王城、姫の居室。
 ソフィア・ジェルニアンは、バルコニーからその光を見ていた。
「何よ、あれ……」
 それは、闇夜の中にあってなお黒く、暗く、異質な光だった。
 見る者すべてに根源的な恐怖を覚えさせる光。それが、どこまでも高く立ち上っている。
「シン、あれは何よ」
「……見たことがありません。ですが、決して良いものではないでしょうね」
「そんなの見ればわかるわよ……。どうなってるの、いったい」
「姫様。室内へ。サブリナ、幻装を出しなさい」
「は、はい!」
 姫専属メイドのサブリナは、メイドでありながら、魔術にも精通する特殊なメイドだ。
 戦闘が得意なわけではないが、彼女の幻装は、逃走や目くらましに使える。状況がどう動くかわからぬ以上、それは必要な措置に思えた。
「お願いします! 【黒猫の遊び道具フライスイーパー】!」
 手をかざし、魔力を集中させ……。
 しかし、何も起きない。
「あ、あれ?」
「……まさか」
 何度も幻装を発動させようとするサブリナだったが、魔術が発動しない。
 否、魔術を発動させうるほど、魔力がない!
「あの光が、魔力を吸収しているのか……!!」
 ギリ、と歯がみする。シンは姫を見やり、
「申し訳ありません、姫様。約束を破ります」
「どうするつもり?」
「こうします!」
 ぐっ、とシンは力を込めた。スーツの背中が破け、そこから黒い羽が飛び出す。腕は鋭いカギ爪になり、額からは一本の角が生える。
 シンは、自分自身の亜人的特徴を隠す技術を持つ亜人ーー隠蔽型だ。だが、亜人としての本気を出す以上、隠蔽していては話にならない。
 一方、その姿を見て仰天したのはソフィアだ。
「あ、亜人の力を使うつもり!? 誰かに見つかったらどうするのよ!」
「申し訳ありません、姫様。ですが現状、魔術で対抗できません」
「す、すみません姫様ぁ〜。魔力が集められません〜!」
 涙目のサブリナ。シンは姫を室内に押し込み、バルコニーの外に目を向ける。
「姫様、必ずお守りします」
「どういう……きゃっ!?」
 どん、と王城が揺れた。
 バルコニーに、翼の生えたトカゲの姿がある。魔物の一種、ドラゴンだ。
「姫に手出しさせると思うなよ、下郎!!」
 シンの戦意に対抗するように、ドラゴンは遠ぼえをあげた。

☆ ★ ☆


 軍部の指令所は、いまや上へ下への大混乱だった。
「王都内に魔物多数出現!! 各隊が散開して迎撃に当たっていますが、間に合いません! 負傷者多数!!」
「くそっ、どうなってるんだ……!!」
 指令所に飛び交う怒号と情報。魔物が出現したことだけはわかるが、数も、質も、なぜ出現したのかもわからない。
 何もわからない中で、ただ絶望的な情報だけが飛び込みつづける。
「北区にて大型を確認! 警邏隊第七班が迎撃に向かいましたが、警邏では無理です!」
「王城公園付近で多数魔物を確認! 近づけません!」
「南門詰所が襲撃されました! 連絡が途絶えています!」
「警邏隊より伝令! 一般市民をどこに誘導すればいいのか分からないとのこと! 緊急避難用の公園はすでに魔物が出現しています!」
「防衛線の戦力に至急戻るよう伝令が出ました! ただし帰投は早くとも夜明けになる見込み!」
 希望的な情報がない。その中で、さらに絶望的な情報がもたらされる。
「……ッ!! 防衛隊第二班より伝令! 隊員の半数が幻装の生成に失敗したとのこと! 魔力が足りません!!」
「なんだと……!!」
 幻装は、対魔物用の最終兵器だ。これがあるから、人類はいままで魔物に侵略されずに済んでいた。
 だが、それさえ使えないとなれば……。
「敵は多数、なのにこちらは武器さえ持つなというのか……。ははは」
 思わず乾いた笑いが漏れる。もはや、どうにもならない。
 状況は最悪だ。このままでは、王都は夜明けを待たずに陥落する。
 王都は、最も多くの軍人を集めてある要塞都市だ。ここにいる軍人の大半が喰われれば、人類に反抗するだけの戦力は残らない。
 こうなると、都市を守る城壁は、かえって自分たちを閉じ込める檻に過ぎない。
 人間は、このまま、魔物に喰われて死ぬ。その姿が、容易に想像できる。
「おしまいだ……。もう、おしまいだ」
 ぽつりとこぼした軍人の声を聞いている余裕がある者など、誰もいなかった。

☆ ★ ☆


 その絶望的な光景は、教導隊の宿舎からも見えていた。
「なんなの、あの光……」
 寮の自室。窓の向こうに、見る者の不安を煽る光が立ち上っている。
 こんな光景は、魔術に詳しいクレアでさえ、見たことがなかった。
「クレア! ここにいたか!」
 と、廊下から、リトとアレンが飛び込んできた。
「お前も来い、非常事態だ!」
「ひ、非常事態?」
「あの光から魔物がどんどん生まれている! 早く迎撃しないと、市民に大きな被害が出るぞ!!」
「は、はい!」
 慌てて杖を手にするクレア。そんな彼女を待つことすらもどかしそうに、リトはイライラと床を踏む。
「くそっ、魔物が生まれる光だと!? 何がどうなっているんだ!!」
「光から、魔物が、生まれる……」
 ひとつひとつの単語を、クレアも繰り返す。その瞬間、まさに閃光のごときひらめきが駆け抜けた。
「……幻装と、魔物」
「何!? 何か言ったか、クレア!!」
「そうよ、これ、幻装と同じ理屈なんだわ!」
 クレアは慌てて部屋を引っ掻き回し、ノートとペンを取り出す。
「何をしている!!」
「ちょ、ちょっと待ってください!!」
 クレアはそのままノートにペンを走らせ、
「今そんなことをしている事態か!」
「そうです! もしかして、この現象を解析できるかもしれません!!」
「何!?」
 一瞬、リトの動きが止まった。その間にも、クレアはペンを振るい続ける。さながら、剣士が戦場で踊るように。
「そう……、幻装は、周囲の魔力を集め、自分の体を介して、エネルギーを武器化する術式と定義できる。そう定義すれば、この魔術は、王都中の魔力を集めて、光を介し、魔物を形成していると解釈できる?」
「魔物を……形成する?」
「そうよ、理屈は同じはず! なんで気付かなかったのかしら! エネルギーは質量に変換できるんだわ! だから魔物は生物じゃない! 魔物は、まさに魔力を押し固めただけのゴーレムなのよ!」
「だとしたらなんだというんだ! 術式が止められるのか!?」
「起動した術式は止められません! けど、塗り変えることはできるかもしれません!」
「塗り変えるだと……?」
 クレアはペンを走らせることすらもどかしそうに、
「集めた魔力は何かで消費せざるをえない! なら、『質量』を集めて、別のエネルギーに変換すれば……最も効率よく集められる質量的魔力は、魔物だわ! それらを一網打尽にできるはず!」
「そ、そんなことができるのか!?」
「やるしかないんです!!」
 バン、と机を叩く。すでにノートは真っ黒なほど数式が並んでいる。
 その意味は魔術を知るリトにすら意味不明だったが、何かしらの答は出ているようだった。
「クレア、私たちは何をすればいい」
 一方で、リトほどすらも魔術を理解していないアレンは、自分が成すべきことを聞く。
「……これだけの魔術を使うには、魔力が足り無さすぎるわ。まして、大気の魔力濃度が薄い。このままじゃ起動できない」
「じゃあ、大量の魔力があればいいんだな?」
「そうだけど、媒介程度じゃ無理よ。こんな小石じゃ……」
「巨大な媒介結晶があればいいんだろう」
「そんなもの、あるわけないじゃない! いくらすると思ってるのよ!」
「値段は知らんが、どこにあるかは知っているぞ。リベット家が贈ったのだからな」
 そう言って、アレンはにやりと笑う。
「王城だ」