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王城からの帰り道。夕日に照らされた石畳の通りは、けれど、とても重く暗いものに見えた。 その渦中において、リトはイライラを募らせている。 リオンは、予想外の申し出に、すでに脳の容量がパンクしているのだろう。頭から煙でも吹きかねない勢いだ。 クレアはクレアで、ぶつぶつと何事かをつぶやいている。漏れ聞こえるのは、そんなんじゃない、とかなんとか。リトにとっては果てしなくどうでもいいことで、かといって、姫殿下のご機嫌を損ねるような真似は慎んで欲しいところだが。 一方でアレンもまた、普段と雰囲気が違った。元よりおしゃべりなタイプではないから何を考えているのか分からないが、なんとなく、機嫌が悪そうに見える。 そんな、三者三様に心ここに非ずな状態。今、魔物に襲われたら、たぶん一瞬で全滅するだろう。 「……リオン・テイラー」 「は、はい」 「近衛になるにせよ、それ以外の道を選ぶにせよ、お前が選ぶ道だ。それによって生じる影響は、まあお前が考えるべきことではあるまい。好きにしろ」 「は、はい……、けど、僕が姫様を怒らせたら、リトさんも困るんじゃ」 「それを言ったら、私は上司の胃に5回は穴を開けたぞ。部下は上司に迷惑をかけるものだ。その責任を取るのが上司の任務。気にするな」 「戦闘でならともかく、こういう場面では……」 「こういう場面だからこそ、だ。自分で気乗りしないのに姫の伴侶になる必要なんてないし、ましてや気乗りしないのに近衛になったところで、任務はまっとうできん」 「……はい、わかりました」 頷くリオン。素直は素直なのだが、いかんせん、真面目過ぎやしないか。 「クレア、お前は自分の整理すらできていないようだが、この際、お前は部外者だ。口を慎め」 「……了解しました」 頭でっかちの学者組というのは、いざ実地となると、とたんに弱いと聞くが。 クレアがリオンをどう思っているのかは知ったことではないが、余計な口出しをされることだけは避けたい。 しかし、とリトはもう一人の隊員を見やる。 「アレン。言いたいことは言え」 「いえ、何も」 「何もないのに出す気配じゃないだろう。なんなら、一戦交えるか? あたしもすっきりしたいしな」 しばしの沈黙。やがて口を開いたアレンは、 「……私は、近衛隊志望です。近衛になるべく、自分に厳しい鍛練を課してきたつもりです」 それは、否定の余地がなかった。 入隊試験の時点で、幻装が使える者など、10年に一人もいない。彼女はそれだけ優秀であり、それだけ優秀になるよう努力をしたということだ。 人間、個々の才能における差など、たかが知れている。結局はどうなりたいと自分で決めたかであり、そこに至るまで、どう鍛練を積んだかという問題だ。 「私は今回、一切武勲を立てておりません。ゆえに、評価がないこと自体は当然です。それは、理解しておりますが……」 「……そういうことか」 リオン・テイラーは、ひいき目に見ても、優秀な士官ではない。 体力は並、魔術はからっきし。何か特別な才能があるわけでもなく、何か特別な兆候があるわけでもない。 そんな彼が、たった一度、偶然に近い形で近衛に抜擢されーー他方、彼女は評価されないまま。 実際、評価されるほどのことを成していないのだ。当然といえば当然でもある。だが、理不尽に感じるのは、致し方あるまい。 彼女の努力は報われておらず、言ってしまえば、何の努力もしていないリオンが報われているのだ。これを不満に思わなければなんだと言うのだろう。 意味合いを察したのはリトだけではなかった。隣を歩いていたリオンもまた、アレンの前で、泣きそうな顔になる。 「あの、アレンさん。僕は……」 「うるさい! 幻装すら使えない奴に、私が負けたと言うのか!? ふざけるなよ!!」 「す、すみません……」 リオンの、軍人としてはあまりに情けない顔に、アレンの中で何かが沸騰した。 「ふざけろ!!」 ガン、とそこらにあった柱を蹴飛ばすと、アレンは思い切り駆け出した。 「あ、アレンさん!」 慌ててリオンもあとを追いかける。 「リトさん、いいんですか? リオンに追いかけさせて」 「構わん。しばらくは仲間としてやっていかなきゃならないんだ。話し合いは必要だろう」 「けど、話してなんとかなる問題じゃないし……」 「まあな。だが、だからこそ、アレンは納得しなきゃならん」 「たんにめんどくさいって思っているだけじゃないんですか?」 「お前、そんなにひっぱたかれたいのか」 「ぼ、暴力反対!」 「うるさいお転婆」 アレンが駆け去った方向を見やり、リトは深く深くため息をついた。 全力で駆け抜けて、いくばくか。 ようようアレンが足を止めた時にはとうに日が暮れており、魔力による街灯が遠くに見えるきりとなっていた。 王都の外苑近く。領土をしめす壁が目の前に迫っている。周囲には、わさわさと木が揺れていた。 「はぁ、はぁ……、くそっ!」 手近にあった木を殴りつける。いくらか揺らいだ木から木葉が舞い落ちた。 「何をしているんだ、私は……」 自分の醜態に、自分自身で嫌気がさす。だが、戻る気にはなれなかった。 リオンが悪いわけではない。それは、十分に理解している。彼がいなければ、姫殿下が危なかったという事実も。偶然、彼が姫の近くにいたということも、彼が身を呈して姫殿下をお守りしたのだという事実も、十分に理解できている。 だが、それは頭が理解しているだけのこと。心がついてきているわけではない。 リオン・テイラーを、悪い男だと思うわけではない。そう、これは、たんに自分が嫉妬しているだけなのだ。 リオン・テイラーという少年の運命に、あるいは、彼の幸運に、とでも言うべきか。 「……くそっ」 歯がみしていると、じゃり、と音が聞こえた。顔をあげる。 街明かりが逆光になっていた。だが、それが誰なのかは、十分に分かった。 「なんだ。私を笑いに来たのか?」 光の加減で、彼の表情は見えない。けれど、泣いているように見えた。 「アレンさん。僕は、アレンさんほど強くありません。いろんなことができるわけでもありません。もっと、自分を誇ってください」 「ふざけるなよ。なら、お前はなぜ、私の前にいるんだ。どうしてお前が近衛隊なんだ!!」 「それは……」 「あの時、私も近くにいた! あの時、姫殿下をお守りするのは、お前でなく私であったかもしれないんだ! なのに、なんでお前だけが……!」 高ぶる感情。けれど、その中にいても、どこか冷静な自分がいた。 なんて勝手なことを言っているんだ、と自分が自分に叫んでいる。 なのに止まらない。止められない。 「なんでお前が……!!」 激昂したアレンがリオンにつかみ掛かろうとした時、 「ッ!! アレンさん、後ろ!!」 「ッ!?」 瞬時、気配を感じていた。それは軍人として鍛練したがゆえの反射であったがーーそれがなければ、死んでいた。 直前まで自分がいた場所を、鋭い爪がよぎる。リオンと共に転がりながら体を起こせば、そこにいたのは、黒い影。 「ま、魔物だと!?」 「どこから侵入したんだ……!?」 それは、八本足の狼とでも言うべき、道理にあわない姿。節くれ立った足は虫のそれを連想させるが、顔や胴体は獣のそれ。 見る者に生理的嫌悪感を抱かせるには十分な化け物。 だが、群れからはぐれたのか、一匹だけしか見当たらない。 「くそっ、この程度!!」 ふっ、と魔力を手に集めようとし、違和感を覚える。 その正体もつかめぬまま、 「サポートします!」 「よ、余計なことをするんじゃない!」 「任務です!!」 腰から支給品のナイフを引き抜き、反対の手には媒介となる石を持ち。 リオン・テイラーは、魔物に向かって駆け出す。 「やあああああ!」 「!?」 リオンの体が燐光に包まれる。 その俊敏な動きは魔物の意識さえ置き去りにし、ナイフが節くれ立った足を斬りつける。 「くっ、固い!!」 しかし、安物のナイフでは、狼蜘蛛の体を貫くには至らないようだった。 だが、自分の幻装ならば……! 「【邪悪を喰らう月】!!」 名を呼び、けれどーー自分の中に宿るはずの武器は、幻の名のごとく、姿を現さない。 「な、なんだ? どういうことだ?」 そうこうしている間にも、リオンは苦戦を強いられている。当然だ、 ナイフ一本で勝てる相手ではない。 早く自分も応援に行かなければいけないのに。幻装が使えないなら、せめて自分もナイフで……。 腰に手をやり、ナイフを引き抜こうとして、しかし抜けない。 「な、なんなん、だ……」 はっ、と気づく。自分の手が、震えているということに。 ナイフはおかしくない。自分の手がぶるぶると震えているから、ナイフが横に滑らないのだ。 こんな精神状態では、幻装など使えなくて当然だ。自分自身の中に眠る本来の力は、発揮できるような状況ではない。 それも、当然といえば当然なのだ。 アレンは、貴族として生まれた。そんな自分を誇りに、誰よりも貴族らしくあろうと、自分に厳しく鍛練を課した。体力をつけ、知略を身につけ、とにかく誰にも負けない自分であろうとした。 だが、そんな自分ですら、魔物と戦ったことなど、ない。 目の前に、自分を殺そうと迫る存在を目にして、恐怖しない者などいるはずもない。 「……」 恐怖しない者などいるはずないのに。リオン・テイラーは、なぜ魔物と交戦している? 彼にだって恐怖心がないはずがない。なのに、彼はなぜ、戦えている? 理由はひとつしかない。彼は、恐怖に打ち勝っているのだ。それだけの勇気を、彼は持ち合わせているのだ。 「ふっ」 そんな彼の姿を見て、自分の中の何かが溶けていくのを感じた。 「私は、アレン・リベット。リベット家の長女だ」 こんなところで! 「リベットの名を汚すわけには、いかない!!」 自分自身を鼓舞し、己の中に眠る力を引きずり出す! 「来い、【邪悪を喰らう月】!!」 呼びかけに応じ、力が集う。 現れたのは、邪悪を切り裂く、巨大な戦斧。 「どけ、リオン・テイラー!!」 地面を蹴ったアレンは、体重を乗せ、戦斧を振り回す。リオンとチェンジした場所に自らを滑り込ませ、魔物の足を切りつける。 「はッ!!」 幻装は、狙い違わず、魔物の足を切り飛ばした。 「ギィィィィィ!!」 泣き叫ぶ魔物。一度動いてしまえば、体は染みついた動きを再現する。 右から左下へ、勢い殺さず前へ、全身をバネにして突き上げ、がら空きとなった下半身を切りつける。 「私を!! 舐めるんじゃない!!」 全力を込めた一撃。その大振りな一撃は、魔物の顔面を切り飛ばした。顔をそがれた魔物は、ぴくぴくと動き、やがて、闇夜に露となって消え去ってしまった。 「……ふん」 やれてしまえば、なんということはなかった。 それも当然だ。体術だけならば、自分は、リト・コーツとも渡り合えるほどだ。こんなはぐれ魔物一匹程度に、負ける道理はない。 「す、すごいです、アレンさん!」 ナイフをしまい、リオンが駆け寄ってくる。そんな彼に、苦笑がこぼれた。 「いや。本当にすごいのは、お前だったんだな」 「え?」 思い出す。姫殿下が襲撃された時のこと。 自分はーー幻装さえ出せないでいた。 いざという時、姫殿下をお守りすることこそが近衛隊に求められる素養だ。否、近衛に限らず、軍人として最も必要なものだ。 それなのに、自分は何をした? ただ、先輩たちが連中を倒すところを見ていただけではないか。 リオン・テイラーは、その間にも、自分の体を市民の盾にしていたというに。 「私は、少し……焦りすぎていたのかもしれん」 功名心にはやっていた、というわけではないのだが。事実は、そういうところだったのだろう。 「リオン、すまなかった」 「ふぇ!? ぼ、僕は何も! それより、アレンさんがいなければ、僕は殺されているところで……!」 「じゃあ、これでチャラだな」 くすりと笑い、アレン・リベットは、同僚を見やる。 「お前は立派な軍人になれるよ、力さえつければな」 「うぅ、やっぱり僕、弱いですよね……。あんな魔物一匹、倒せずに」 「魔物を倒すだけが軍人の役目ではないさ。ほら、帰って撃破報告するぞ」 「あ、はい!」 自分に続いて歩く少年の姿を見ながら、アレンはひとりごちる。 「軍人として必要なもの……、か」 それを、勇気と呼ぶのなら。 この少年にこそ、その称号がふさわしいと、そんなことを考えながら。 |