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自室にいることすら気まずくなったリオンは、宿舎を飛び出した。 かといって、土地勘があるわけでもない(休日はクレアと図書館に通い詰めていた)リオンにとって、どこか行く当てがあるわけでもない。 時刻はすでに夕闇が迫る時間。徐々に日が暮れていく。 家路を急ぐ子供。買物袋を提げた女性。警邏らしい軍人。 行き交う人々の群れを縫いながら、特に考えることもなくフラフラと歩いていると、 「おや、君は、リオン君」 「あ、オーサさん」 見慣れた図書館の司書だった。彼女に会うのも、どこか久しぶりな気がしてしまう。 「何か悩み事?」 「そういうわけじゃ」 自分の悩みを打ち明けられる相手ではない。そう思ってとぼけると、オーサはふうん、と唸った。 「じゃあ、おいで」 「え?」 返事も待たず、オーサは先に歩く。 仕方なし、リオンも後をついて行った。 オーサが連れていったのは、いつぞやの王城公園だ。ここに来ると、ソフィアの姿を思い出す。 隅にあるベンチは半分が薄暗がりに埋もれており、人影もなかった。 「ここなら、誰かに聞かれる心配はないものね」 そう言って、ベンチに座るオーサ。リオンもまた、並んで座る。 「さて。君が悩んでいること、当ててみせようか」 「無理ですよ、そんなの」 「自分が亜人であるということ」 どきり、と心臓が跳ねた。 うまく息が吸えない。ぱくぱくと口を開き、閉じる。 「なんで知っているのかって顔をしているわね。簡単よ。私も同じだから」 「同じ……?」 黙って立ち上がったオーサは、ひょい、とスカートをめくった。 「ッ!?」 その下からは、黒い尻尾が覗いていた。 「普段はスカートで隠しているけど、私も亜人なの。夢魔種っていうのよ。夢魔は亜人の匂いに敏感なの。隠しても分かるわ」 「亜人が、図書館の司書を……?」 「知りたいことがあったもの。だから禁書架を任されるように頑張ったの」 さわさわと風に揺れる木を眺めながら、オーサは言う。 「私はね、亜人の国に生まれたの。知っている? セントラル山の北側にある国で、デミっていうの。古い言葉で、亜人って意味よ」 「デミ……。知りませんでした」 「そうでしょうね。人間の学校じゃ、亜人の歴史については語らない。語れない」 「語れない?」 「人間が亜人を追放したなんて歴史、語りたくはないでしょう?」 くすりと笑う。 「その昔、人間と亜人は一緒に暮らしていた。けれど、それでは生活のうえで問題が生じるようになった」 「魔物が現れたこと、ですよね」 「そう。魔物の出現は問題だった。魔物と亜人は、種類によっては区別がつきにくい。けれど、魔物が人類の集落までやって来たとなれば、被害は甚大になる。結果、魔物と共に、亜人までも追放されることになった……。それが、人間側の歴史」 「人間側の……。じゃあ、亜人にとっては……」 「ぜんぜん違うわ」 ふと気づく。 オーサの目。さきほどまで柔らかな光をたたえていたはずのそれが、今は、まったく笑っていない。 「だったら何故、亜人が出ていかなければいけなかった? 人間が出て行ってもよかったじゃない」 「それは……」 「結局、少数派だった亜人をいじめただけなのよ。住む場所を追われた亜人は、北へ北へと行かざるをえなかった。移住の過程で、亜人は半数が死んだと言われている。そうしてたどり着いた場所が、極北の土地。決して住みやすい場所じゃないわ。夏は短く、冬は氷に閉ざされる。そこで定住するために、さらに半数が死んだ」 暗い瞳が、虚空に存在する何かをにらみつけている。 それは、亜人を迫害した者たちだ。 「人間さえいなければ、私たちが苦労することはなかった! 人間さえいなければ、同胞が死ぬことはなかったのよ!!」 「それは、そうかもしれませんけど……。でも、僕は、人間がそんなに悪いことをしようとしたとは……」 「じゃあ何!? 亜人は死んでよくて、人間は死んではいけなかったというの!?」 「そ、そんなことはありません!」 ベンチを蹴飛ばし、オーサは立ち上がる。 「私の目には、亜人が人間から迫害されたようにしか見えないわ。亜人は不当に殺されたのよ!!」 「殺しただなんて……」 「そんなつもりはなかったって!? 冗談じゃないわ!! セントラル山に行けば死者が出ることなんて分かっていた! 移住しようとした亜人には子供もいた! 子連れで山越なんて出来るはずもないのに!! 人間は亜人を見殺しにしたのよ!!」 「オーサさん……。なんで、そこまで」 ふと、オーサの暗い瞳が動きを止める。 「私はね、デミで生まれたの」 それが、全ての答だった。 「デミは苦しい土地だったわ。人々は貧しく、子供は長く生きられない土地だった。そんなところに追いやられて、納得できるはずもないでしょう」 「……それは」 何かを言おうとして。けれど、リオンは何も言えなかった。 「15の時、国を出たわ。出るしかなかった。口減らしっていってね、国を維持するのに最低限必要な亜人以外は、15で国を出る決まりがあったの。そうしないと、食べ物が足りなくなるから」 「じゃあ、オーサさんは一人で?」 「生きるしかなかったのよ。南に来て、人間の国を見たわ。どこに行っても、地方ですら、人間は餓えていなかった。その差は何? それが、私にはずっと疑問だったわ」 「いろんな場所を転々としていたんですか?」 「そうしなければ生きられないもの。亜人はひとつところに留まれない。一番長くても、せいぜい2年くらいね。子供を産んだ時だけだわ」 「お、お子さんがいらしたんですか?」 とてもそうは見えなかっただけに、リオンは驚いた。けれど、オーサは淡々と言う。 「いたというか、捨てたのよ。子連れで亜人じゃ、なおさら生きづらいもの。相手は行きずりの亜人だし、もうどこにいるかすら分からないわ。母子で生きていけるような、優しい社会じゃない」 それは、ただの事実だったのかもしれない。 だが、そこに感情が混じっていないという事実は、リオンの心に強く刺さった。 「どこに行っても、亜人は虐げられていたわ。変えなければいけないと思った。その手段を、ずっと探していたのよ」 「旅しながら、ですか?」 「ええ。あちこちで、虐げられている亜人を守りながら、人間を滅亡させる手段を探していたの。それが、私の研究」 「亜人を、守る……」 「ええ。同胞は守る。敵は殺す。当然でしょう?」 「敵、なんて」 「敵よ!!」 ぐっ、と拳を握り、オーサは叫ぶ。 「人間は敵よ!! 亜人の敵!! でなければなんだというの!? あんな連中が世界中にのさばっているなんて、そんなの許されない!!」 感情が高ぶるまま、オーサは声を荒げる。 「だから私はそれを正すの!! 亜人が持つべき正当な権利を勝ち取るのよ!!」 「……何をするつもりですか」 感情が高ぶりすぎている。何か、暴動でも起こしかねないほど。 リオンは、そっと椅子から立ち上がる。 今日は非番であるためナイフすら持っていないが、いざとなれば、格闘も辞さない。その覚悟を決めていると、 「ふふふ。大丈夫よ、リオン。あなたはきっと守られるから」 「どういう、ことですか」 「私もね、ブライト・フェルカの最終詠唱、研究しているの」 いきなり脈絡もないことを言われ、きょとんとしていると、 「あなたたちが禁書を開いてくれたのは助かったわ。おかげで、私は普通にノートを読むことができたもの。あのノート、中に人を喰らっている間は、魔力が弱まるのね」 「……どういうことですか。何をしたんですか!」 「今まではたいしたことなんてしていないわ。これから何かを起こすの」 ばっ、と両手を開き、オーサは言う。 「これから理想の社会が生まれるのよ! そのための準備は整ったわ!!」 「何をした!! オーサ・メイザー!!」 「あはっ、だから悪いことなんかしていないわよ! 何かをしたのは人間よ!」 「人間、だって……?」 「亜人がテロを起こしたからといって、亜人狩りを強めた! 結果、都市の中に住む亜人は、9割が国外に逃げ出した! 今、この都市には本当に亜人がいない!! せっかく、戦力になりえたのにね!!」 ガン、と足を踏み鳴らし、オーサは叫ぶ。 「みんな消してあげる。人間なんて、みんな消えればいい!!」 ふと気づく。 いつの間にか、自分の周囲に魔力が漂っている。 そうだ、花時計だ。 王城公園の中央にある、大きな花時計。そこに、魔力が集まっている。 ーー花が、魔力を吸収している? 「滅べよ人類!! これが絶望の前奏曲になる!!」 次の瞬間。 視界を、魔力が覆い尽くした。 |