リト・コーツは、すぐ前にある黒檀の扉を目にし、深くため息をついた。
 扉をノックし、
「リト・コーツ中佐です」
「入れ」
 室内からの返答を待ち、リトは扉を開ける。
 室内には、応接セットと書棚、そして大きな執務机が置かれている。その、執務机に向かっているのは壮年の男性ーーリトの上司にあたる、教導隊中将のテリー・バレンティンだ。
 一方で、応接セットの方には、リトも知らない人物が座っていた。こちらは女性だが、無表情かつ微動だにしない姿勢のよさで、まるで人形のような印象を受ける。
「お呼びですか、テリー中将」
「まずは彼女を紹介すべきだろうな。シン・ディレク特務大尉だ」
「特務大尉……?」
 聞き慣れない響きに内心で首を傾げながらも、リトは軍部の礼儀として、シンに敬礼する。
「リト・コーツ中佐です。教導隊王都分隊第三班所属です」
「結構。シン・ディレク特務大尉です。近衛隊第二班所属です」
「近衛隊第二班……そういうことですか」
 近衛隊の第一班は国王陛下の護衛。第二班はそれに次ぐ重要人物の護衛だ。
「お察しの通り、私は姫殿下の護衛を専任しております。用件は、先日の国王パレードで起きた一件についてです。あなたがたも、警邏に参加していましたね?」
「はい。自分を含め四名で参加、市民をお守りしました」
「結構。素晴らしい働きでした。あなたは前線から外れて久しいのに、十分に不届き者を制圧してみせました。そのことについては、報償があってしかるべきでしょう」
「もったいないお言葉です」
 そんなくだらない話か、とリトは内心でげっそりしている。
 他人と協力するのが苦手な自分が、たかだかいっぺん限りの武勲で、魔物と戦える部署に配置転換できるわけでもない。それよりも、小金を受けとるために、王城まで出向くほうが嫌だ……。
「ところで。あなたと、あなたの部下が守り抜いた市民。彼女の顔は見ましたか?」
「は?」
 予想外のことを聞かれたリトは一瞬だけ硬直し、
「いえ、はっきりとは見ておりませんが……」
「そうですか。では、その彼女からのお言葉を伝えます」
 シンは一度区切り、
「姫を守った功績は讃えられてしかるべきです。なかなか実際にできることではありません。そういう人物こそ、自分を守るにふさわしい。よって、彼を近衛隊とします」
「……は?」
「そのまま伝えたつもりですが」
「いえ、その、姫を守った? 彼が守ったのは、パレードに参加していた一市民では?」
「彼女は姫殿下です。パレードの際、国王陛下の隣に座っていた彼女は影武者のメイドです」
「ッ!?」
 冷や汗が止まらない。では、あの時リオンが失敗していれば……。
 リト・コーツは非常に利己的な人間だ。だが、それでも軍務として、最低限の矜持は持ち合わせている。
 だからこそ。姫殿下を守り抜いたという彼には、感謝せざるをえない。
「実際、リオン・テイラーは素晴らしい働きをしました。彼が動けなければ、姫殿下の命が失われてもおかしくなかった。そういう意味で、彼は報償があってしかるべきでしょう」
「それは、はい、わかりますが……。あの、中将?」
「そういうことだ。姫殿下はたびたびオテンバを発揮される。それに協力しているのが、そこにいるディレク特務大尉なのだが」
「命令違反はしていませんよ」
「姫の命を危険に晒している以上、大きな意味では十分な背任行為だぞ、大尉」
「普段からストレスためて早死にするほうがよほど背任行為です」
 はあ、とため息ひとつ、テリー中将は続ける。
「というわけだ。お前たちの働きには、軍部全員が助けられたといっても過言ではない。実際、あの場で姫をお守りできなければ、少なくても上層全員は首が飛んでいた」
「そのよう……、ですね」
 あながち冗談ではない。姫の重要度は、それほどまでなのだ。
「姫は、リオンを近衛にせよ、と命じておられる。とはいえ、今はまだ教導隊の隊員だ。近衛に入るには早すぎる。それは、ディレク大尉にも伝えている」
「まさか彼が新人とは想定していませんでした」
「なので、今はまだ、教育中ということで、免除してもらえる道が残っている。あとは当人の希望次第だが、今すぐというわけにはいかん。他の者にも示しがつかんしな。お前に頼みたいのは、本人の希望を確認することだ」
「は、はい、わかりました」
 リトは背筋を伸ばし、敬礼する。そんなリトにテリー中将は苦笑し、
「かしこまることでもない。実際、リオンはよくやったのだ。その正当な評価がされたという意味でもある。君も誇っていい」
「りょ、了解しました」
「近く、姫殿下が直々にお声かけなさるだろう。お前の班は随伴で同行が認められる。準備しておけ」
「了解しました!」
 王城に行くだけでも面倒なのに。
 内心で、そんなことを考えていた。

☆ ★ ☆


 後日。本当に、王城に呼ばれた。
 軍の儀礼用に作られた制服を着こなし、リト、リオン、それにクレアとアレンの四人は、謁見の間に通されていた。
 目の前には空座となっている巨大な椅子。その背後には、青い不思議な光をたたえるオブジェ。周囲の柱や壁には、王族の権力を示す細やかな彫刻や、きらびやかな織物の数々がかけられている。そして、周囲に居並ぶのは、パレードを思い起こさせる、近衛隊の面々。心なしか、その目つきが鋭く感じられるのは、彼らのお株を奪ったからか。
「あ、あの、場違いなんじゃ……」
「呼ばれていて場違いも何もないでしょ!」
 リトの後ろで、リオンとクレアがこそこそと話している。一方で、アレンは堂々としたものだ。やはり貴族というのは、立ち居振る舞いが違う。
「おい、しゃんとしていろ」
 リトが小声で叱る。と、椅子の脇、これまた過剰な装飾が施された扉がゆっくりと開く。
「ソフィア・マリ・ジェルニアン姫殿下のおなり!!」
 すぐさまリトは膝をつき、頭をたれる。アレンが続き、慌ててリオンとクレアもひざまずく。
 扉を抜けて入ってきたのは、シン・ディレクと、パレードにも参加させられていたメイドのサブリナ。そして、もう一人。
 今日はちゃんとドレスを着ており、頭にはティアラを冠している。
 ソフィア・マリ・ジェルニアン。何かとお騒がせな姫殿下だ。
 ソフィアは謁見の椅子に座ると、
「頭を上げなさい」
 ソフィアに命じられ、リトたちは揃って顔をあげる。
 リオンの目にも、姫は小さく見えた。大きすぎる椅子。過剰に豪華な装飾とドレス。その中にいる彼女は、いやに小さく見える。
「先日の働き、見事でした。あなたがたがいなければ、私の命はなかったでしょう」
「もったいないお言葉」
「……」
 姫は一度黙り、シンを見やる。
「シン。他の者を出て行かせて」
「承知しました。総員、退室!!」
 シンが命じると、近衛たちは鋭いまなざしを残しながらも、部屋を出ていく。ぞろぞろと皆が出て行ったところで、ふう、と姫は息を吐いた。
「もー、なんであんなに呼ぶのよ! 邪魔ってわかってるでしょ!」
「一応、決まりですので」
「まためんどくさいシキタリ? いやになっちゃうわ」
 玉座で足を組んだ姫は四人を見下ろし、
「あ、あなたたちも、もっと楽にしていいわよ。そのために人払いしたんだから」
「……そういうわけには」
 姫の豹変ぶりに驚く面々。そんな彼らに、シンは言う。
「姫はこれが普通です。近しい者にしか見せませんが」
「なによ、ソフィだって普通の女の子よ? 堅苦しいのなんか嫌に決まってるじゃない!」
「王族でしょう、あなた」
「その前に女の子だって言ってるのよ!」
 ぷんすか、と怒っているのが目に見える。
 感情をあらわにした彼女は、大きすぎる玉座とは対照的な、等身大の人物に見えた。
「さて。リオン、だったわね? あなたがいなければ、ソフィは殺されていたわ。感謝してる」
「は、はい! い、いえ、僕は、いえ、自分は、軍人として当然のことをしたまでで!」
「いざという時、当然のことができないのが人間というものよ。その点、あなたは当然のことを、当然のようになした。それは誇るべきことだわ」
 続け、ソフィアは言う。
「ソフィの護衛はね、そういう人に頼みたいの。ソフィのために命かけられる人。あなたなら信頼できるわ。いますぐとは言わないけど、教導が終わったら近衛に入りなさいよ、ね? なんならソフィの命令で、大佐くらいにはしてあげられるわよ」
「は、はぁ」
 嘘ではあるまい。ソフィアにはそれだけの権力がある。
 とはいえ。
「あの、お言葉はありがたいのですが……。自分は、まだ教導の身分です。お答えはしかねます」
「ッ!?」
 リオンの答えに、みなが息をのんだ。
「ふうん? ソフィの護衛は嫌なの?」
「そういうわけでは。けれど、自分は、姫殿下お一人だけでなく、大勢を守りたいのです」
「なるほど。面白いわね、あなた」
 くすっ、と姫は笑った。
「ソフィの命令に逆らう人、あんまりいないのよ? シンとサブリナくらいなんだから。それがどういう意味か、あなた理解してる? 軍部にいられなくなってもおかしくないのよ?」
「その、時は……新しい道を探します」
「ぷっ、あはは! そう、面白いわ! ますます欲しい」
 にこりと笑った姫は、リオンを見つめる。
「いいわ。近衛にならなくてもいい。でも、あなたは面白い。ソフィ、あなたが欲しいわ。それじゃ、ソフィのハーレムに入る?」
「……は!?」
 ソフィの言葉に、リオンは目を丸くした。
 ハーレム?
「お父様はお母様が好きすぎて操を立ててるけど、本来、王族の血は大切なものよ。ゆえに、血を絶やさぬよう、複数の伴侶を持つことが通例。それがハーレム。ソフィは女だから、自分で産むしかないんだけど、でも同じ相手との兄弟よりは、他の相手との兄弟の方が生き残りやすいらしいのよね。だから理屈は同じ」
「そ、それはつまり……」
「ソフィの夫になるかってことよ」
「そ、そんな、身に余る!!」
 首を振るリオンに対し、ソフィは笑顔で、
「何の不満があるの? ソフィが夫にしてあげると言っているのよ」
「み、身に余ります。それに、夫というのは、そんな簡単に決めることではないと思います」
「ソフィがいいと言っているのよ。あなたは黙って従うべきだわ」
「なら、なおさら! 従えません!」
「従えない?」
 リオンの言葉に、ソフィはまなじりを上げた。
「ソフィが命じているのよ」
「姫様、おたわむれが過ぎます」
「……ッ!!」
「あ、あの!」
 姫が立ち上がりかけた瞬間、すっ、と間にクレアが入る。
「うん? あなたは、リオンの同僚?」
「はい。クレア・ウィルジーヌです」
 クレアは胸を張り、姫に向かう。
「リオンはまだ十代、結婚を考えるには、いささか早すぎませんか」
「ソフィも14よ。でも、もう子供は産めるわ。お母様がソフィを産んだのも、18の時よ?」
「し、しかし……」
「それとも何? あ、あなた、リオンの恋人?」
「ッ!? そ、そういうわけでは……」
「なら余計に関係ないでしょ。まあ彼女がいたからって、ソフィが遠慮する理由なんかないけど。あなた、ちょっと生意気よ?」
「し、しかし……」
「クレア、いいかげんにしろ!」
 隣でひざまずいていたリトが、クレアをはたく。無理矢理ひざまずかせ、リトは頭をたれた。
「申し訳ありません、姫殿下。部下が過ぎた言葉を」
「許すわ。それより答えを」
 迫るソフィア。対するリオンは何も言えない。さらに口を開きかけたソフィアの前に、今度は別の影。
「何よ、シン。邪魔」
「姫様。押すばかりが王族ではありませんよ。時に引かなくては」
「ソフィはこの国唯一の王位継承者よ。引く必要はない」
「酒樽とて、私には引きますが」
「……それはドン引きっていうらしいわよ」
 はぁ、と息を吐いたソフィは、リオンを見下ろす。
「興が削がれたわ。まあ、考えておきなさい。答えは保留させてあげるから」
 肘かけに頬杖をつく姫。
 その顔は確かに天使のような愛らしさだったが……同時に、悪魔が見え隠れしていた。