王城。姫の居室。
「もー、信じらんないッ!」
 ばふん、とベッドが悲鳴を上げる。その隣では、メイドが悲鳴をあげそうになっている。
「あ、あの、姫様。はしたないかと」
「何ッ! ソフィに文句あるの!?」
「ひぃぃ、あ、ありません〜!」
 姫専属のメイドであるサブリナは、この居室で待機することも仕事に含まれる。含まれるが、たまに、誰か代わって欲しいと思う時もある。
「だいたいシン、あなた、ソフィの欲しいものを手に入れてくることも仕事でしょ!? なんでソフィの邪魔をするのよ!!」
「邪魔などしておりませんが」
「つい!! さっき!! したでしょうが!!」
 ぷんすかと怒る姫に対し、シンはあくまで冷静に返す。
「姫様。姫様はあの少年にご執心のようですが、近衛に入れるというのであればともかく、夫にされるというのは、いささか短慮かと」
「何よ、何か問題あるわけ!? どうせハーレム作るんだから、一人くらい姫のお気に入りを入れたっていいでしょ!」
「理屈はまことにその通りですが、王族となると、近衛隊に入れるのとは訳が違います。身辺調査も必要ですし、酒樽にだって話を通さないわけにはいきません」
「お父様はソフィのすることに反対したりしないもん」
「そんなことはないでしょう。自分でもおわかりなのでは?」
「……うるさいわね」
 ぼふっ、とベッドに体を投げ出したソフィアは、ぽつりとつぶやく。
「じゃあ、どうしろって言うのよ。あなたたち以外で初めてよ? ソフィの言うことに抵抗する奴なんて」
「それだけ、周囲が姫を甘やかしていたというだけでしょう」
「それソフィに言う!?」
 ふん、と唸ったソフィは、
「ありえないわ、ソフィはこの国の姫よ? 唯一の王位継承者なのよ? その夫になることが、なぜ不満なの?」
「それは当人に聞くべきでは?」
「……それもそうね」
 つぶやいたソフィアは、かたわらで震えながら待機しているメイドを見やる。
「サブリナー、悪いんだけど、ソフィのかわり、またやって!」
「ひ、姫様ぁ! 次こそ絶対に怒られますって! あたしが陛下になんて言われるか!」
「ソフィのお願いなの。文句ある?」
「うぅぅ……! シン様ぁ……!」
「護衛に問題なければ、私はどうでもいいですけど」
「問題ありますよねぇ!?」
「私一人いれば、護衛には事足ります。近衛隊はおまけです」
「あたしも護衛なんですけど!」
「あなたは緊急時に姫を逃がすのが任務。護衛ではなく安全策です」
「そうですけど! そうなんですけどおおおおお!!」
 涙目になっているのは、メイド一人。
 どう見ても勝ち目などなかった。

☆ ★ ☆


 休日。クレア・ウィルジーヌは、例によって図書館の読書スペースで、ラストスペルの研究を行っていた。禁書架とは違い、ソファが並んでいる普通のスペースだ。飲食自由ということもあり、周囲に家族連れが行き交ったりしている。
 今日はひとりきりだった。リオンは、先日発生した都市内での魔物との遭遇戦について報告しなければいけないとかで、連れて来ていない。
 研究とはいえど、そのきっかけは新しい発想だ。それを思いつくため、書籍を読みあさり、術式に対する考え方や、新しい構築論の学術論文などを学ぶ。
 いつもなら、珍しい論文を見つけただけでテンションが上がるのだが、今日はなんとなく、そんな気になれなかった。
「……」
 なんとなく集中できないまま学術書を眺めていると、
「どうしたの」
「ひゃっ!?」
 声をかけられ、飛び上がる。後ろを振り返ると、司書のオーサが立っていた。制服姿であるところを見ると、仕事中なのだろう。
「何か難しい顔をしているようだけど」
「……そう見えます?」
「少なくても研究している顔じゃないわねぇ」
 自覚はあった。というか、図星だった。
「そう言いますけど。オーサさん、魔術の研究なんてわかるんですか」
「あら。禁書架の過半数は魔術書よ? 当然、魔術に造詣が深くなければ、禁書架専任の司書なんて出来ないわ」
 それもそうか、と思い直す。
 禁書架に収められている書の大半は、それ自体が危険な魔術をこめられた書物。言い換えれば、魔術の固まりだ。その取り扱いは、魔術に対しての知識がなければどうにもなるまい。
「これでも私、司書の中では最も魔術に詳しかったのよ」
「へえ。研究してたんですか?」
「研究職ってほどではないけれど」
「じゃあ、フェルカのラストスペルはわかります?」
「わからない人なんていないでしょ」
 くすりと笑い、オーサはクレアの隣に座る。
「いいんですか?」
「今は休憩中。あなたは、フェルカの研究をしているのよね」
「ええ。ラストスペルを構築したいんです」
「ふうん。変わっているのね」
「そんなことありませんよ。フェルカは実際にすごい魔術師でしたし、その術式で、解明されていないものがあるとなれば、学者としては研究したいでしょう」
「まあ、フェルカがすごい魔術師なのは認めるけど……。でも、同時にとんでもない変人でしょう」
「変人?」
 そうよ、とオーサは言う。
「他人とは一切接触せず、それでいて学者たちをからかうような真似ばかり。とんでもない人間嫌いだった、という話もあるわ」
「それは知っていますけど……。でも、彼の魔術理論があるからこそ、現代の魔術が成立している側面は否定できません」
「功績と人間性は別よ。人間的に立派な人間が必ずしも功績をあげられるわけではないように、何かを成し遂げた人間が聖人君子とも限らない」
「それは……そうですけど」
 なんとなく納得できていない様子のクレアに、オーサは笑みを浮かべる。
「ふふっ、やっぱり恋人のことを悪く言われると気分が悪い?」
「こ、恋人!?」
「研究者なんてそんなものでしょう? その人に恋をしたから、その人のことをもっと知りたい。それが研究の始まりではなくて?」
「それは……」
 あながち否定できない側面がある。
 研究とは執着だ。それは、どこか恋に似ている。
 けれど、どこか迷う様子のクレアに、オーサはますます笑みを深めた。
「ははぁん。だから、研究に集中できていないのかしら」
「どういうことですか?」
「新しい恋が始まっちゃったかしら、ってこと。お相手は誰? リオン君?」
「ぶっ!?」
 思わず噴き出し、ごほごほと咳込む。
「ど、どういうことですか! なんでリオンが!」
「なんでって、そりゃそうでしょう。しょっちゅう一緒に図書館まで来たりして。あれでただの友達なんて、誰も信じないわよ」
「リオンとはそんな関係じゃありません!」
「じゃあ、どういう関係?」
「どうって、それは……」
 どういう関係か。
 単なる軍部の同期? 研究の協力者?
 ーーうまく言葉にはできない。けれど、素直にそうだと頷けない自分がいる。
「まあ、今はまだ若いようだし。いろんなことに興味を持つのも悪くないわよね。研究一辺倒だと、歳を取ったときに後悔するわよ。若さは取り戻せないんだから」
「だ、だから、そんなんじゃありません!!」
「ふふ。可愛いわね。でも、あの子は本当に良さそうな子よ?」
「そ、そんなのわかってますよ」
「それだけでなく。私はそういうのに鼻が利くの。彼は、とてもモテそうだわ」
「……リオンが?」
 想像してみる。
 リオン・テイラーが女子にモテモテになっている姿。
 ーー想像の限界を超えた。
「絶対になさそうですけど」
「そうかしらね。まあ、あなたが食べないのなら、私が食べてもいいけど?」
「た、食べ!?」
「良い男だもの。好みだし」
「ほ、本気ですか!?」
 じろり、とにらむと、オーサはくすくすと笑った。
「冗談よ。他人のものを取ったら喧嘩になるものね」
「誰が! 誰の! ものだと!!」
「ふふ。そろそろ休憩時間も終わりだから、失礼するわね」
 ひょい、と立ち上がり、優雅に立ち去る後ろ姿をにらみながら、クレアはため息をついた。
「……そうじゃない、はずなんだけどなぁ」
 独り言は、子供の笑い声に飲まれて消えた。