際に禁書架へ入っただけでどうにかなる人は、まあほとんどいないわ」
 ほとんどということは、いるということでは。
 言いたかったけれど、勝手についてきた手前、リオンは黙っていた。
 クレアと共にサインをし、書類を返すと、司書の女は素直に受けとった。
「ではどうぞ。……ちなみに、何の本をお探し?」
「ブライト・フェルカの『魔術論に関する日誌』です」
「フェルカ……。その本は312番の棚よ」
 司書の言葉に、クレアは目を丸くした。
「どの書物がどの棚にあるか、全部覚えているんですか?」
「ビブリオフィリアなの」
「びぶ……? なんですか、それ」
「書物狂。まあ、変人の類よ。禁書クラスともなれば、全部垂涎の品だもの。あなただって、恋人の住所や家の間取りくらい覚えているものでしょう? 同じことよ」
 内心、リオンも驚いていた。
 部屋に入ればわかるが、棚のひとつに収められている本は100冊を超えるだろう。それが何百と並んでいるのだ。これら全部を記憶しているということは、はたして何万冊の本を記憶しているのだろうか。
「こっちよ」
「……案内してくれるんですか?」
 クレアが言うと、
「これは趣味。誰だって、自分の恋人に会いたいなんて女が来たら、勝手にどうぞ、とは言えないでしょう?」
 わかるような、わからないような説明を受けながら、書棚を縫って歩く。
 312の棚は、部屋の端にあった。その中から、司書の女は一冊の本を抜き出す。
「これが『魔術論に関する日誌』よ」
 それは、一冊のノートだった。表書きには癖の強い字体で、同名のタイトルが書かれている。
「なぜこの書が禁書になったか、リオン君、わかる?」
「え? そんなの、見ただけでわかりますか?」
「ええ。この書に限って言えばね」
 首をかしげながら、リオンは司書の手にある書物を見つめる。
 一見するとただのノートだ。ーーいや。
 ブライト・フェルカは、300年前の人物だ。このノートが記入されたのも、300年前のはず。
 なのに、このノートは、字が読める!
「300年前のノートなのに、劣化していない……?」
「正解。このノートは、これそのものに、強い状態保持の魔術が刻まれている。それだけでなく、ノートを下手に読むと、読んだ者を異界に送り込むとまで言われている魔術書よ。当時、これの研究をしようとした魔術師が失踪したことを契機に図書館貯蔵となり、禁書となったわ。それでも読む?」
「もちろん」
 クレアは間髪入れず答える。
「ふふっ、さすが。研究職って、やっぱり狂ってるわね。では、どうぞ」
 クレアはノートを受けとる。新品同様のそれを、そっと開いた。
「……」
 立ったまま、クレアは黙々と中身に目を通していく。はらりとページをめくり、
「ッ!!」
 その変化は突然だった。
 クレアの体が淡く光る。そう思った次の瞬間、その体が消えた。
「ッ!? クレア!?」
 周囲を見渡したところで、クレアの姿はない。これが、禁書の効果だとでも言うのか。
「これは……」
「何かわかりますか。クレアはどこに!?」
「たぶん、ノートに……吸い込まれた」
「ノートに、吸い込まれた!?」
 意味がわからず、リオンは愕然とする。対する司書の女は冷静だった。
「人間、体内に微弱だけれど、魔力を有しているのね。で、その質は人によって違う。あなたの魔力と、私の魔力は違うの。で、クレアの魔力は、今、ノートから感じられる」
「でも、人間がノートに吸い込まれるなんて……」
「もちろん、そんな前例があるわけじゃない。でも、これが禁書だということを考えれば、何が起きてもおかしくないの。私の感覚が間違っていないなら、彼女は、ノートの中にいる」
「そんな……そんなの、どうすれば」
 少しだけ、司書の女は黙り込んだ。リオンのことをじっと見つめ、
「君も軍部よね。彼女のために、命をかける覚悟はある?」
「はい」
 間髪入れない答え。その回答に、司書は満足そうに頷いた。
「うん、あなた、いい軍人になれるわ。じゃあ、説明する。といっても簡単、あなたもノートの中に入り込むのよ」
「僕も、ノートの世界に?」
「そう。この手の、相手を吸収するタイプの魔術は、特定の相手を喰らうようなもの。そこに、違う質の魔力を混ぜれば、混乱を来すはずよ。その隙を狙って、突破口を見つけて」
「……それって、ほとんど無策と同じじゃ」
「可能性があると言っているだけの話よ」
 ごくりと喉を鳴らし、リオンはノートを手に取った。
 冷静に考えれば、クレアがノートに食われた証拠などない。あるいは、彼女は今もノートの中で、ただ研究をしているだけかもしれない。
 だが。リオンの中で、何かがざわめいている。そんなことじゃない、と自分の勘が告げている。
 なら。
「わかりました」
 リオンはノートを開いた。
 中に並んでいる式の羅列は、魔術に造詣のないリオンには意味がわからなかった。だが、その文字列を眺めていると、何かがすっと自分の中に入り込んで来る感覚があった。
 その感覚に身を委ねる。ゆっくりと、体が沈み込んでいくような感覚。
 やがて。とぷん、と体が水中に沈み込んだ。