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姫の声は、シンの魔術によって、遠く離れた三人のところにも届いていた。有視界にいる者の声を届ける魔術は、魔術師相手には通じないが、魔術が使えない二人には気付かれる心配もなかった。 『シンは、亜人よ』 姫の声は、確かに聞こえた。アレンとクレアの視線もまた、シンに集まっていた。 「……別段、伝える必要はありませんでしたので」 「国王陛下は、このことを?」 「気づいておられません。ご存知なのは姫殿下と、専属メイドのサブリナだけです」 「でも、亜人で軍部に入れるものなのですか?」 聞いておいて、失礼なことだと気づいたのだろう、アレンはすぐさま頭を下げた。それを流し、シンは答える。 「入隊試験はごまかすことも可能です。亜人と人間は、外見的な区別以外は、ほとんど変わりません。こと私は、亜人の中でも、隠蔽型……自分自身の意思で亜人としての身体的特徴を隠せるタイプです。見た目で判断できないのであれば、バレることもありません」 「では、なぜ姫殿下はご存知なのですか?」 「姫殿下が10歳の誕生日を迎えられた時、私が自分で明かしました。そして、辞職を願い出たのですが……。姫は、こう仰られました」 ーー亜人であるからなんだというの? ソフィの護衛をするのがあなたの任務よ。 あっさりとしたものだった。それ以降、ソフィアが、他の誰かに、シンの正体を明かしたこともない。 「亜人は、魔物と同列に扱われます。昔は私も、そんな風潮に反発していた。ちょうど、姫殿下を襲ったテロリストたちと同じです」 「あの狼たち……?」 「彼らは隠れと呼ばれる亜人グループです。あの外見では、王都ではまともに生きていくことすらできないでしょう。そういう者はこの国に確かに存在している。けれど、その扱いに納得しているはずもありません」 「だから……、姫を襲った」 シンはこくりと頷き、 「私も同じです。近衛になったのも、姫殿下をいつか殺すつもりでした。しばし泳がしていたのは、二人目が生まれた時、動きにくくなるからです。それがいけなかったのでしょう……、姫に、情が移ってしまった。だから、お妃様が亡くなられても、姫を殺すことなどできなかった」 「あなたも、姫を……」 シンは、目を伏せた。 「亜人とは、それほどまでに権力を憎んでいます。彼らのせいで、私たちは、思い通り生きることもままならない。そんな理不尽が、なぜ成り立つのですか」 「それは……、私には、なんとも」 「あなたも貴族であれば、気づくはずです。その方が都合がよいのだと」 アレンは答えなかった。知らなかったからではない。知っていたからだ。 「群集にとって、明確な敵がいるというのは、非常にまとめやすい。魔物は外敵ですが、それだけでは嵐などと変わらぬ自然災害に過ぎません。けれど、人間に混じった亜人というのは、潜伏した敵。そんな存在がいるから軍部は力を持てるし、幻装などという危険な魔術が公然と認められているのです。そうでなければ、軍備縮小を願う者も出ることでしょう」 「……」 「別に、あなたを責めているわけではありません。単なる事実です。姫は、そういう風潮を変えようと考えてらっしゃる。陛下が亡くなった後、姫が国政を担う立場になられた時ーーその時を、亜人元年とすべく、今から動いておられます」 ゆえに遊ぶ暇もありませんが、とシンはつぶやく。 「だからこそ、姫の護衛は私一人でいいのです。へたに人間を増やせば、その中には、姫のお考えと反する者が必ず混じる。そのような雑多は邪魔なのです」 「けれど……、リオンは」 「彼ならば、亜人だの人間だのにこだわったりしないのではないかと、姫はお考えになられたのでしょう。一市民を守ることを優先した彼ならば」 「飛躍していませんか」 「普通の軍人は権力にすり寄ります。権力より実益を取る人間こそ、姫の護衛には相応しい。夫はどうかと思いますが」 シンの言葉に、アレンもクレアも、何も言えなかった。 何かを言う資格はなかった。 「あなたが亜人を守る運動に味方するというのであれば、姫の近くに来て。近衛になるというのは、そういうことよ」 ソフィアの言葉に、リオンは押し黙った。しばし彼女を見つめ、 「……考えます」 「結構。夫でもいいのよ、本当に。夫婦ならば、共に動くのも自然だし、姫の夫になれば発言権もあるわ」 「そんな政略のために、相手を選ぶべきではありません。ソフィさん」 「姫は政治の道具よ。王族とはそういうものだわ」 「違いますよ。あなたは、一人の女の子です」 くすりと笑い、リオンは続ける。 「今日、いろんなところを見て回りましたよね。どこも他愛のないところでした。そのジュースだって、市販の、普通のジュースです。決して、王城で出るような、最高級のものじゃない。そんなものを喜んでいるあなたは、やっぱり、どこにでもいる女の子と変わらないんです。ただ、できることがあるというだけで」 「……」 いつのまにか、日が暮れようとしていた。夕日に照らされ、ソフィアの白い肌が赤く染まっている。 「……ねえ、リオン」 「はい、なんですか?」 「ソフィね……」 ふと、リオンを見上げる少女の瞳が潤んでいる。思わずどきりとするが、そんな二人の前に、影が差した。 横を見ると、人形みたいな顔があった。 「姫。お時間です」 「今すっごく良い雰囲気だったと思わない!? もうちょっとくらい待ちなさいよ!!」 「そろそろ戻らないと酒樽にバレます」 「むきー! あなたソフィの味方なの、違うの! どっちなの!!」 「私は姫の護衛ですよ」 「知ってるわよ!!」 ぷんすかと怒る姫を担ぎ上げ、シンは夕闇の中に跳んでいく。こんなところで強化魔術を使わないでもーーと思うリオンは、ふと視線を下げた。 「げっ」 視界に見知った顔がいた。というか、げっとか言った。 「クレア、それにアレンさんも! こんなところでどうしたの」 「そ、それはそのぉ……」 冷や汗を浮かべるクレアと、嘆息するアレン。 「クレアが覗きをしようとだな」 「アレンの裏切り者!?」 「裏切ってなどおらんわ」 そんな同僚を見たリオンはパチパチと目をしばたかせ、 「ああ、もしかして心配だった?」 「だ、誰が心配なんか!」 「大丈夫だよ、そんなに心配しなくても、姫に粗相なんかしないって」 「だから心配なんて……、は?」 目を丸くするクレアに、リオンは答える。 「僕が姫に粗相するんじゃないかって心配だったんでしょ? まあ、僕、田舎者だしね。でも大丈夫、軍部の評判を落とすようなことはなかったから」 「……」 はあああああ、と深く深くため息をするクレアと、肩をすくめるアレン。 そんな二人の前で、リオンだけが疑問符を浮かべていた。 |