軍務学校を訪れたフォスターは、校長室へと向かった。
「あら、フォスター君」
 旧知の教員は、今日も白がまぶしい夏服に袖を通し、フォスターを出迎えた。
 黒檀の机に肘をついた校長は、はあ、と嘆息する。
「あなた、そろそろ結婚しないの?」
「いきなり何ですか」
「だってその制服。汚れが目立つわよ? ちゃんと洗濯している?」
「週に一度くらいは」
「それじゃあいけないでしょう。まったくもう、あなたは昔からズボラなんだから」
「それは事件と関係ないんでいいんですよ」
「じゃあ、事件の話をしたいのね」
 くすりとフォスターは笑う。
「まあ、それが今の仕事なもんで」
「いいでしょう。何が聞きたいの?」
「亡くなったテディ・ルーズバンド教諭のことです。彼はどうして学校勤務に?」
「前の所属が閉鎖になって、たまたま教師の資格もあったから、こちらに転職したと聞いているわ」
「ルーズバンド教諭がここで勤務することになったのも、本当に偶然?」
「まあ、ここは一般の学校よりも厳しい採用試験があるから、それを突破できたという点では優秀なんでしょうね。でも、もともと軍人だったんだもの。一般の学校よりは軍務学校に勤めたいものじゃないかしら」
「他人事みたいですが、校長は人事には?」
「関係していないとまでは言わないけど、基本的に軍の採用者は専門部署があるわ。それは軍務学校でも同じ。本人の希望に応じて、勤務先は変化するけどね。警邏隊も同じでしょう?」
「警邏の採用試験なら俺も学校を卒業する時に受けましたけどね」
「軍務学校の教員資格も同じよ。あなたが卒業する時は学卒者に試験を受けさせなかったから知らないかもしれないけど」
「そこで試験を受けて合格すれば教諭になれる?」
「そうよ。シャカドウ先生も同じ経緯」
「なるほど……」
 ふむ、とうなるフォスターに、校長は首をかしげる。
「でも、それがどうかしたの?」
「……ルーズバンド教諭は、ここで勤務する以前、軍務研究所で勤めていたとか」
「ああ、それは聞いているわ。履歴書にも書いてあったかと思うけど。でもそれが?」
「研究所が閉鎖されるーー言い換えれば所属部隊がなくなった場合、隊員は転籍か退役を選ぶことになる。彼は軍に残ったわけですが」
「そうね」
「彼の仲間である軍務研究所の関係者2名は退役しています。一方で、彼だけが軍に残っていると言い換えてもいい。軍務学校の教諭ができるほど優秀な人材なら、転籍も可能であったろうに……。それは何故かと思いまして」
「何故と聞かれても困るけど」
「たとえば、軍務学校に知り合いがいたとか」
「交遊関係まではわからないけど」
「特に親しかった教員などは?」
「事務員の子にはちょっかいをかけていたみたいだけど、それも常識の範囲内だったみたいだし、それ以外に特別な関係というのは聞いた覚えがないわ」
「友人などは」
「彼と同年代の教師っていないし、それほど親しい人はいなかったかもしれないわね」
「……」
 フォスターは頭の中で考える。
 何かあるはずなのだ。コボリアもリトも、研究所が閉鎖された後は軍と関係のない仕事をしている。
 軍人ならば、組織の閉鎖はたまに経験することだ。組織再編は10年に1度くらいの周期で行われるし、そのたびに新設される部隊もあれば存在がなくなる部隊もある。
 だからと言うべきか、組織再編そのものは珍しいことではない。だが、組織が再編となった時に、退役する者はそれほど多くない。
 いくら元軍人とはいえ、新たに仕事を探すよりは、別の部隊で定年まで勤めるのがほとんどだ。だが、コボリアやリトはーー特にリトのような小心そうな男は退役している。
 それだけ、”罪”から離れたかったのではないか。軍と関係のない場所で生きていきたいからこそ、退役したのではないか。あるいは、そうやって罪を隠そうとしたのではないか。
 それが、フォスターの推測だった。だが、その理屈だと、軍務学校で変わらず働いていたテディ教諭が気にかかる。
 本来なら、彼も軍とは何の関係もないところで働いているはずではないか。彼自身が罪に関与していないのであれば、そもそも殺されるなどという自体にもならなかっただろう。
 何かある。その割に、その何かが見えてこない。
「……ちなみに、ルーズバンド教諭と一緒に働くことになった人とかいますか」
「同期ということ? いないわ」
「そうですか……」
 ルーズバンド教諭が軍務学校で勤務していた。その事実は、イレギュラーな要素に見える。
 学校の関係者に、真相を知る者がいるのではないか。それは、うっすらとしたイメージでしかなかったが、フォスターの中には確かに存在するものだった。
「……わかりました。お話、ありがとうございます」
「いいのよ。フォスター君は昔から手のかかる子だもの」
「たまにじゃないですか」
「そうね、鍵はなくすし窓は壊すし。サボりの常習犯で、しかも教師相手にイタズラまでする。本当にワルガキだったわ」
「楽しみがないと学校だって面白くないでしょう」
「本当にそれだけかしらね」
 くすりと校長は笑う。
「あなたが警邏隊所属を希望した時、あなたほど警邏に向いていない人間はいないと思ったわ。規則のキの字すら忘れてしまうような男だったんだもの」
「恐縮です」
「けど、同時に、あなたほど正義感があった男もいない。そういう意味では、警邏隊は天職だったんでしょうね」
「そうですか?」
「ええ。鍵をなくしたのは、その部屋でいかがわしい行為をしていた教師を止めるため。窓を壊したのは、生徒同士のいじめを止めるため。教師へのイタズラは、高圧的な教師の注意を自分に引き付けて、気の弱い生徒を守るため。全部、あなたが卒業してから気づいたんだけどね。違う?」
「何のことでしょう。俺は品行方正な生徒でしたよ」
「……あなたは昔からそうね。他人のために尽力しておいて、その成果をひけらかさない。だから今も少尉なんでしょう?」
「少尉なのは、俺に能力がないからですよ。上官ってのは、ノークス少尉みたいな優秀な奴がなればいいんです」
「あなたは誰よりも周囲が見えていたわ。だからきっと、今回の事件でも真相にたどり着く。でも、あなたはその真相を、他人に吹聴しない。たぶん、ノークス少尉の手柄にしてしまうのではないかしら」
「まあ、ノークス少尉は優秀ですから、事件を解決するかもしれませんね」
「ねえ、フォスター君。なんでそんなに、昇進したくないの?」
 小首をかしげる校長に、フォスターは苦笑した。
「……だって、上官になったって面白くないでしょう。現場にも出られず、組織のしがらみは増え、貴族連中の思う正義を押し付けられる。そんなの、何も面白くない」
「面白さだけで仕事を決めているの?」
「現場が好きなんですよ、俺は。苦しんでいる人を見つけて、そいつを助けてやるってのがね。それがやりがいなんです」
「報われないわ」
「報われたくて仕事してるわけじゃないですしねぇ。金も地位も権力も、俺には向いていないもんです。そんなものより、誰か一人が笑顔になってくれる方が、よほどやりがいがある」
「……まったくもう。あなたみたいな男ばかりが警邏だったら、きっと警邏隊は崩壊するわね」
「そうっすかね」
「組織というのは、ガツガツとした上昇指向の人が必要なのよ。あなたみたいな考えよりかはね」
 くすくす笑い、校長はフォスターを見上げる。
「でも、やっぱりあなたは、誰より警邏に向いていたのね」
「過大評価ですよ」
 フォスターはちらりと時計を見た。
「失礼、この後も事件の証言者と会う予定があるので」
「あら、じゃあ送るわ」
 まっすぐ立ち上がった校長先生。その身長は、いつの間にか、フォスターよりも随分低い。
「フォスター・アリオスト少尉。あなたは、あなたの正義のまま、正しいと思うことを成しなさいね」
 ビシッと敬礼を決めた校長に、フォスターも敬礼で返す。
「了解しました、カルナ・リーンベル教諭」

★ ☆ ☆ ☆ ★

 魔女マリーは、自身の工房で剣に刻印を打っていた。
 魔女の打つ刻印は、それ自体が力を持つ。精霊に対する言語と言い換えられる。見た目には文字とさえ判断できない絵柄だが、魔女であるマリーにはきちんと意味を理解できる。
「……」
 と、マリーはいったん手を止め、時計を見上げた。時刻は20時。そういえば、まだ夕飯も食べていなかった。仕事をしていると、ついつい食事はおろそかになりがちだ。
「いけない」
 マリーは立ち上がると、キッチンへ移動した。ちゃんとした食事をするのも億劫なので、買い置きのパンを2つ手に取る。そして、裏庭に回った。
 そこには、十字架がひとつだけ、地面に突き刺さっている。十字架には花輪がかけられていた。
 マリーは十字架の前にひざまづくと、パンを置き、お祈りする。お祈りを終えると、自分の分のパンをかじりながら、工房へと戻っていく。
 十字架にかけられた花輪が揺れ、その下に刻まれた文字が月明かりに照らされた。

『サリア・シェルの冥福を祈る』

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